春は
春は日暮れ時。
やわらかい西陽がきれいな角度で差し込んでくる、故郷の駅のホーム。線路の向こうに見える街の風景は少しずつ変わっていても、陽差しの色は昔から変わらない。否応なしに懐旧に浸される。
発着時刻を告げる電光掲示に、日が長くなったことを思い知らされ、通過する列車が起こす風の冷たさに冬の名残を感じて、陽の当たる場所へ移動する。
風と眩しさで目を細めて見る光の先に、あの春の日を確かに見る。
夏は明け方。
電車が動き出す前、既に明るくなり始めている空。車で自宅に向かう。
陸橋を越える時に視界が開け、ビルの屋上の赤い灯火が、青醒めた空に消し忘れたイルミネーションのように輝く。
未だ消えない街灯が車窓の外でリズムを刻む。色温度だけが補正されたような、ひと気を感じられないビル街。眠っているのか死んでいるのか判別できないようなその場所で、ひとときのディストピア幻想に酔う。
秋は真昼間。
きちんと下地処理した後に塗装した壁のように、均質で美しい青さの空の下、川沿いを自転車で走る。雲はひとかけらもない。太陽は輝きを主張しない。一年に必ず一度はある、完璧な空の日。
そういう一日があることを特別な誰かに伝えたくて、でもその誰かにはまだ出会ってもいなくて、だけどどこかに必ずいるはずとペダルを強く踏んで、この先にあるはずの景色を曇りなく信じることができる。
冬は夜。
建物の輪郭がおろしたての剃刀の刃のようにエッジを際立たせる、透明な空気。線路沿いを歩きながらその空気の冷たさを頬に心地よく感じる。線路側の空は開け、まずはオリオン座を探す。
冬の大三角、双子座、昴。立ち止まって空に集中すると、少しずつ目が慣れて星々が姿を現す。ちらちらとまたたき、時に弱々しくさえ見える星に、笑顔でさえいてくれたら他に何も望まないと、心から祈る。
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