器となる感覚① --極微極大論--
こんにちは!四月一日庭の車田です。
先日、富美菊にて2回目の算命学鑑定会が行われました。
店主さんからタイマーをお借りして、休憩を取りながらできたので、1回目よりは疲労感も少なく終えることができました。
放っておくと、やり過ぎてしまう性分なので、大変助かりました。。
そして、今回も鑑定にいらしていただいた皆様、本当にありがとうございました。リピートの方もいらっしゃいまして、ありがたい限りです。
さて、今回感じたことは、タイトルにある通り、器となる感覚です。
今回、鑑定書に関して前回とは違って統一した点があります。
それは、潜在意識領域と顕在意識領域の性質を分けて記載したことです。
そういう分け方をしてみて思ったのですが、その人のことがよりわかりやすく整理されましたし、どこに矛盾があるのかも理解しやすくなりました。
当然のことながら、本能的な潜在意識においての気質は、自分でコントロールしようとしても、簡単にできるものではないため、やはりその領域にある矛盾や、心の場所に置かれている星の重要性を改めて感じました。
なぜそのように分けることにしたのか、以下、算命学のとある理論と意識についての話になります。
極微極大論
これは、「きょくびきょくだいろん」と読みます。
算命学の数ある理論のうちの一つです。
極微極大論とは、極微論と極大論が一体となって初めて真価が現れ、運命学として使用する価値が生まれるとされています。
人間の宿命を表と裏の部分から論じたもので、陰の宿命が極微論であり、陽の宿命が極大論です。
算命学の命式は「陰占(いんせん)」と呼ばれるものと「陽占(ようせん)」と呼ばれるものに分かれています。
極微論に支えられている十干十二支のみの占いを陰占
星算出によってできる占星術を陽占
と呼んでいます。
このように、算命学は陰・陽二つの部分で構成されているのです。
極微論とは
『人間は天命を受け、天の意志をこの地上の世界で再現するのが役目である』
これが、極微論の言わんとするところです。
生きることは役目そのものであり、死は役目の終了を意味します。
算命学におけける「人間」は、皆矛盾を抱えており、どこかが欠けた存在とされます。
だからこそ、これだけたくさんの「人間」が存在しており、日々、調和が図られている。
もし、完璧な男女が1組いれば、世界は完成するはずです。
でもそうなっていない。
それは人間がそもそも不完全であるから。
不完全ということがむしろ、この世界の調和を図ることにつながっている。
そう考えていくと、ただ生きているだけで、人間はこの世界の調和を担っているものということになります。
少し話がずれましたが、この極微論の世界は人間にとっては潜在意識の領域になると、私は思っています。
つまり、本能世界です。
人間に生まれたからには、何らかの役目を背負って生まれてきていると、私たちは考えがちです。ではその役目というものがあるとして、自分自身のそれを知っている人はどれだけいるでしょうか。
役目役割はそのまま、生きる目的のようなものになっていくことが多いでしょう。
それは、誰かに言われたからわかるものでしょうか?
違いますよね。それは、いつの頃からか、自分の心の世界で芽生えさせたものであるはずです。
その心の中で形成された生きる目的、生きるための夢、人生観はどこでできあがったのでしょう?
それは「経験から」と考える方も多いでしょう。
しかし、皆同じような経験をしたとしても、やはり人によって違っていくものであるはずです。
幼稚園や小学校で同じ授業を受けても、「好き」「嫌い」や「得意」「不得意」などによって差が出ますよね。
この「好き」「嫌い」や「得意」「不得意」はどこでできあがってくるのでしょうか?
