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ネクタイ買って熱が出たひと

ゴールデンウィークは後半に帰省した。近所の魚屋さんでお刺身を何パックも買ってきて手巻きずし大会を開催したり、母の引っ越しに備えて家具を見に行ったり、平穏な連休。

家具屋の帰りは、急行にあえて乗らずに鈍行にして、三人並んで座った。家に着いてから、実は三人とも車中ずっと向かいに座っていたおばあさんのことが気になっていたのが分かった。母が「すらっとして姿勢もよくてきれいな人やったよねえ」と言い、わたしは「いまどき、本を読んでるのがいいやんね。『豊臣秀長』やったわ。あの日焼けの感じ、図書館で借りたものやと思う」と言い、姉は「白のレザーのスニーカー、あれいいものやと思う。よく似合ってはったわ」と言った。

父がいたら「ただものではない雰囲気やったなあ」などと面白がりそうだ。もっとも、まじめに想像するなら、父がいたら車を出してくれただろうから、あのおばあさんにわたしたちは出会わなかった。

父がいない家、父がいないわたしたちの会話、そういうものが少しずつ当たり前になっていく。ならいっそ、これを逆手に取ってもいいかとこの頃思っている。失った悲しさやもう会えない寂しさが薄らいでいくなら、父のことを思い出しても気落ちすることはなくなるのだ。だったら、これからまた父のことを母や姉と気軽に話せる。

家族の思い出というものは、どうしても面白かったものが何度でも語られがちで、そうやって定番化すると、逆にそれ以外のものが忘却されやすくなるので、しょうもない話をこそ掘り起こしたいなと思う。なんとなく、家族の中でそれはわたしの役割の気がするのだ。

昨日、半分寝そうになっている時間に、テレビが「最近はなんでもかんでもハラスメントになる」とか「今は『髪切った?』だけでセクハラですって」とか言っていた。例によって“ちょっと嘆かわしいですよね”みたいなトーン。普通に人を人と思って話していたら、そうそうハラスメントだと責められることもなさそうなものだが、極端な例を持ち出しては戦々恐々ごっこをしている。

それで思い出したけど、父はわたしが中学生のとき、国内メーカーから海外メーカーへ転職した。転職から何年か経ったある日、家族でいたとき、「会社に○○の件で電話せないかんわ」と言い出して、母が「秘書の中村さん? うちにもみんなで遊びに来はったね」と応じた。父は「いや、中村さん昨日から休みや。別の人に頼む」と、もう仕事のほうに意識を取られた顔でそう言った。母が「へえ、休暇なん。ご旅行?」と尋ね、父の答えは「さあ、知らん」。付け加えていわく「そういうのは聞かへん。聞いたらセクハラになるねん」。

90年代の終わり頃で、わたしは当時、秘書が数日会社を休むならボスは理由ぐらい聞いてもいいものだと思っていたので、ちょっと驚いた。驚いたおかげで、このときのやりとりが今まで記憶に残っていたのだと思われる。

特にどうということもない、外資系企業らしい話だけど、「それはセクハラに当たる」と答えた父の声がどこまでも無感情で平坦で、今になって少し、あれよかったなと思う。まったく不満そうでなく、家族に驚いてほしそうでなく、自分や自分の会社が人権意識において先進的だと思っているふうでなく。

うっすらいい話っぽくなってしまった。父は家族で香港へ行ったとき、免税店で高額な買い物をしたら、直後に高熱を出したので「ネクタイ3本買って熱出して倒れた」と語り継がれもしている。このように家族内の定番ネタはずっこけエピソードが中心になるので、今から新ネタを発掘しようとすると、反動的に、娘の心情的に、きりっとしたほうのを探してしまいがちになる。気を付けたい。あの人はネクタイ買って寝込んだ人。ムカデにおしりを刺されて漫画みたいに跳ね上がった人。芸能人の名前を一度間違って覚えると、何度言っても修正できなかった人。ただまあ、“そんなことでセクハラと騒がれるのだから困ったものだ”調とは無縁に暮らした人。そんなふうな、わたしの父。

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