消失
「指切りしよう」とあの時言い出せなかったから、だから僕は彼女には、まさに指一本触れていない。
ベランダに通じるサッシを開けると、5倍ほどの音量になった蝉の声と蒸れた熱気が網戸越しにどっと入ってくる。そのあと台所側の小さい窓も開けるけど、なかなか風は通らない。
でもいつもと変わらず10分間はそうして換気を試みてから、あらためて部屋を閉め切ってエアコンをつける。
やはり顔に汗をかいてしまった。汗が床に垂れたりしないよう注意しながら、顔を拭いたタオルを首に巻いて掃除を始める。住む人が今はいないので、床に軽く掃除機をかけ、あとは流しと洗面台とトイレに水を流すだけだ。お風呂については迷いもしたが、カビたり虫が湧いたりすると厄介なので、住人の許可を得ないままに、週に一度は掃除することにしている。
掃除を終えると、本棚から一冊本を借りて、2時間ほど部屋で読ませてもらう。僕の中ではこれが彼女不在時のハウスキーピングをする対価ということになっている。
彼女の本棚は驚くほど僕のそれと中身が違っていて、共通している本は数えるほどしかない。しかしどの本も魅力的で、僕はこの時間、読書自体の喜びにふけりつつ、彼女にふれられるような喜びも味わう。どの本もいくつかのページの角が折り返されていて、彼女がそこで何を感じ何を考えたのか想像しながら読むのだ。
実際、今となっては彼女について何かを知ろうとするには、この本棚を通じてでしか為し得ないかもしれない。
時間が来ると僕は本を元あった場所に戻して部屋を去る。他にすることは何もない。書き置きを残したりもしないし、止まっているらしい時計の電池を交換したりさえもしない。
過度の干渉はできない。現状を留めることのみに専念する。
だって僕は彼女の恋人でもなんでもなく、ただ最後に会ったあの時「離れても友達でいる」という約束をしただけだ。指切りは、できなかったけど。
彼女が消えたのは5月の連休明け。
僕が異動前にいた部署を用があって訪ねると、そこにいるはずの彼女の姿がなかった。外出や休暇かもしれないなと思ったが、周囲の人に尋ねることはしなかった。気のせいかもしれないけど、「なぜお前が今更ここにいるのだ」的な雰囲気を感じてしまい、用があって来たことを周囲に認識されやすいようにやや大げさな動作をした上で、それが済むとすぐに立ち去ってしまったからだ。
例えば服を買いにいっても店員から「お前が?服を?選ぶの?その顔で?」と思われているのではないかと怯えたり、カフェやファミレスで飲食が済むと追い出そうとされているように感じたり、道に迷って引き返す際も携帯に電話がかかってきたフリをして周囲に迷ってはいない感をアピールしたり、つまり自意識過剰な僕のことだから、前いた部署の人たちの反応も僕の考え過ぎなのかもしれない。
ともあれ、その後も何度かその部署を訪ねたが、彼女はそこにいなかった。
なるべく短い時間しか滞在しないようにしていたのでよく覚えてはいないが、彼女の席に置いてある物はずっと同じ配置同じ状態のままだったと思うし、個々人の予定を書き込むホワイトボードも彼女の欄はずっと空白だった気がする。
僕と彼女を繋ぐものは、会社という「場」しかなかったから、僕は彼女と会う方法を突如として失ってしまった。
ひと月前、7月に入って本格的に彼女を探し始めるまでは、僕はただただ他人事のように目の前にある喪失を眺めていた気がする。
掃除と読書という午前の日課を終えて会社に向かう。僕の出勤はいつも午後だ。
彼女のマンションから会社へは徒歩で向かう。その最中、路上でまた人にぶつかってしまった。丁重に謝り、向こうもいい人で大きな問題にはならずに済んだ。直前まで向こうに僕が見えていなかったようにも感じられたが、おそらく僕の不注意だろう。
最近僕は、たとえばコンビニの飲料品売り場で目当てのものの隣りにある商品を手に取って気づかずレジに持っていってしまったりすることがよくある。目が悪くなった自覚はないので、注意力が減退してきたのかもしれない。
でも体感としては、自分という電球と世界というソケットの接続が悪くなったような、そんな表現がしっくりくる。もともと噛み合っていなかったものが、どんどんその齟齬を大きくしていっているような。
世界との折り合いの悪さは、誰しもそうだと思うけど、自意識をもって以来ずっと感じている。それを感じていない人が実在するかもと初めて思ったのが、彼女を知った時だった。
