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故に人身に宿りて

見なければよかったと思った時には既に目に入っていたわけで時既に遅く、三郎太は立派に伸びた角を握って、頸をすっぱりと切られた牡鹿の頭部を持ち上げた。重い上に臭う、が仕方ない。札は貼っていなかったが、この時期路上にある鹿の頭はまず間違いなく美津雄社行きの献物と決まっている。そして三郎太は今から三日ほどかけて美津雄の御神域のほど近くにある村落に向かうつもりだったので、黒々とした目に未だ光を宿すように見えるこの頭を社にまでお運びするのは彼の役目となる。見つけてしまったんだから役目は負う。古くからの決めごとに疑問はないが、何も今回でなくてもよかったろうにというのが三郎太の本音だ。左手で角を持って肩越しに鹿首を背負い、右手に大切に抱えるのはスミのために仕立てた着物を包んだ風呂敷で、つまり彼の旅の目的は求婚であって、うまく事が運べば往きに背負うこの臭い鹿の頭は、帰りには清楚な花嫁に取って代わられるはずなのだ。
三郎太は鹿肉を食わないが、食らう人達がいるのは知っている。祖父は薬だと言ってたまにどこから手に入れたのか猪肉を食っていたが、鹿も食っていたのかもしれない。うちには四つ足の獣を食うための宥免札はなかったから、そうだとしたら隠れて食っていたのだろう。免状もなく肉を食うと仏罰をくらうということだが、祖父は特に何の罰も与えられることもなく、死の間際まで家族に当たり散らし続けて往生した。特に義理の娘である三郎太の母は肉体的にも精神的にも殴られっぱなしで、それでも葬儀で涙したのを見た時に三郎太は母も狂っていたのだと断じた。祖父はやはり来世では酷い目に遭うのだろうか、だとしても今世に遺った誰の心も晴れはしないが。
などと思い歩いていると前から歩いてきた小柄な老人にいきなり怒鳴られる。抑揚も語彙も三郎太の知る言葉と少し違い、よくは聞き取れないが、「何をしているんだ」とどうやら三郎太に対して激怒している。元来気の強くない三郎太はいきなり怒鳴られたところで既に心を縮こまらせていて、でかい図体も小さくしながらよくよく老人の言い分を聞いてみると、鹿の頭の持ち方についてそれでは駄目だという苦言らしい。「ミツオ様へのササゲモノをそんな乱暴に背負うやつがあるか」と、身体の前で両手で持てと指示する。
突然服を脱ぎ出して老人を驚かせた三郎太は、屈んで大切な着物の包みを背中に乗せてから上を羽織り、しっかり帯を結んで服の中に荷物を固定、間違っても鹿の血や体液で着物が汚れないようにして、恭しく頭を腹の前で捧げ持つ。
老人は満足気な笑みを浮かべたが、それが大切な神への供物の扱いが正されたからなのか、自分の言い分を若者が聞き入れて思い通りになったからなのかは分からない。鹿頭を運ぶのが初めての三郎太は老人にそう伝えて、現地でどの場所で誰を訪ねるのかなど具体的な方法を訊いてみたが、老人は開き切らない口で「神の思し召し」的な言葉をもごもごと繰り返すだけで埒が開かない。おそらくこの老人も何も知らないのだろう、となるとこの鹿頭の持ち方も正しいのかどうか知れたもんじゃないな、と思いながら三郎太は旅を再開した。
人間の鼻が顔の前方についているからには、背中にあるより腹の前にあるほうが臭うのは当然で、臭気に痛めつけられ続けた鼻が麻痺して雨の予兆もかぎ分けられなくなった頃、三郎太はやっと宿場にたどり着いた。直後に雨は本降りになり、びしょ濡れになるのをすんでの所で回避できたはずの三郎太が再び戸外に出る羽目になったのは、宿屋の番頭が鼻をつまんで美津雄様への献物を外に出してこいと、言葉は柔らかいが断固とした態度で命じたからだった。親切にも「美津雄神」と書かれた幟を貸してくれて、それと一緒に街道脇の木の下にでも置いてこいと言う。この雨で屍肉がどうなるかは不安だったが、一方で誰か別の人間がこれを運んでいってくれるかもしれないという期待も感じながら、三郎太は年代物の幟がなるべく目立つように工夫して鹿頭を街道脇に設置した。すっかり濡れ鼠となって風呂を所望した三郎太は、番頭に笑顔で一番後にしてくれと言われた。

