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このゴシップが溢れる世の中偏見という言葉を考えてみる

世間では、偏見とか固定概念という言葉を

よく使いますよね。

東出さんの不倫のニュースでも東出さんばかり、または唐田さんばかり責めているという男、女に対する偏見!という言葉を目にしました。

たしかに偏見とは偏っていること、中心にいない、中正でないことです。だから、片方を責めること偏見なのかもしれません。

だから偏見と言ってあたかも正当化しているのは正解であるかもしれません。

ただ、私は偏見って本当に色んな面から物事を見ている人は使わない言葉なんじゃないかと思うんです。


本当に偏見がないなら、

まずその人がなぜその物事をそのような解釈でとらえたのか、とらえるのか考えること

から始めるんじゃないでしょうか。


そして考えて、痛みを知れば赤の他人がその人物に成り代わって偏見という言葉を発することがなくなるのではないでしょうか。


考えることをやめて、違う意見を持った相手に

偏見

この2文字で収めることは考えることを放棄しているように見えました。


まぁ、それも私の偏見なんです笑

自由に何事も考えたいですね。


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