第4話 【1カ国目エジプト④】ベニス細川家「アフリカンジャーニー〜世界一周備忘録(小説)〜」
「ここは戦場なのか。熱気にやられそうだ―」
僕はタクシードライバーに連れてきてもらった宿の最寄り駅に降り立った。
見知らぬエジプトの雑踏に今にも飲み込まれてしまうのではないかという恐怖に心が侵食されるような気がしていた―
本当の最寄り駅まで辿り着け
「お前はアラビックか?」
明らかなぼったくりでふっかけてきはしたが、僕に空港脱出という希望を与えてくれたタクシードライバーが荒い運転をしながら後部座席に話しかけてくる。
初めは強い巻き舌で何と言っているのか分からなかったが、2度ほど聞き直したところでようやくハンドルを握る男が「僕がアラビア系なのか」聞いているのが分かった。
確かに僕の顔は日本人にしてはアラビア系よりだが、「お前らほど濃ゆくないだろー」と思いながら「違うよ。」と答える。
「そうか、じゃあインディアンか?」
それもまた違う。
「日本人だ。」
今度は真顔で答える。
「そうか。」
男は力無く相槌のような返事する。それから一言も発することなく、目的地に向かってただひたすらに車を走らせていく。
とはいっても、沈黙という雰囲気はあまり感じられない。
なぜなら、道路では自分の存在を必要以上に証明するかのように行き交う車やバス、バイク、トゥクトゥクのクラクションが永遠に鳴り続けているからだ。
例に漏れず僕を乗せたタクシーも、視界に車が入るだけで数回クラクションを鳴らすなどとにかく落ち着きがない。
右に左に前方を走る車を追い越しては、追い越されての繰り返しである。
とにかく、会話がなくとも車中外で常に騒々しい破裂音が響いていた。
「うるせぇな―」
そんな事を思う反面、日本とは明らかに違う光景に少しだけ気持ちが高揚するのを確認しながら横に置いてある相棒Millet(ザック)に左手を添える。
それからドライバーは片手運転で誰かと電話したり(もちろんスピーカーで)、経なのか歌なのか分からない音楽を流したり、その間も器用にハンドルの真ん中を強くプッシュしている。後部座席に座っている僕に対しての好奇心は既になくなっているようだ。
「濃ゆい顔をしてはいるけど、明らかにアラビア人でもインド人でもないよな。」
「もしかしたら、あれはアラビアンチックなボケだったのか?」
そんな事を思いながら自分自身が相手を警戒しすぎて、冗談も飛ばせない”すごくつまらない人間”に思えてきた。
次同じような質問があれば、「アラビア人に決まっているだろう。馬鹿野郎。」くらい答えてやろうかな。
「これも、つまらない返しだな―」
心のなかで"本当につまらない自分"を自虐的に笑ってしまう。少し余裕が出てきたのかもしれない。
「ついたぞ!降りろ!」
取るに足らない思考を一人で巡らせ楽しんでいると、前から声が聞こえた。
一人ぼっちの心細さを抱えて
「とりあえず外に出てからお金を払え!」
最寄り駅に着き後部座席からお金を払おうとすると、ドライバーに指示されザックを持って外へ出る。
そして、助手席の窓から空港での交渉通り300ポンドを渡すと男はこちらに一瞥もくれずすぐに走り去ってしまった。
後付けで更にお金を要求される事を警戒していたため車外からお金を払わせてくれたことに安堵したが、30分弱一緒の空間にいたエジプト人がいなくなったという寂しさがほんの少し込み上げてくる。
しかも、無愛想にそこから立ち去られたことが更に弱気な気持ちを倍増させた。
相場の10倍以上の金額をふっかけてきた相手に込み上げる感情ではないことは分かっていたが、それ程まで車外に出た瞬間に襲ってきたエジプトの熱気に自分を失いそうになっていたのかもしれない。
まるで車内からぼんやり眺めていた、クラクションが鳴り止まない道路に何も持たず急に放り出されたような感覚だ。
数分前までの余裕が嘘のように消えてしまっていた―
全然最寄り駅じゃないやんけ
「7時前なのに人いすぎやろ―」
ドライバーが僕に全くの興味を示さず去っていったのを見届けてから駅の方に目をやった。
