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詰められた正月

コードナンバーなどはなく、ただ名前を聞かれる。そして「お前が予約したのはどの商品か」という質問をされる。それは予約を受けた側で管理する情報ではないのかと面食らうが、価格表を見せられて「どの程度の値段だったか思い出せ」と促され、まぁこれだろうというものを選ぶ。
一年の最後の日、古都の料亭でかくのごとく入手したおせちはずしりと重かった。3〜4人前の2段重とのことだが、密度を感じる重量感だ。
宿に備え付けの冷蔵庫にピタリとしまうことができるサイズだったのが気持ち良い。一安心して再び宿を出ると雪が強くなっている。近くのコンビニエンスストアで買い物をする。店を出て見上げると、緑と青に光る看板が雪を照らして不思議な光景を作っていた。
宿に戻って湯を沸かし、先ほど買ったインスタントのカップ蕎麦を食す。最低限の形で行事をこなすつもりだったが、思いのほか美味かった。しかしフリーズドライの葱だけは、私は許すことができない。

新年を迎え、身を清めて宿を発つ。古都の隣にある都市の片隅に位置する、私の生まれた町へ向かう。
都市間のスムーズな移動を実現した大規模旅客輸送システムを利用し、私は故郷の玄関口となるステーションに着く。何度も利用したその場所で、初めて利用する新しい昇降機に乗ってグラウンドレベルまで下降し、チケットコントロールを通過する。
周囲の様子が昔と全く変わっていて、過去の記憶にある映像を目の前の風景に重ねようとするのだが、目印となるような点すら見つからず、うまくいかない。
見上げると遠く天空で大規模な建設工事が行われている。正確には正月なので工事は一旦中断されている。大規模旅客輸送システムの路線の付け替えが行われているのだ。私がこどもの頃は地を這っていたものが、宙空を貫いて走るようになるらしい。新路線はまだ途切れ途切れで、軌道の一部であろう未完成部分が、完成した軌道の上に無造作に置かれている。斜めにはみ出すように重なっていて、今にも落下してきそうだった。
かつてはなかった大きな道路が町を縦貫していて、私の曖昧な記憶はさらに劣勢に追い込まれる。小学校、理髪店、お好み焼き店など、いくつかの現存するポイントで記憶をなんとか繋ぎながら、故郷の団地にたどり着く。

満足のいく写真を撮り終えるまで、食べることは許されない。
そのような暗黙の了解を経て、2段のお重は家族に開放される。これも行事としての食事ではあるが、もちろん美味かった。そうでなくては困る。いやらしい言い方だが、それなりに値が張ったのだ。
酢締め系のものが特に美味かったのは、もともと冷たいお料理だからだろうか。
運んだ際の重量感はそのままボリュームとして反映され、我々は舌だけでなくお腹も十分に満足させられた。元日の16時までというタイトな消費期限は余裕でクリアーした。しかしおせちというものは3が日の間何も作らなくていいように設計された一種の保存食ではなかったかという疑問は残る。

イベントとしても食事としても我々は満足した。全体的に計画は成功裏に終わったと言っていいだろう。一定の達成感を味わって、私は生まれた家を発って今住む場所に向かう。宿泊は考えなかった。そういう時世だ。
超高速大規模旅客輸送システムの座席に座って、窓から外を眺めるが、暗くて何かを視認することはできない。
ぎっしりと詰まっていたおせちを思い出しながら、極端に濃縮された年始と帰郷を重ね合わせてみる。
イベントで埋め尽くすようなスケジューリングを軽蔑していた人間だった私が、こんな年末年始を過ごしている。
それは時世のせいなのか、私自身の年齢のせいなのか。正直なところ、よくわからない。

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