最初の印象は「自分と正反対の人間」だった。彼女は抜きん出たコミュニケーションスキルを身につけていて、状況の変化に応じて自らをアップデートすることを厭わず、つまり高度な社会性を常に発揮できていて、僕の持ち得ないものを全て持っているように見えた。
当然、仕事場では有能な社員として重宝されていて、彼女より後にその部署に加わった僕は、年下の彼女から学ぶことばかりだった。学ぶといっても手取り足取り教わるというものではなく(彼女にそんな暇はない)、もっぱら見て盗む系で、つまりは僕が勝手に師と仰いでいただけだけど。
とにかく、最初は「こんなに世界にフィットできる人間がいるのか」と、羨ましさを超越して脅威を感じたのを覚えている。世界に居心地の悪さしか感じたことのない僕にとって、交わる点のない別次元の人、それが彼女の第一印象だった。
会社のエントランスに着いた瞬間に着信があった。取引先からで、自分のフロアに上がる前にロビーのソファで電話対応することになる。
婉曲だが譲らない雰囲気を感じとった僕は、こちらが対応すべきかどうか微妙なタスクを請け負ってしまう。はねつける胆力も気力もなく、そんなやりとりをするくらいなら多少の面倒を引き受ける方がマシだ、といういつもの考え方。
もう一つ、今話している取引先の担当者の名前を全く思い出せない、という負い目もあった。会話は支障なく終えられたが、いつ相手の名前を口にしなければいけない状況になるかと怯えながら通話していた。その心持ちが無用な譲歩の理由のひとつにはなったかもしれない。切ってすぐに携帯の電話帳で確認する。そう、緒方、緒方さんね。
人の名前を覚えられないのは昔からよくあったが、最近はとみにひどい。同じ部署の同僚の名前も忘れたりして、こっそり行動予定のホワイトボードをカンニングしてから話すことなどもある。
覚えられなくなってきているのは人の名前だけではない気もしていて、最早自分の脳が現実についてこれ以上の新情報を受け入れなくなっているのでは、とすら考えている。これも考え過ぎだろうか。
そんな僕でも、彼女の話した言葉は一字一句確実に思い出せるのだ。
4年前の12月、ある取引先をともに担当することになった彼女と僕は、年末に向け賑やかさを増す街のレストランでランチ接待をしていた。媚びる様子は一切ないが相手の望んでいるであろう反応を自然に返す彼女に、取引先の女性はすっかり魅了されていた。僕はほとんど口を挟む必要も余地もなかった。
実際にそうだから仕方ないのだが、役立たず極まりない感じを存分に醸し出しながら彼女の光り輝く社会性を横目に眺めていただけの僕は、仕事の話が一段落して、長めのお茶タイムでの雑談が続いている中、いつもどおり文脈にそぐわないことを口にしてしまう。
「でもモラルって元々はフィクションの中にしか存在し得ませんよね」
あれは何なのだろう。突如抽象的・概念的な主張をし始めてしまう癖。もちろん自分なりに筋の通ったことを言ってはいるのだが、今ここで言うべきことではない。ああまたやったなーと他人事のように変な空気を見つめていると彼女は、
「わかる。フィクションを介してしか落とし込めないものですよね」
と言った。
話はそれで終わって彼女は上手に次の話題に切り替えたのだが、僕は自分がなぜいつもあんな変な主張をしてしまうのかがやっと理解できた。こんなふうに響いてほしかったのだ。敢えて響きそうにない、伝わりにくいことを言うことで、それがきちんと共有できた時の喜びを最大化したかったのだ。それは競馬で大穴ばかりに賭けてしまうのと似ている。大金が欲しいというより、低確率の馬券を当てた奇跡に酔いたい。
改めて自分のどうしようもなさを再確認しながら、僕は彼女がすっかり好きになってしまっていた。
電話を終えてオフィスに向かおうとエレベーターを待っていると、今僕がいる部署の社員数人が降りてくるところに鉢合わせた。軽く会釈してやり過ごそうとしたが、そのうちの一人に「俺らこれから昼飯いくんですけど、一緒にどうですか」と声をかけられてしまう。
僕が昼食を既に済ませていたのはいいとしても、話すことが何もないであろう面々と食事にいくのは気詰まりだ。例によって僕は彼らの名前をちゃんと覚えていないし、彼らを楽しませる会話ができないのはもちろん、彼らの会話を楽しむこともできないだろう。
