母の白血病闘病記!生きていくうえで希望は大事
生きていくうえで希望は大事。
母の白血病治療を通して感じたことをまとめました。
私は医療従事者ではありませんので、医学的なことは分かりません。あくまで素人の感想になります。
母が急性骨髄性白血病に
80代の母が今年の1月に急性骨髄性白血病の診断を受けました。
これまで大きな病気をしたこともなく、元気にグラウンドゴルフにも行っていたので、信じられませんでした。
母は父と夫婦2人暮らしです。父の方がこれまで大きな病気をしてきました。父は自分が先に逝くものと思っていたようで、大きなショックを受けて一気に老け込みました。
母もショックを受けていましたが、治療を希望。
医師の説明によると、高齢者の白血病は完治は難しいそうです。強い抗がん剤を使うと身体への負担が大きく、かえって寿命を縮めることもあるそう。
なので、母の治療の目標も完治ではなく、寛解(かんかい:骨髄内の白血病細胞を抗がん剤治療で減らし、正常な造血が回復してくる状態)を目指すのだとか。
数値はかなり悪いようですが、見た目には分からず、母は1日でも早く治療を始めたいようでした。
医師の説明を聞くと、希望がもてないように感じられ、本人に告知するのも残酷な気がしました。
今はがん患者さんに告知するのが一般的ですが、病名はともかく、あまり悲観的な見通しを伝えるのもどうなのかと思います。
もちろん、個人差はあり、はっきり言ってもらいたいという人もいるでしょう。ただ、母はそのタイプではありませんでした。
どちらが良いのかは分かりませんが、しばらくでも生きていける可能性があるのなら、可能性にも触れてほしかったです。
化学療法が始まる
翌日から点滴と飲み薬による化学療法が始まりました。
病院は感染予防のため面会が出来ません。毎日電話して母の状態を確認していました。順調に進んでいたのですが、1週間ほどして、腕の点滴部が腫れてきたそうです。あっという間に39度代の高熱が続き、医師から「とても危険な状態です。何が起こってもおかしくありません。」という連絡がありました。
抗がん剤を投与することで白血球数がほぼ0になると、通常なら考えられないような箇所からでも感染することがあるそうです。
家族からすると、どうして点滴部から感染するの?ちゃんと消毒してくれたのかと考えてしまいます。
家族も最悪の場合を想定していました。化学療法を始めて10日目に骨髄検査をしてその結果しだいで、化学療法を中断することになりました。
感染症を治すのを最優先にするとのこと。
骨髄検査の結果は白血病細胞が2%になっていたそうです。
家族で喜びましたが、その後もなかなか熱が下がらず、白血球数は増えませんでした。
白血病細胞が見かけ上なくなっても、白血球が増えないと寛解とは言えないそうです。
頻回に輸血をしていました。ごく普通の一般人であってもクリーンルームで最高の医療を受けられる日本の医療制度は素晴らしいと思います。
いったん退院することに
白血球数は相変わらず増えませんでしたが、母は3月初旬、いったん退院することになりました。
そのときの医師の説明も、次の治療ができるのかどうか分からない。家でゆっくり過ごして下さい。というような、終末期を思わせるようなお話でした。
母が言った言葉が忘れられません。「それだったら、あのときに死んでしまえば良かった」
母は腕からの感染で高熱が続いたとき、本当に命の危機だったそうです。医師にしてみれば、「あの状態から回復したのが奇跡と」いう言い方に聞こえました。
でも、死ぬのが1か月程度伸びても、母は嬉しくないみたいでした。
私は介護休業を利用して1か月ほど実家に帰ることにしました。
そのような状態での退院だったので、母はすっきり楽しむという感じにはなりませんでした。
もし、先生が「また体力が回復したら、次の治療を考えましょう。」と言ってくれていれば違ったのではないかと思います。
退院後の診察のときに次の治療について聞くと、「治療をすることで、寿命が短くなることもある。前回は感染症を乗り越えられたが、次回はどうなるか分からない。もし肺に感染したら、命にかかわる」という内容の説明。今は治療するメリットがないとのことでした。
輸血を毎週していましたが、待ち時間も長く、母はかなりきつそうでした。
もちろん、家に帰り、庭の花を見たり、バラエティ番組を見て笑ったり、楽しいこともあったと思います。
ただ、白血球数が1000以下になり、疲れやすく寝ている時間も多かったです。
母のようなタイプの人にとっては、希望が持てずに生きていくのは苦しみなのかもしれません。
2回目の入院
母はその後、再度入院して治療することに。白血球が200位になりその上、8割程度ががん細胞でした。そうなると、治療する方がメリットになるそうです。
外来での説明では、あいかわらずリスクを強調されました。
感染のリスクと、治療しても今回のように白血球が上がらないかもしれないとのこと。
そんなのやってみないと分からないよね。と思うのですが、病院というのは常に最悪の事態を想定しておかないといけないのでしょう。
母の治療をそばで見ていて、希望というものが人の生きる力になることを実感しました。
希望が持てない治療は辛いです。
医師は、データと経験から話されているのでしょう。なので私たちは母に「先のことは神様しか分からないよ。」と言っていました。
突然、前触れもなく白血病になったのだから、急に治ってもおかしくないですよね。
2回目の入院については、また後日まとめます。
最後まで、お読みいただきありがとうございます。