金曜日の教授
金曜日の教授は、リビング以外に部屋が4つある最上階のマンションに一人で生活している80代の男性。10年ほど前、脳梗塞を起こし「病院に自分ではって行って助かった」というのが自慢。右足がほんの少しだけ言う事をきいてくれないそうだ。
教授は、昔どこかの大学で何かのデザイン?の教鞭をとっていたそうだ。教授は、だいたい元気だが年齢と、病気の既往と独居であることから、介護保険の要支援1。健康管理のために週に一回、理学療法士(リハビリ)と看護師が隔週で訪問している。時間は60分だ。
今はもっぱら株主生活。訪問中も、株のテレビ番組がずっとついているし、証券会社の担当から毎日電話もある。教授は一人暮らしだが、この電話のおかげで「さびしくない」と言っている。
ある日、理学療法士(リハビリ)の岩ちゃんから”ちくり報告〜”とメールがきた。
(岩)「家に行ったら、高そうなサプリメントがいっぱいあったんだけど。飲み終わったら別のも頼むとか言ってるよ。詐欺じゃない?」
(私)「え?教授ボケてはないよ?」
(岩)「いやいや、詐欺は正常でも引っかかるから」
(私)「まあ、教授はお金ありそうだからいいんじゃない?」
(岩)「もう!だめよ!ケアマネージャーに一応伝えておくね!」
医療従事者同士の情報共有ながらフツーにこんなやりとり。
教授はせっかちで前のめりだけど、まぁそーゆー性格。高そうなサプリ購入のことを次の週の訪問で探ってみた。「・・・ところで教授。なんのサプリメント飲み始めたんですか?」
すると教授は、黙ってスッと席を立ち、広いリビングの向こうへカタカタと杖をついて歩き、色違いの箱を3つと杖を持って歩いて来て、机に並べた。
「へへへ。話早いね〜」・・・先週聞いた話だけど、なんだかうれしそうだ。
教授は「これは骨」「これは膝」「これは筋肉増強」とカラフルな箱を一つずつ指して教えてくれた。
これが噂の詐欺かもサプリメントか!箱からして高そうだな。
「・・・歩きたいんですかぁ?」とわざわざきいてみた。
「そうだよ!若いときみたいにズンズン歩きたいわけ!」と間髪入れずに返事。
「ほー・・・。今も歩けるじゃないですかー。それじゃだめですか?」
「だめだね!」
声でかい・・・。そうなんだ・・・。この急な”歩きたいスイッチ”ONはどこからきたんだろ?
「80代をこんなに奮い立たせたのは、なんなんですか?」
教授はカラフルな骨筋系のサプリ箱を満足そうに見わたしながら言った。
「オリンピックだよ〜。毎日見てたんだー。いやー若いって素敵だね。筋肉も美しい!僕もああなりたいんだ!」
あ!なるほど〜、それか!聴いてみないとわからないものだ。想像もしていなかった。教授の目はキラキラしていた。燃えていた!
教授は理想の姿を夢見て、しっかり自分で選んだのだ!騙されてなかった!そもそも株の配当で食っていけている人だから心配はしていなかったけど。
こんなことが他の家でも起きてるだろうな・・・と思った。オリンピックの年はサプリメント会社の株を買うのがいいかもしれない・・・。
さて、ここで訪問看護師としては、教授の"歩きたいスイッチ”をOFFにしないようにしつつ、チクリとお伝えしないといけないことがある。私の頭の中はこうだ。
”80代。一人暮らし。脳梗塞後遺症ですこーしいうこときかない右足。血液サラサラの薬を飲んでいる。やる気全開でサプリメントを飲み、勢いで運動し(ここまではいい)まさかこけたら・・・頭打ったり流血したら?骨折したら?ひとりだぞ?週に一回しか訪問しないぞ・・・次に来たら、床に倒れて腐っているかもしれない・・・”
最悪それは避けたい・・・。訪問看護師はこのくらいの想像力は必要だ。
スイッチを消さずに、ボリュームだけ下げられないかな・・・。
80年以上使っている筋力・心肺機能について、「骨か筋肉か」はどっちも大事だ!の説明に時間を要し「張り切りすぎないように、ひとりでも安全にできる運動の指導をリハビリの先生にスパルタで教えてくださいってお願いしておきますね!」と伝えた。
教授の表情が少し曇った「んー。ただ座って筋トレって楽しくないんだよなぁ・・・」葛藤しているようだ。「んーつまらない・・・」
数分黙って考えていたが「そうか!」と言って教授は顔をあげた。教授の目にキラキラがもどった。
「彼女を作ればいいんだ!」
おお!なんて前向き!一番いい方法だ。教授は独身だ。部屋は埃まみれだが、外に出る時はちゃんとしている。おしゃれは好きで昔はアイビー・ルックをバッチリ着こなしていたらしい。
『あ!でもだめだ!」上がった顔が下を向いた。
「僕ねー。彼女には、なんでもかんでも求めちゃうのよ。朝も昼も夜も散歩に付き合ってくれる女性なんていないよねぇ・・・これまでもそんなんでフラれたんだぁ・・・」
まさかの懺悔!そうなんだ。教授フラれたことも分析できている。
「あー。そんな女はいないかもしれま・・・(いかんいかん!)いやいやわからないですよ」と”歩きたいスイッチ”をなんとか消すまいと必死で頑張る。
「そうだ!名案きた!」
「朝、散歩してくれる彼女と、昼、散歩とお茶を飲んでくれる彼女と、夜散歩して仲良くしてくれる彼女を作ればいいんだ。」
「君は、僕の体を看(み)てくれる彼女ね」
あはは。いつの間にか、私も彼女になってましたけど。”歩きたいスイッチ”が消えなかったからまあいいか。
つづく
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