しかし異動したばかりの僕が少しでも早く新しい部署に馴染むためには、必要な修業だと割り切らねばならない。おそらく誘ってくれたナントカくんも、誘いたくなんかなかっただろうが、部署のことを考えてそうしてくれたのだ。
僕は笑顔で応じ、社を出て一緒にイタリア料理店に向かう。
シェアするタイプのランチは、この部署の文化なのだろうか。適当に注文されたピザやパスタが大皿にのって供される。飲み会のようで慣れないが、腹は減ってないので問題はない。皆も僕が食べないことに気を遣ったりしないようだ。
というか、会話に自分が全く加わっていないことに気づく。彼らはずっと今の上司の問題点について議論しているようで、もちろん僕はその議題について意見も感想もないが、そもそも話を振られすらしない。
これは世間では常識とされていることだろうが、人々が誰かの悪口で盛り上がっている時に、部外者的な立場の人間は同意や共感を表明してはならない。それは求められていないし、ともすれば同意した人間こそが悪口を言っていた主体だということにされかねない。何故かはわからないがそうなっているのを経験的に承知しているので、僕はずっと黙っていた。そして何も食べなかった。つまり、全くやることのない小一時間を過ごし、僕はこの同僚たちをいつか少しは好きになれるのだろうかと考えていた。
好きになる。アクリルか何かで作られた筒の中に自分がすっぽり収まっている。「好き」という気持ちを口にする。それが液体となって口からこぼれ出す。それは筒の中に少しずつ溜まっていく。「好き」何度も口にする。その度に筒の中の水位は増していく。自分でもこれはまずいと気づいている。でも止まらず呟く。「好き」。そして水位はいよいよ顎あたりまで上昇し、僕は必死で水を上から外に掻き出そうと、両手をジタバタと動かす。「好き」と口にしながら。ジタバタで掻き出せる水分量と口からこぼれる量が一致してどうにか均衡が保たれ、ギリギリ呼吸を確保して、傍目には狂ったいるとしか思えない動きを続ける。
そんなふうに彼女への気持ちを募らせた。もちろんその気持ちを言葉で伝えようとか、その上で新たな関係性を構築したいとか、そういうことは一切思わなかった。
僕は誰にも気づかれず一人でジタバタしているのが好きなのだ。それは、自分がやりたい限り自分の意志だけで続けられることだから。
トイレに寄ると言って同僚たちと一旦別れる。
実際にトイレにいったら猛烈な吐き気に襲われて戻してしまった。昼はうどんだし消化はいいはずなのにと思いながらも、嘔吐するという自分の状態になんとなく納得してもいた。たぶん僕はどんどん適合できなくなってきているのだ。
既に日課のようになっているのだが、今のオフィスにいく前に、前いた部署を覗いてしまう。もちろん近づかず、遠くから彼女の不在を確かめるだけだ。前の部署の人たちに見咎められるわけにはいかないので、一瞬で確認作業を終える。
最近はそこに彼女がいることが想像できなくなっている。いたら逆に取り乱してしまうかもしれない。会いたいのに、いないことを確認しにいくというのも変な話だが、もう彼女がここに戻ることがないのは確信していた。
もう彼女の席には、誰か別の人が座っていたようにも見えた気がする。
会いたいかと言われたら会いたい。でも、会って僕から何か伝えたいことはない。ただ、もうあと少しでもいいから、彼女のことが知りたい。
彼女と話す機会はそんなに多くなかったのに、僕はいつもどうでもいい自分のことばかり話して、彼女の話をあまり引き出せなかった。「知りたい」より「知ってほしい」が強く出てしまっていた子どものような自分自身に呆れてしまう。
ごくたまに、彼女が自分について話してくれる時があって、例えば「実はお笑い好きで」とか、「歴女なんです」とか、そういう話を僕が意外そうに聞いていると、彼女は「これ、私の裏設定です」と言って笑った。
思い出す度に言葉を失ってしまう、絶対に忘れることができないシーン。
ようやくオフィスにたどり着くと、僕の席の前にドラム式の洗濯乾燥機が置いてあって、それが邪魔をして椅子が引けず座れない。皆が知っていることだろうが、洗濯機というものは家電の中でもとりわけ重い。この状況を解決するには庶務部に相談すべきなのだろうか。しかし内線番号がわからない。洗濯機が邪魔して内線番号表をラックから取り出すこともできない。
