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算命学的・恋愛のはなし①

こんにちは!四月一日庭の車田です。
今日のテーマについて。
昨年の後半から、恋愛における話を聞くことがなんだか増えたなぁとふと感じたのです。
しかも、そこには年齢や性別、国籍、既婚・未婚といった社会的条件や立場は関係ありません。
というか、そういうものは恋愛の前では無意味ですよね。。
ついにこのジャンルについて書く時が来たか。。などと思いつつ笑
恋愛というのは本当に改めて特殊なものだなぁと思ったのです。

そんなこんなで、今日は、算命学の視点から恋愛について書いてみようかなと思います。


算命学的、パートナーの縁

人は、いろんな要素で惹き合います。
例えば、算命学上では、夫婦の縁となるような組み合わせというものが何種類か存在します。なので、相性などを見る場合は、それらの組み合わせをお互いの命式で持ち合わせているのか、持ち合わせているとして、どこに、幾つ持ち合わせているのか、出会った時や結婚した時にどんなタイミングだったのかなどをみていきます。

面白いのは、その縁の種類です。
おそらく、一般的な感覚では「調和」の度合いが強ければ縁が強いと思うのではないでしょうか。
もちろん、そういう組み合わせもあります。
しかし、その真反対の「粉々に壊し合う」関係というものも存在します。

そもそも、単純に魅力を感じやすい組み合わせは、五行の中でも相剋(そうこく)といって、水に対して火であるとか、火に対して金であるとか、融合とは反対の作用のある組み合わせだったりします。
これは、人間が男(陽)・女(陰)に分かれていることに由来します。
この反対の性質同士が融合することで子供が生まれるのですから、気質においてもその法則が働きやすいと言えるのです。

また、この相剋の関係性の2人が出会うと、お互いの質をまた別の質へと変化させるという法則が働きます(変化しないものも二つだけ存在します)。
それはつまり、実際の自分の質ではないものになることができるとも言えるので、そういう相手と出会って恋愛をしている時間というのは、まさに自分が自分じゃなくなるような、特別な時間帯と言えます。

調和し、融合する組み合わせの縁は、2人で何かやろうとすれば、1人でできる範囲を大きく超えて、できることが倍加していきます。
壊し合う関係は、スパイスのようなもの。自分では思いもつかないような視点を与えてくれるわけで、夫婦として共闘して人生を進んでいくなら、とても頼もしく視野を広げてくれる相手となります。

ですがこれは、どちらにせよ相手を信頼していてこそ意味があります。

そこに信頼がなければ、ただの腐れ縁として、お互いを苦しめるだけの鎖になってしまう縁もいくつかあります。

このような縁は恋愛以外の、例えば仕事のパートナーとか、親子とか、性別関係なくそういう部分で使えるものもあります。

恋愛と結婚は別

ちなみに、算命学上では、恋愛と結婚は別物です。

それは、恋愛する相手に求めるものと、結婚する相手に求めるものは明確に括りとして分けられているからです。
同じ人もいます。そういう人は恋愛相手と結婚相手、それぞれの場所に出ている星が同じなのです。
こういう方は、恋愛=結婚になりやすく、恋人として付き合う時点で結婚を考えやすいです。
ですがそうでない人の方が多いので、基本的には別物と考えていただいて良いのではないかなと思います。

算命学上のこうした性質は、ご自身の中で気持ちを整理していく時に、または客観的に落ち着いて自分自身の心と向き合う時に、役に立つのではないかなと思います。

さらに言えば、その場所に他にどんな条件が重なっているのか、そういうことによって、自分自身の恋愛や結婚に関する癖のようなものを知ることもできます。


恋愛は「生きる」ことの醍醐味の一つ

ここまで、算命学的な視点でお話ししてきましたが、ここからはちょっと個人的な意見を書きたいと思います。

人間が人間として生まれ「生きる」意味は、湧き上がってくる本能的な「何か」を自分なりに思考して、時には思考をすっ飛ばして「感じて」決断し、行動していくことにあると思います。
なぜなら、私たちは生身の実在として、今ここに確かに存在して「生きて」いるからです。