「遺伝」と答える方もいらっしゃるかもしれません。
算命学では家系を無視することはできないため、この遺伝の要素ももちろんあります。
しかしそれでも、親と子が必ずしも同じにはなりませんよね。
人の心がそもそも、どこにあるのか、現代の脳科学者が言えるのは、「脳には存在しなかった」ということだけ。
どこからともなく湧き出てくる抗いようのない世界。
それが天命の世界。
極微界なのです。
この極微界(陰占)にある星によって、本能的欲求が支えられています。
心とは何か
極大論に移る前に、この話をしなくてはなりません。
正直、心とは何かと書いてしまうと、壮大な話になってしまうので、ここでいう心とは、極微極大論を説明する上で必要な解釈としての心のことと定義します。
極微世界と極大世界がある、それが陰占と陽占に表されている。
このことについてはわかっていただけたかと思いますが、その二つの世界をつなぐものが何かということなのです。
天命が人間に伝わるところまでを極微の世界、人間が天命を受け、現実の世に行動として再現するまでを極大の世界として分けています。
ここで、天命が人間個人に伝わる様をイメージしてみていただきたいのです。天命を下すものはこの自然界に他なりません。
例えば太陽(丙)は地上のすべてのものに広く平等に光を注ぎますよね。
この太陽の光エネルギーを個人のものとして、ある一点に置き換えたとすると、どのように捉えたら良いでしょうか。
小学校の時に理科の実験でやった、虫眼鏡で太陽光を集めるアレをイメージできないでしょうか。
その光は、光である時にはそこらじゅうに霧散しているように思えますが、レンズを通した途端、白い紙に黒い点を作り、なんと火を発生させ、燃やしてしまいましたよね。
このように、エネルギー変換が行われ、確かにそこにエネルギーが存在することが可視化されました。
算命学における心の存在とは、このレンズのようなものと考えています。このレンズの役目こそ、人間個人の役目であると考えたのです。
そしてこのレンズを構成している物質に当たるものが、人間の本能。
本能には大きく分けると5種類あって、それぞれの相互関係、摩擦や軋轢、強弱によって生まれる二次的なエネルギーが感情と言われています。
心とは『五大本能エネルギーとその働きによって生じる二次的なエネルギーを包括したもの』
感情とは『本能の働きによって生じる二次的エネルギーのみ』
では、私たちの生きる目的とは、一体何なのでしょうか。
極大論とは
極大の世界は、顕在意識の世界と私は考えています。
人が想像できることは、実現できると言われますが、先ほどの極微の世界とは違って、もうすぐにはじめの一歩を踏み出せる世界です。
肉眼で見ることのできなかった、あたり一面に霧散している太陽光が、紙を燃やすという現実世界における肉眼で確認できるエネルギーに変換された世界。
極大の世界は、極微の世界に存在するエネルギー理論を立証するための世界と言えます。
陰陽五行説では、人間小宇宙論というものがあります。
天地人という考え方にも通ずるものですが、例えば現代科学的に説明するとするならば、人間の細胞の核のさらに内側にあるミクロな世界については、未だ解明されていません。解明されていたら、この世から病気で苦しむ人はいなくなります。
これは、量子力学の世界にも通じますね。
つまり、人間は体の中に未知を持っており、その解明とマクロ世界である宇宙の解明は近しい場所に解があるように思えます。
現象や規模は違って見えても、その理屈を支えている部分には共通点が多くあるのではないかという見解です。
それは何がしかの真理に近いものであるだろうと思います。
とにかく、この小宇宙(極微の世界)からやってくる、理屈はわからないままでも、何となく行動し、何となく言葉を発していくことで「性格」と呼ばれるものを自分で認識したり、「人柄」と呼ばれるものが、自分が自覚できる形で形成されていったり、そういう世界になります。
ここは良いところとか嫌なところとか、自分で自分を評価できる世界です。
その自覚と、現実行動と、思考によって得られていく経験値や出来上がっていく人柄が、極微の世界のエネルギーを確かに立証していく世界なのです。
おそらく、皆さんの意識はこちらの世界に根強くあって、そちらを重点的に生きている方がほとんどではないだろうかと思います。
それはそうですよね。そうしないと仕事もできませんし。。
ここからは、潜在意識と顕在意識の話をしたかったのですが、それにしても、ちょっと長くなってきましたので、また次回にいたします。
今回は、ちょっと難しい内容だったかもしれません。
算命学を学んでいる方でも、ちょっと難解だったかもですが。。
授業ではもっと詳しくご説明していきます!
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
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