部署の誰かの手を借りるべきことか判断がつかない。同僚も特にこちらを見ようとはしない。この新しい部署では、洗濯機の移動など自分の裁量で行うことなのかもしれない。ただもしかしたら僕が知らないだけで専門の洗濯機移動業者と契約していたりするかもしれないから、勝手なことはできない。僕は洗濯機との共存方法を考え始めた。
少し右側にずらせれば椅子が出せるかもしれないが、そしてそれは全力で押せば独力でも可能だろうが、しかし右隣の席の人のテリトリーに洗濯機が侵入してしまうことになる。それは絶対にできない。そんなことをすれば洗濯機という物理的な障害以上の不都合が生じる可能性がある。
前の部署では右隣の席にいたのが彼女だった。
仕事中に喋ったことはほとんどない。よく観察するようになってやっと分かったことだが、彼女は仕事中はいつも不機嫌そうで、いつも集中していた。
僕はその不機嫌さを眺めるのが好きだった。この世界で現実にまみれる必要に迫られた時に不機嫌になるのは当然で、それを表現する誠実さと率直さに惹かれていて、また同じ思いを共有している気持ちにもなれたからだ。だから、変に話しかけて彼女に明るく感じの良い対応をさせてしまうことにはもったいなさを感じ(彼女はひとたび他者に対応するとなるとやはり恐ろしいほどの社会性を発揮するのだ)、僕はよほど必要な場合を除いて彼女に話しかけたりはしなかった。
不自然に見えないように注意しながら、そっと眺めていただけだ。
僕は洗濯機問題について積極的解決を求めるのを諦め、行動予定表に「以降在宅勤務」と記して会社を後にした。どこかから抜け落ちていくようなイメージを思い浮かべながらエレベーターで下り、会社から出たものの家に帰る気がしない。
あてもなく歩き出すとまたしても人とぶつかってしまう。初老の男性に、今度はあからさまに舌打ちをされた。腹は立たないが、自分が路傍の石ころにでもなったかのような惨めさを味わう。自分の存在が薄まっている気がする。
コンビニでお茶を買って自分が透明でないことを確認し、なるべく人のいない狭い路地を選んで歩き、結局彼女の部屋に戻ってきてしまう。
304号室。鍵はもともと開いていたので、不用心だとは思うがそのままにしてある。鍵を持たない彼女が戻ってくることだってあるかもしれない。
8月が終わる。会えなくなって4ヵ月近く、僕がこの部屋に来るようになって1ヵ月半。戻ってくることなんて本当にあるのだろうか。
そもそも彼女はどこに行ってしまったのか。
それすら僕には分からない。相談できる人もいない。
彼女の部屋に午後に入るのは初めてだ。陽の光の関係なのか、少し部屋が狭くなったように感じる。
ここにははっきりとした不在がある。
その不在が彼女の存在の可能性をかろうじて示唆してくれる。
だから僕は今、この場所が一番自分でいられる場所になっている。
ここの本棚には、僕が彼女に貸した本もある。おそらく彼女はまだ読んでいないのだろう。本棚の一角の、そこだけ本が横積みにされているエリアに置かれていて、そこは未読コーナーなのだと僕は理解している。
買ってきたお茶を飲みながら、午前の続きを読ませてもらうことにする。西陽が眩しくてカーテンを閉めさせてもらうと、部屋の静けさがより増すように感じる。本を通じて、彼女との対話に集中する。携帯の電源は落としておく。どうせやらなくてはいけない仕事など一つもないのだ。
彼女と本の貸し借りをするようになって、会話する機会も増え、ほんの少しずつだけ彼女のことを知っていき、僕はますます彼女に惹かれていった。
彼女もこの世界に居心地の悪さを感じていて、(そうは全く見えなかったけど)今の仕事は自分に向いてないと感じていて、仕事とは別の場所に自分の魂の置き場があると確信していて、フィクションに抗えない魅力を感じていて、文章芸術が好きで、物語脳で、つまり僕と話が合った。意外だったがもちろん嬉しかった。僕は有頂天になっていたと思う。
そして彼女と最後に会ったのは4月の下旬。僕が来月から部署が変わることになったと告げると、思ったほど悲しんでくれず僕はまた自分が自惚れていたことに気づいて意気消沈したが、彼女は笑顔で「部署が別々になっても友達で」と言ってくれた。
その時僕は「じゃあ指切りしよう」と小指を差し出そうとして、できなかった。曖昧な笑顔で頷いただけだった。
本に集中しすぎて、彼女の部屋を後にしたのは20時頃になってしまった。
