【六本木クロッシング2022展:往来オーライ!】
森美術館が3年に一度開催している日本の現代アートシーンを総覧する定点観測的な展覧会「六本木クロッシング展」に行ってきました。気になった作品をご紹介します。
玉山拓郎さんの「Something Black」
玉山さんはインタビューで、作品の持つ意味やメッセージ、思想が前提にあって作品を作るというより、まずは作品を作ってみる事で自分自身も鑑賞者に近い視点から作品について思考していると言っていました。自分がこの真っ赤な灯に包まれた空間から感じた事は、こんな内装のレストラン創ってみたいと思いました。
人が作った空間は目的を持っています。そこには合理性や利便性、簡単にいえば使いやすさを追求したデザインになっているのが当たり前です。レストランという空間は食べる目的のために設計され、美味しく食べてもらうために居心地の良さをテーブル、椅子、食器に求めますが、この空間が、もしレストランだとしたら、どこを机にするか椅子にするか立って食べるか座って食べるかはお客さん自身に委ねられます。さらにこの真っ赤な光の中で食べ物の楽しみの一つである見た目も全て赤に染まり消されてしまいます。そうすることで、日常の食べやすさや当たり前の暮らし易さを再発見することができるのではないか?または、見た目で赤にしか見えない分、香りや食感にも敏感になるのではないか?そんな妄想をしながらこの空間を楽しみました。
AKI INOMATAさんの「影刻のつくりかた」
この作品は一見単なる木の彫刻の様に見えますが、ビーバーが削った木をわざわざ人間のサイズで人間と機械が再現したという作品です。
作家は国内5つの動物園にいるビーバーに木片を与え、かんだりかじったりされた後、その木を元に約倍の人間のサイズでビーバーがかじった木を再現するという作品で、ビーバーの骨格、歯形まで研究し忠実にコンピューターの掘削機で再現した作品と彫刻家が掘ったものが展示してあります。作者はビーバーと機械と人によって削られた木片から何かを感じて欲しいと言いますが、、その作品を作ることに、何の意味があるんでしょう?何の価値が生まれるんでしょう?経済合理性からみると無駄な興味や好奇心からうまれた作品は意味も価値も目的も評価も気にせず、ただビーバーが木を削る行為を再現することで作品となっています。
現代アートを見ていてよく思うのは、もしかしたら自分は芸術作品が好きなのではなく芸術を生み出す人間やそれを評価する人間、それに金を出す人間に興味があるのかもしれない。と思ったりもします。
人は合理的に欲求や願望を叶えようとします。
一方で芸術家は非合理的で一見無駄にしか思えないことに魂を注ぎ込みます。
この行為自体が人間の証なのではないかと思うのです。
そして、その無駄な行為こそイノベーションや発明のヒントになるのではないか?
「生産性から創造性の社会」が意味するのは意味や価値にとらわれたり、他人が欲しいもの、したいことに迎合するだけでなく、自分自身が見ている世界をもっと社会にさらしてもいいのではないか?それをしているのがアートであって、それは行為の哲学なのではないか?とも思ったりします。
美術展に行くことは作品の鑑賞以上に、人間自身の思考、人間の文化を考える機会でもあります。
森美術館で同時に展示されている「カオの惑星」の作者山内祥太さんは2017年、逗子アートフェスティバルでも展示をしていただいています。
今年の逗子アートフェスティバル2023年はトリエンナーレの年となり、総合ディレクターを担当させてもらいます。日本で唯一ドクメンタに招聘されたシネマキャラバンの凱旋展示も楽しみです。
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