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としまえん閉園のニュースから私が思い出について考えること

初めて行った遊園地はとしまえんだった。

親に手を引かれて恐る恐る入園し、当時入り口にあった絶叫アトラクションから上がる悲鳴に涙が出た。

初めて行った巨大プールで兄に波のプールの端がどうなってるか知りたいと浮き輪のまま引っ張られ、のまれ、死にかけた事もある。

毎回暑さで足の裏を火傷したんだっけ。

夏になると家から毎晩見えるとしまえんの花火を、ベランダに家族で並んで座って鑑賞した。スイカを食べたり、アイスを食べたりしたなぁ。

大人無しで、友達何人かと初めてとしまえんに行った時は冒険した気になっていたし、初めてのジェットコースターもその時だった。

帰りに寄るトイザらスが大好きだった。

小学生になると、何年かに1回『としまえん潰れるんだって!』そんな会話を聞くようになった。

でも、一向に潰れなかった。

昔から幽霊が出るというウワサもよく聞いた。

そうしたら、いつの間にかウワサを逆手にとってとしまえんというホラー映画を制作していた。

コスプレの日にはコスプレイヤーの方がたくさん訪れて、グロテスク系のアニメを模している人もいてなんだか更にホラー感が増した日もあった。

練馬区民の成人式はとしまえんのプールの更衣室だ。大学の友人がディズニーと自慢げに話す傍ら、自らはプールの更衣室という状況に笑ってしまった。むしろいいネタだった。


くろちゃんが来たときには、お祭り騒ぎになったっけ。


そんななんだか微笑ましい地元の場所。


そんな、私のソウルプレイスとも呼べる場所が変わってしまう。


なんだろうか。この寂しさは。

つい先日無料開放日があった。

久しぶりに訪れたとしまえんは相変わらずで、よくわからないけどトムとジェリーを全面に推しつつ、ブタとウマのキャラクターも推しつつ、なぜかトーマスが走り、そしてプロジェクションマッピングで木に老人の顔が映り喋っていた。ブタとウマのキャラクターが歌う謎なプロジェクションマッピングのショーも上映していた。


相変わらずカオスだ。


しかし、変わらず幼い子供達が走り回り楽しそうに過ごしていた。歴史あるメリーゴーランドも、ゴーカートも何も変わらず動いていた。

訪れると毎回おねだりして買ってもらっていたクレープ屋もそのままだった。

初めて乗ったジェットコースターも。

初めて見たとき怖かったソーセージの像も。


新しいものが生まれると古いものはなくなっていく。

それは当たり前といえば当たり前の話である。

だが、なんだか家族が亡くなったような喪失感が心のどこかにポッカリできてしまった。

きっとあの場所に行くと忘れていた思い出を引っ張り出すことができていたのに、

なくなってしまうと、忘れていたかけがえのない楽しい思い出を思い出せなくなってしまうのではないかと気づいてしまったからだろう。

 

今はスマホでいくらでも思い出を形に残すことができる。

でも、その瞬間をスマホにとらわれすぎてないだろうか。スマホに記録するが、自分自身何を見ていたか体験できていただろうか。ちゃんと見ることができているだろうか。

死ぬまさにそのときに

スマホを見返すことはできない。

死んでからスマホを持っていくことはできない。


だからこそもっと意識的に自分に思い出を刻み込もうと思う。


としまえん、ありがとう。





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