ドアを出たところで隣の部屋の住人であろう女性に会い、軽く会釈をした。あからさまに不審な目で見られたので、自分の立場を説明しておいた方がよいだろうと判断し、努めて明るく話しかける。
彼女の不在の不自然さに触れないようにしながら、自分と彼女の関係など、丁寧に説明し終えたところで、不審げな表情を全く崩さずに聞いていた女性は一言だけ「何号室ですか?」と聞いてきた。
「ですから304です」という僕の言葉は、女性の不審の表情にさらに困惑と恐怖を加えたようで、女性は後ずさりしながらそれ以上何も言わず自室に戻っていった。
あれと同じ表情を見たことがある。
6月の終わり、仕事の引き継ぎも完了して、もう前いた部署を訪れることはないだろうなと思った僕は、思い切って彼女の向かいの席に座る後輩女性に、彼女の動向について聞いてみた。
その後輩とは前の部署の同僚の中でもとりわけフランクに話せる間柄で、だから僕はその質問に対して明確な不審&困惑&恐怖を顔に滲ませられたことに少なからず動揺した。
「誰のことを話してるんですか?」
本当にわからない、という様子だった。後輩のその声が大きかったこともあって、周りの元同僚もこちらを見て、やはり不審そうな目を向ける。
彼女の机はある、ように見える。行動予定ホワイトボードに彼女の名前もある、ように見える。
でも彼女は、もともといなかったことになっていた。
それは部署皆の共通認識のようだった。
僕はそれを理解してからは、状況をわりとすんなりと受け入れたのを覚えている。
そういうことも、ある。
世界から脱落し始めていた僕にとって、彼女も同じようにこぼれ落ちてしまっていることは、一種の福音のようにすら感じられたのだ。
住人には不審がられたものの、次の日も朝から僕は彼女の部屋に向かった。
頼まれたわけでもないハウスキーピングをして、読書。
会社に一旦向かって、変わらない状況を確認し、在宅勤務という名で再び彼女の部屋で読書。
ページの角が折られているところを見つけては、彼女と対話しているような気持ちを味わう。彼女の了解も得ずにこうしていることを咎める心もあるが、僕はこの部屋でならとても充実した時間を過ごせるのだ。
先月、僕が自力で彼女を探し始めて、最初にしたのがこの部屋を訪ねることだった。
名簿に住所が載っていた。もちろんそれまで訪ねたこともなく、そこまでの仲でもなく、いきなり押しかける非常識さは承知していたが、「いなかったこと」になっている状況が僕を後押しした。ある種の非常事態なのだ。そこに彼女がいて、めちゃくちゃ迷惑がられたり軽蔑されたりしても、それはそれでいい。
幸いオートロックではなかった。インターホンを押し、ノックもしてみたが不在。それを3日繰り返してから4日目、僕は部屋に鍵がかかっていないことに気づいた。
中で倒れているなどの想像もはたらき、「入るよ」と大声で言ってからドアを開けた。
正面に見える窓が開いていた。灯りもついていた。玄関には何足かの靴、傘立てには傘、洗って乾かしている食器、机の上にいくつかの書類。きちんと整理されてはいるが、彼女がさっきまで暮らしていたかのような部屋だった。
ちょっとコンビニまで行って鍵をかけ忘れたような。
会社では誰も認めることがなく僕もうまく確かめることができなかった彼女の不在が、ここでははっきりと感じられる。彼女は確かに存在していた。
今日はメジャーを持ってきて測ってみた。部屋は明らかに狭くなっていた。玄関から窓までの奥行きは変わらないが、幅が減少している。
不思議だが、幸い本棚は狭まってない側面の壁についているので、今のところ読書に影響はない。
明日も測って一日にどのくらい狭くなるのかを計算しよう。この部屋が消滅する日が特定できたらそこから逆算して本を読む速度を決めなければ。あるいは全て読み終えられないかもしれない。
そんな焦りから、0時近くまで長居してしまった。しかしさすがに宿泊するわけにはいかない。静かに部屋を出ると、管理人を名乗る男が話しかけてくる。
苦情がきていて。困るんです。住人も不安で。関係者以外は禁じられてて。用もないのに。警察に通報しないといけなくなる。会社はどこ。
などのようなことを言っているが、眠さもあってしっかりと聞く気になれない。
「うちは304号室なんてないんです。オーナーが縁起をかつぐから、各階4号室はないの。だからあんたの言ってることは…」