峠を越えなくてはいけない日なので早くに起きた三郎太は、甘い希望をすっかり捨てていた。昨夜、宿で夕食を共にした行商人は、今どき馬鹿正直に“街道送り”なんてやってるやつは行商仲間にもほとんどいない、捧げ物は神官たちが自ら集めるもので十分足りる、だいたい捧げ物は数がきっちり決まっているから外から追加されても向こうも困るのではないか、と三郎太の行いにはまるで意味がないと言う。悪いことは言わない、死んだ獣の頭なんぞ打ち捨てていけばいい、という行商人の忠告を無視して、三郎太は昨日と寸分違わず同じ位置に置かれていた鹿頭を両手に持って、雨は止んだがまだ霧の深い朝の街道を歩き始めた。“街道送り”で宿場間を行き来している山道用の杖を持っていくことを「次の宿に置いてくれればいいので」と番頭は勧めたが、こいつを抱えるからにはそもそも杖など持つことができない。番頭も言外に鹿頭を置いていけと伝えていたんだろう。三郎太は皆の温かい思い遣りに感謝しながら、半刻ほどで既に息を切らしながら尚も鹿頭を抱え続けた。
意固地になっているのか、それとも昨夜の行商人の言葉を信じ切れないのか、単純に神罰や祟りが恐ろしいのか、と三郎太は自らを省みるに、どれも当てはまるがどれも少し足りないと感じる。峠が近づくにつれて勾配が急になるのは知っていたが、その覚悟を事前にしていたからといって何か楽になるわけでもない。この街道を往来する先人が為したことだろう、九十九折の曲がり目にある木には、昔から番号を振った札が下げられていて、百八を数えれば峠に着くというのを三郎太は知っている。今までも何度か通った峠道なのだ。仏縁のある数字に合わせるためか、明らかに道は曲がったのに数が増えないこともあり、それが子供の頃から不満だったのを思い出す。初めて峠を越えた八つの歳の三郎太は、曲がりの数を百十四と数えた。大人たちは誰も曲がりの数の矛盾を気にしているように見えず、その数は自分だけが知るこの世の秘奥として永く三郎太の心に鎮座していた。
額から落ちる汗を拭く手がなくて目が沁みる。昨日の雨も吸ったのか重くなったように感じる鹿頭はやけに毛艶だけは良くて気を張っていないと滑り落としてしまいそうになる。慣れたと思う鼻も、日が高くなり温かくなってくるにつれていや増す臭気を再び感じ取り始める。足元は濡れそぼって歩きにくいことこの上ない。しかし三郎太は鹿頭を棄てられなかった。拾った当初のように背負うこともしなかった。これを手放すということは、スミの心が自分から去っていることを認めることだと、理由も分からず三郎太は思い込んでしまっていた。やはり百十四回曲がって峠にたどり着いた三郎太は、峠から街道を少し離れて見晴らしのある場所へ向かい、平たい石に腰掛けて暫しの休憩をとった。
達成感とともに、ほとんど見失いかけていた今回の旅の目的への希望を少しだけ見出せたような心持ちがした。峠からは大きな湖を中心に据えた美津雄の御神域が見渡せる。その風景の美しさは、八つの時を最初に三郎太がスミの隣で何度か一緒に見てきたものと変わらなかったが、荷が重いと山道はむしろ下りの方が辛いということは今回初めて知ったことだった。

峠の麓の宿からはもう湖は見えない。ほぼ同じ高さまで下ってきているので、よほど視界の開けたところに出ないと湖面を眺めることはできないのだ。それでもここまで来ると彼方此方に美津雄社特有の三角鳥居が見て取れて、既に三郎太は御神域に入っていた。ここでは全ての神の御住まいが、その敷地の四隅を三本の柱が三本の島木を支える奇妙な鳥居に囲まれて建つ。神社だけでなく、ごく小さな祠にもその四隅にそれに見合った小ささの三角鳥居が配置されていて、その執拗さに子供時分から三郎太は恐怖を感じていた。もし神が皆が言い伝えるようなものとして在るなら、これほどまでの徹底を人に要求する神は怖かったし、仮に神が実は人にはまるで興味がないのだとしたら、届かない思いを伝えようとする人間の愚かな執着をやはり恐ろしく感じた。どちらかというと今の三郎太は、神は世界が美しくあることにのみ関心があって、人やその営みなど眼中にないだろうという考えに寄っていた。
麓の宿には鹿頭は持ち込まなかった。お陰で三郎太は親切な客から愚かな行為を辞めるよう説得されずに済んだし、風呂を貰う順番も特に差別されなかった。道端の茂みに隠しておいた鹿頭は夜のうちに少しその向きを変えていて、朝から死んだ鹿としっかり目が合ってしまった三郎太を嫌な気分にさせた。鼠が齧りでもしたのか、耳が少し欠けてしまっていたが、一夜明けてもそれはそこに在り、つまり三郎太は糸取りの上手な婚約者に会う前に、これを然るべき場所へ届けないといけない。昨夜宿でスミから届いた最後の手紙を読み返した三郎太は、残念ながらその文面にも行間にも、新たな希望を見出すことはできなかった。12で結婚の約束をし、その半年後にスミは繭から糸を取る仕事の腕を買われて美津雄に奉公に出た。それから五年経つ。スミは三郎太の村に一度も戻らなかった。最後の手紙の日付は一昨年の春だ。此方は上手くやっているからもう心配するな、という内容の文面はやはりそういうことなのだろう、その後三度ほど三郎太が出した手紙に返信はなかった。
でも俺は行くのだ、と自分を奮い立たせて三郎太は四ノ宮に向かった。美津雄社は一ノ宮から四ノ宮まで四つのお社があり、それぞれ湖の四方に位置している。四ノ宮から順にお参りするのが作法ということになっているが、湖をほぼ一周することになるため、よほど脚が強くても丸一日かけて巡り切れるかどうかだ。献物の奉納先も知らない三郎太がとりあえず向かった四ノ宮は奇妙にひと気がなく、精緻な彫刻で飾られた横長い神殿が、時折吹きつける強風で立てる軋みがやけに大きく鳴り響いていた。三郎太の粘り強い呼びかけに応じて面倒臭げに社殿から出てきた宮司が言うには、鹿の頭を集めているのは二ノ宮だ、その奥の院で行う祭祀に使うからだが必要な数が揃えば献物はもう受け取らないだろう、献物の数が今どのような状況かは分からない、とのことだったが、明らかにその表情は、お前の行為は無駄に終わるだろう、と告げていた。二ノ宮といえばここから湖の真反対側ですからな、冬であれば凍った湖面の上を歩けたかもしれませんが、と宮司は笑ったが、三郎太はそれが冗談であることにも気づかず、右回りで向かうか左回りで向かうかだけを考えていた。