降車した場所からは宿の最寄り駅と思われる建物の上部分(天井部)が見えるだけだ。
目の前には多くの露店が立ち並び、これでもかという罵声のような声で道行く客を引き留めようとしていた。
僕に対しては「チャイナ!チャイナ!」という呼びかけの他に、アジア人を揶揄するような目が一斉に向けられているような気がした。
露店では地面に布を敷き、ガジェットやおそらく偽物であろうブランドの服や靴、帽子、時計や明らかに衛生的ではない食べ物が売られている。
露店の客引きとその場を行き来するエジプトの人たちの勢いに気圧されそうだ。
一刻も早くベッドに辿り着くためにオフラインでも使えるMappsME(地図アプリ)で自分の現在地と宿までの距離を確認する。
後は日本人宿「ベニス細川家」まで歩いて行くだけだな―
「…おい…ふざけんなよ…」
心の中で"これはやられた―"と虚を突かれたような気持ちになった。
MappsME(地図アプリ)によると、宿の最寄り駅までは更に電車を乗り継ぐ必要があると表示されている。
僕が降ろされた場所は宿から数駅離れた駅だったのだ。
僕の指示が悪かったのかそれともドライバーの怠慢なのか。
いいや、きっと後者のはずだ…
「ザックを背負ってまた移動するのか…」
少し絶望を感じて立ち止まると、騒々しい雑沓が別世界の事のように感じられた。
「くそ…でもやるしかない。駅についただけ前進してるではないか…」
不真面目なタクシードライバーを僅かでも心の拠り所に感じてしまった自分を恥じながら、僕は気合を入れ直し雑踏を掻き分け駅の方角へと歩いていく―
ベニス細川家はどこだ
「周りの目がとにかく怖い―」
電車の乗り方が分からず駅構内で彷徨っている僕を見かけて助けてくれた、神のような老人のお陰で30分程掛けて宿の最寄り駅へと辿り着いた。
駅では有料のトイレに15ポンド払って入ったものの、現地の若者3人組がアジア人を揶揄するような目で僕を見てきて居心地が悪く用を足さずに逃げ出してしまったり、地下鉄と通常沿線どちらに行くのか迷ったりと、他にもいくつか嫌な思いをしたが急に声をかけてきてくれた老人の優しさでひとまずそれらを乗り越えられたのだ。
「Welcome to Egypt!」
老人が別れる直前に僕の背中に投げかけてくれた言葉を思い出しながら地下鉄の階段を昇り、宿の最寄りOrabi駅の外へでる。
「やけに静かだな―」
そこは、30分前の熱気とは想像がつかない空気が漂っていた。
建物を見る限り街自体は大きいのだが、"この街の朝"はまだ始まっていないようだ。
周りを見渡すとヨーロッパ風の石造りの大きな建物を挟んで、4車線ほどの広い道路を少しの車が行き来しているだけで人も数えるほどしかいない。
地図アプリを見ると宿まで1kmあるかないか。
よし、あと少しで辿り着くぞ。
重いザックを背負い右足の膝裏の痛みを感じながら、足を踏み出していく―
誰かの足跡をなぞる旅
「結局、自分のその目で確かめる方がいい―」
オフラインでも使える地図アプリは自分の現在地と宿の位置をピン付してくれているだけで道のりが表示されるわけではないため、都度進行方向を確かめて前に進む。
見知らぬ土地で自分の進んでいる方向が正しいのか確信が持てないという事が、これほど心細いものなのかと改めて心が締め付けれる思いだ。
それと同時に、僕が好きな旅行記に登場する人物たちも同じ思いを抱え進んでいたのかと思いを馳せてみる―
先人たちに思いを馳せていると"一人ではないんだ"という不思議な感覚に包まれ数十分前の高揚感が少し蘇ってきた。
やはり誰かが通った道をなぞることになっても、自分自身で経験するということは大きな意味を持つことなのだ。例えそれが些細なことであってもだ。
そんな事を思いながら、砂やホコリで少し霧がかったようなカイロの空を見上げてみた―
野良犬と廃墟を潜り抜けろ
「熱気はないが殺伐としているぞ―」
朝日に照らされ霧がかった空。
そして、目覚め前の刹那的な静けさがやけに殺伐とした雰囲気を醸し出している。
明らかに人がいるはずなのに、痕跡だけを残し静まっている大きな街。
