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明星

切り通された崖の下の線路が西に向かって延びていて、それに沿った道を歩くと建物の多い都心でも、西の空だけが開けて見える。冬の気配が色濃くなって空は澄み、黄昏時の金星が放つ光が際立って明るく見える。
まだ地面に近い空は橙色で、上方の紫の空と途中で溶け合って、洒落た色合いのグラデーションを見せている。
目が慣れると他の星も少しずつ見えてくるが、やはり一番明るく美しい金星に目は戻されてしまう。
視認はできないが、惑星なので満ち欠けがあるはずで、今はどんな形をしているのだろうと思う。ここより西のどこかで空を夕焼けに染めている太陽からの残照によって、その顔の一部分を浮かび上がらせている金星。
夕陽に照らされる大好きな人の横顔なんて、世界でいちばんきれいなもののひとつじゃないか。
またうっかり彼女を思い出し、少し立ち停まってしまう。
風はもう冷たい。
惑うような軌道で空を動く彼女にもう一度だけ目をやって、ポケットに手を入れ再び歩き始める。路地に入り、もうその輝きは届かなくなる。未練がましく西の空に目を遣ったとしても。

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