まさかこれほどまでに歓待されるとは思わなかった。片耳は齧られ腐敗臭も酷い鹿頭を大層有難がって受け取ってくれただけでなく、汚い身なりの三郎太を躊躇なく社殿に上げ、寛ぐためのひと間をあてがって茶や菓子でもてなし、是非日が落ちてからの祭にも参加してくれと言う。スミのことが頭をよぎるが、元々スミの奉公先は四ノ宮から半刻ほどの村に在り、最早今日中に訪問することは叶わない。それは四ノ宮を出てここに向かった時から三郎太が覚悟していたことではあった。後回しにしたのは結末を知るのが怖かったからか、鹿頭を奉納すれば何かが変わるなどと考えていたからか。いずれにせよ、今日はここに泊まらせてくれるようなので三郎太はこの数年ずっと先送りしてきた問題をもう一日後の自分に託すことにした。
二ノ宮の宮司たちに指示された通り、まず境内の裏山に湧いていた野天湯で身体を清め、用意された上等な紬の袖を通してその上に鮮やかな黄色の法被を羽織る。そして同じ法被を着た人の列に行く先も分からず着いていくと、屋根のある長く幅の広い板張りの廊下に、次々と鹿の頭やその他の四つ足の獣の頭、そしてその下に付いていた身体から採ったのであろう塊の肉、魚や海獣、雉や鴨や見たこともない鳥、三方に載せられたそれらが次々と並べられてゆく様を見る。三郎太の一家全員が一生かかっても食べきれないほどの肉が所狭しと積み上げられてゆく。三郎太たちは幅は三間、長さは十間以上あろうかというその廊下の先に連なる正方形の社殿に座り、祭祀が始まるのを待つ。
鹿の頭は廊下の両端に並べられ、その視線が廊下の中央に集中するように丁寧に配置されている。その他の肉や魚は特に決まりはないのか、てんでに並べられているように見える。日が落ちて暫く経ち、かなり見通しが悪くなった頃、中央の空いていた場所に巨大な半球状のものが運ばれてくる。まだ湯気を上げている蒸し米は少なくとも三升ほどはありそうだなと目を凝らしていると、突然境内じゅうの篝火に一斉に火が灯され、三郎太は思わず声を上げてしまう。そこへ神官が恭しく輝くような白木の三方に載せて捧げ持ってきたのは、耳を見れば見間違いようもなく三郎太が持ってきた鹿頭だった。
厳かに始まった祭祀の内容を三郎太は最早覚えていない。いつの間にか捧げられた獣肉や魚や鳥を無闇矢鱈に酒で流し込むような宴に加わっていた三郎太は、祭祀がどう終わったのか、同じ法被を着た人達と何か言葉を交わしたかすらも定かではない。食欲というより破壊衝動に憑かれたかのように喰らいまくり、やがて嘔吐してまた喰らい、呑み、祭祀の終わるのを待って境内に入ってきた人たちと歌い踊り殴り合い、混沌を極める状況の中で三郎太が最後に見たのは、知らない男の上に乗って着物をはだけて嬌声を上げるスミだった。それを見ながら、三郎太もまた、知らない女の上で果てた。

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