私は、算命学によって自分を知ることは、自分の頭で考え、決断しながら生きていく上でとても有意義なことだと思っています。
なぜなら、どんな選択であれ、自分自身の決断をこれでよかったのだと思えることは、自分にとっての幸福の一部を確実に支えてくれるからです。
自分を信頼できていなければ、常に不安がつきまとうことになり、その状態は幸福ではありません。

ですがだからと言って、算命学で出てきた結果に縛られるものでもなければ、黙って従うものでもないと思っています。

そのことを強く感じさせられるのは、この恋愛というものなのではないのかなぁと思ってしまいます。
恋している方は、女性であろうと男性であろうと、まず年齢という「時間的な枠」が簡単に消えてしまいます。この意味は、何歳になっても、初めて恋した時のようになってしまうという意味です。
そして、何歳であってもその内側から漏れ出るような煌めきを隠すことができません。

動物的な本能とか、肉体的仕組みとか、そんなことを持ち出して説明することもできますが、例えば女性でもう月経が終わっていたら恋をしないかといったら、そんなことないですよね。
実際に私はそういう方々を何人も見てきました。

そんなものの前では、算命学的な相性など持ち出しても仕方ないのではないかと思ったりもしますが、やはりそれなりの縁は存在します。

そこからどんな流れの中にあって、どんな流れが今後予測されるか、そんなこともみることはできますが、それがどんなものであれ、気持ちをコントロールすることはとても難しいものです。
苦しむ方も本当に多いですが、恋愛というものからしか得られないものがあるのも確かなのです。
そしてそれは、本当に尊いものだろうとも思うのです。

例え苦しむかもしれないような縁であっても、それを知ってそこで別れを選べるほど、人間というのは理性的にできていないように私には思えます。
選べる人もいると思います。
ですがそれは、ご自身の中で納得がいくまで悩み抜いたからできるのであって、そうでないのにそんなことができるような人を私は見たことがないです。

人は、誰かと本当に、心の底から分かり合えたと感じた時に、極上のカタルシスを覚えるのではないかなと思います。
想いが、同じ温度、レベル、波長、旋律に乗っていると感じられたような時、「正しく」通じたと感じた時、自然に調和しているような感じでしょうか。
これは、結構難しいことだと思います。
なぜなら、算命学的に明確ですが、人は皆各々の時間を生きているからです。

だからこそ、私は「心から好きだ」と思える誰かに出会えたことそのものが、本当に素晴らしいことだと思いますし、大袈裟に聞こえるかもしれませんが、それは奇跡みたいなものだと思います。
まして、そういう相手とひととき人生を共にしようと、お互いが思えただなんて。

苦しみや悲しみ、恨んだり憎んだりということもあるかもしれませんが、そういうことも全て引き受けてこその奇跡なのだと思います。
そして人間には、やはり恋愛でないと発動しない感情レベルがあるようにも思います。
だから、夢みたいなことも、戦場のようなことも、天国も地獄も味わい切って、自分にできる精一杯でもがいたらいいのではないかと思います。

その判断は、自分の心と頭でするのです。
あくまで、自分の人生の舵取りができるのは、自分だけなのです。
でもいつだって人は、結局は自分で決めて生きていきます。
それができなくなっている人は、恋愛の醍醐味を享受できているとは言えないのです。
それがわかっているので、私はどんなご縁でも精一杯応援しています!

最後は自分の心に聞いてください。
自分の中からしか答えは出て来ません。

恋してる(やや拗らせてる場合も)、全てのお客様に、心からエールを送りたいと思います!

ここまで読んでいただきありがとうございました!


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算命学の鑑定のご依頼も受け付けております。
鑑定料は1件につき60分8,800円となります。
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