題名のないお寿司会
久しぶりの本降りの雨の中、わたしは夜の銀座に降り立った。
寒くて、地図画面を開いた携帯を持つ手が震える。
いや、体は寒くない。緊張しているのだ。緊張からむしろ体はぽっぽしていた。
彼女が記載してくれた店を目指す。
ほどなく、細いビルにその名前を見つけた。ドアの向こうから盛り上がる声が聞こえる。
今日わたしは、散々悩んだ挙句、"ひとり"でこの店に来ることを決めたのだ。なのにいざ入ろうとすると、なぜひとりで来たのだろうと後悔が押し寄せた。
足まで小鹿のように(太ったから子豚か、)震える。
意を決してドアを開けると、カウンターのみの7席すべてが埋まっており、予約していたわたしは少し戸惑ったが、追加で椅子が用意され、端に着席した。
隣には可愛らしい女性が座っていて、勝手に親近感がわいた。会社の偉いおじさまたちに連れてこられた女の子だと思っていたわたしは、この後不慣れなのは自分だけだと思い知らされる。
どうやらカウンターに座っている方は各々ばらばらの客ではなく、団体だった。つまりは7:1なのだ。
そしてどうやら皆さんはクラシックの話をしている。
わたしはヤマハ音楽教室に通っていたことがあるが、小学生のうちに辞めてしまった。音楽の才能はなかったし、準備をだらだらするわたしに母がブチギレたからだ。
わたしの中でクラシックは、たまの眠れない時に聴くものであり、土曜日の朝、ふとつけていた"題名のない音楽会"で聴くもので、それ以上でもそれ以下でもなかった。
クラシックのお話をされる皆さんは、やがて音楽家であることに気がつく。
上機嫌な彼らは、熱く音楽を語り、ご自身のCDを配ったりサインをもらったり、それをお店でかけ、さらには楽器を取り出し始めた。
「ちょっと吹いちゃおっかな〜♪」
彼らにわたしは見えないんだわ、まだ死んでないけどwと思いながら、とても新鮮で高貴なのにユーモアの溢れたこの環境が、既に心地よかった。
そこに、隣に座っていた女性が「ちょ!お客さんいるのに!すみません!」と話しかけてくれた。優しくて可愛い女性は、連れられてきた美人新米社会人ではなく、奥様だった…。ご主人にも説明してもらい、なんとなく輪にいれてもらった。
お寿司屋さんのご主人含めプロフェッショナルしかいないこの空間に、ニートがひとり。
そうしてわたしは、来店から1時間後には泣いていた。
え?なになに?どうした?ってなりますよね。
わたしも、いまだによくわからないのですが、聞いてください。
泣いたのには、ちゃんと2つ理由がありました。
ー ホルンの音色があまりに美しかったから ー
ホルンって、こんなに綺麗な、そして、メインになる楽器だったんだと思った。
優しくて、でも大きくて、ものすごい包容力だった。
中学生の時、吹奏楽部に見学に行き、フルートがやりたいと告げると、フルートは空きがないからホルンをやってほしいと言われ、吹奏楽部に入らなかった自分を後悔した。
だけど、こうして、偶然なのか運命なのか分からないけど、生のクラシックに触れるきっかけが死ぬ前に出来たことにとても嬉しくなった。
コンサート、行ったことないけど、場違いで緊張しちゃいそうだけど、行ってみたい、そう思った。
ファゴットという楽器も初めて知ったし、皆さんそれぞれ違う楽器を演奏されているようだったから尚のこと興味が湧いた。
皆さん楽しく酔いが回って、互いの音楽に聴き惚れながら、音楽論に夢中で、わたしが泣いていることさえ気付いてなさげなのもまた良かった。
ー末期癌のわたしが、縁もゆかりもない彼女の紹介で銀座で寿司を食している ー
はじまりはこのnoteだった。
わたしが雲丹の肉巻きの話を書いたら、とある女の子から「食べてきてくださいー」と連絡があった。
もう既に前にエッセイとして書いたけど、もっかい言うけど、びっくりした。
"サポート"の存在はnoteを始めてから知ったし、わたしはamazon欲しいものリスト等もやるタイプじゃないし、知らない人が(しかもこんな凡なわたしに)お金をくれるなんて不思議だった。
とりあえず、即予約をすることにした。でもご主人がドイツ遠征をされるとのことで、来店は随分先になった。
そこからわたしは、まだ見ぬ雲丹の肉巻き、銀座の寿司屋、さえちゃんのことで頭がいっぱいになった。
さえちゃんのnoteの記事を読み漁り、さえちゃんの人となりを想像し、一緒に食事をする気持ちでいた。
さえちゃんは過激で繊細で、なんていうかドラマチックな文章を書く方で、光る闇のような印象だった。
もはや考え過ぎて「美味しいねぇ、さえちゃん?」って話しかけそうなくらいバーチャル彼女になっていた。(こうして文章にするとキモいな)
ともかく、わたしは、死にかけたあの夏を超え、完治を見込めない体とはいえ一時的にでも復活し、書き物なんて無縁な人間だったのになんとなくnoteを書くという行為に行きつき、さえちゃんのサポートを受け、テラハのえみかちゃんにならないと食べられないものだと思っていた"ザギンのシースー"を、こだわり抜いた食材で創意工夫が凝らされた逸品を、食べている。この奇跡。
そこに流れる美しき音色。
なにこれ?この世って、こんなに素晴らしいものなの?
そりゃあ泣くよね。
というわけで
わたしを延命させてくれた抗がん剤開発者の皆様、病院の先生看護師さんスタッフさん、バーチャル彼女改めさえちゃん、お寿司屋さんのご主人、音楽家の皆様。
感動をありがとうございました。
銀座でお寿司ってだけでもとっておきの初体験なのに、わけがわからない展開で死ぬまで忘れないでしょう。
わたしの人生第二章は、やっぱり素晴らしいものになるんだって、そう思った。
お父さんお母さんが悲しみ続けないように、短くても良い人生だったよって言ってあげられるように、わたしはわたしにしかない人生を歩みます。
ご主人の声で皆さんと一緒に写った写真は、いつか両親にだけ見せようかな。
最後に、グルメもなににしても、語れるほどの人間じゃないので、少ーしだけ。
"うにく"はトリュフの香りが口いっぱいに拡がるし炙りの加減が絶妙でトロけてとっても美味しかった…。
そして今回の発見は白子…!
数日前にも帰省時に白子を食していたのだけど、ここのお寿司屋さんでは白子をにんにく醤油でいただくようになっていて、これが初体験で、最高でした。(語彙力)
ご主人が秋田の食べ方なのかな?
心を込めて、ごちそうさまでした。