最後まで聞かずに僕は彼女のマンションを後にする。
家に帰ろうとするが、タクシーが捕まえられない。
空車は何度も通りかかるのに、僕が見えないように過ぎ去っていく。道路に大きく出て手を振ってもダメだ。危うく轢かれそうになる。
終電も過ぎていて仕方なく歩いていると、また通行人がぶつかってくる。もう舌打ちすらしない。暗いからかもしれないが、何か見えないものにぶつかったかのようなリアクションだ。
3人目にはかなり勢いよくぶつかられ、僕は突き飛ばされて路上に尻もちをついた。
たぶん僕はもう、ここに存在できなくなってきているのだろう。ある意味では死んでしまっているのかもしれない。確かに肉体はここにあってこんなふうにペットボトルのお茶を飲んだりできるけど、魂という意味では既に消滅してしまっているんじゃないか。いつからそうなのかは分からない。とっくの昔からそうなのか、彼女と会えなくなってからなのか。
自分が実はもう死んでいるのかもしれない、という考えにたどり着いて、やっと寝心地のよい寝相を見つけたような一種の安心感を味わう。いくつかの飲み込めていなかった違和感が消えてゆく。世界との接続の悪さも納得がゆく。
だとしたら今ここにある肉は誰のものだろうか。眩しさや眠気や腹が冷える感じを伝えてくる身体。ここにギリギリ繋がっていて、意図するにせよそうでないにせよそれを操作してすらいる僕はいったい誰だ。死んでいるのにまだ身体にしがみついている、これこそが旧くより偉大なる先人達が「捨てよ」と教えたもうてきた執着というものなのか。
僕は既に死んでいて、ただ成仏できず、執着だけで未だ腐らぬ肉に接着されていると。
ならばその執着の根本にあるものは何か。
もったいない精神。いい線をついている。およそ人が自死を選ばないのはこの精神によるのではないか。もしかしたら何か別の用途に使えるかもしれない、という根拠なき希望的観測によって捨てられずにいる使用済みの道具。用途が不明瞭なまま放置され、忘れられた頃には道具自身の物質的限界に達し、晴れて死を迎える。
それもないとは言えないが、今の僕にとって根本的ではない。
彼女のことを知りたい。
やっぱりそこに行き着いてしまう。自分のことを彼女に知ってほしいというのは諦めた。この関係に双方向性はもはやあり得ない。
準備を始めないといけない。
残された時間はあまりなく、すべきことは決まっている。
世界から脱落するなら、速やかに脱落し、その上で然るべきゴールを目指さなければ。
2時間以上かけて徒歩で家にたどり着き、即ベッドに横たわる。疲労感が僕の肉体が未だ存在することを伝えてくる。身体(コイツ)はよくやってくれている。まったく、頭が下がる思いだ。
朝、決意を実行に移すことにする。
預金を全額引き出して現金にして持ち歩く。
それだけのことでこんなにも現実から逸脱した実感が味わえるというのは、僕も思った以上に卑小な人間だったわけか。現実と手を切ることを希求すると口では言ったりしてながら、実際的な行動は何も起こしてこなかった。
あとは会社に辞めますと伝えれば、いや、その手続き自体が現実的だし何より面倒だ、ただ行かなくなって連絡を絶てばいい。
結局、現実との接点なんてそんなものだったのだ。「最後は金目でしょ」。イエス、その最後を断ち切れば、あとは自分の執着を自分で処理するだけだ。
彼女の部屋に入る。もうここから出るつもりはない。
食料や日用品を大量に買い込んでみたが、こんなにいらなかったかもしれない。部屋は加速度的に狭くなっているようだ。
幅を測るのもやめた。意味がなさそうだ。
それより彼女の本について、読む順番を考えよう。限られた時間、優先すべきものから読んでいかなくては。
ここにずっといれる。ここで終えられる。本を通して彼女に触れ続けられる。ワクワクする。人生で一番ワクワクしている。
部屋は目に見えて狭くなってくる。
最終的には幅が完全にゼロになり、部屋も僕も世界も平面になるのだろう。
この世界ではねじれの位置にあって交われなかった彼女と僕という直線も、二次元の世界でならどこかで必ず交わることになる。
それでも交わることがないとしたら、
それは彼女と僕が美しい平行線を描いているということ。
そっちのほうがなお望ましい。それならば二人は永遠
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