それがこの街の最初の印象だった―
少し歩くと、日本で言う中型犬が数匹固まって死んだように横たわっていたり、反対に道路を駆けずり回っており犬が苦手な僕に更に殺伐とした気持ちを掻き立たせた。
歩道に横たわっているホームレスは、"ただならぬ雰囲気"の一端を担っているかのようにカイロの街並みと同化している。
高揚感と恐怖感の両方を持ち合わせながら、地図がピンを差している付近に差し掛かった。
しかし、それがどの建物か分からず自分の勘だけを頼りに6〜8階建ての石造りの建物に入り四角い螺旋状になった階段を登ってみる。
「まさに廃墟だ―」
そこにはもう何十年も動いていないだろうエレベータがあり、階段の手摺からは薄汚れた布の切れ端が垂らされていた。朝日が差し込まないため一気に薄暗い雰囲気に包まれていく。
少し階段を登ってエレベーターを見下ろしてみると、人が乗る部分は剥き出しになっていた。つまり、扉以外の3方向に壁がなかったのだ。
建物に入った時に"そんなエレベーター"のボタンを押しかけた自分に対して、少し笑いが込み上げてくる。いや、いきなり経験したこともない廃墟に足を踏み入れることになった旅の始まりに特別な"なにか"を感じたのかもしれない。
各階にある大きな扉も長い間開かれた形跡がなく、「こんな場所にホテルなどあるはずがない」と思いつつも、好奇心が僕の足をゆっくりと動かしていく。
そんな思いとは裏腹に最上階に昇りきったところで、重たいザックを抱え汗を掻きながら痛めた足で無意味なことをしている自分に対する呆れが込み上げてきた。
「こんな事をしている場合じゃないぞ。」
そう自分に言い聞かせながら、薄暗い階段を恐る恐る下っていく―
シーシャ屋の青年
「ヘイ!サファリか?―」
廃墟を脱出した後もなかなかホテルに辿り着けず、同じ場所をぐるぐるしている僕に後ろから声が聞こえた。
振り返ると、あと少しで店開きとなるシーシャ屋の準備をする青年がこっちを見ている。
「いいや、ベニスだ!」
僕は10m程離れた位置から大きな声で返事をした。
カイロには有名な日本人宿が2つあり、それが「ベニス細川家とサファリホテル」である。
この2つは同じ建物の5階と6階に位置しており、シーシャ屋の青年はザックを背負ってウロウロしている明らかに"迷子のバックパッカー"に救いの手を差し伸べてくれたのだ。
僕が答えた後「Welcome to Egypt!」と言いながら、青年はサファリホテルとベニス細川家が入っている建物の前まで連れて行ってくれた。
「この建物もさっきの廃墟とほぼ変わらないやんけ…電気がついているだけましか…」
エレベーターもあったが、やはり形だけを残して機能はしていない。
僕はそんな気持ちを隠しながら、青年に英語でお礼を伝え薄暗い階段を登っていった―
朝8時のお裾分け
「再予約が必要だ―」
重いザックを背負いながらやっとの思いで、「ベニス細川家」にたどり着きチェックインしようとしたのも束の間レセプションのエジプト人スタッフに再予約を指示された。
どうやら35時間のフライトと時差を読み違え、前日の日にちで予約をしてしまっていて僕の予約はキャンセルされていたようだ。
全く、いきなり間抜けで僕らしいミスである。
幸いドミトリールームのベッドは空いているということなので、電池が15%を切ったスマートフォンで10分ほど掛けて再予約を行う。
再予約後、エジプトポンドで現金を支払いレセプションの横にある部屋へと案内される。
部屋には6つのベッドが用意されており、既に朝の8時を回っているというのに電気が付いておらずカーテンのない薄いすりガラスの二重窓から薄暗い光が差し込んでいるだけだ。
すると僕の入室で起きてしまったのか、それとも"元々起きていたのか"目の前の二段ベッドの下に横たわるインド人が僕に声を掛けてきた。
「バナナ食べるか?」
僕が答えるよりも先に、束から一房バナナをちぎり僕に渡してきた。
ザックも降ろさず食欲もないのにそのバナナを受け取って皮を剥き始めた自分の滑稽さと、挨拶そこそこにバナナを手渡してきたインド人の突拍子さに顔が少し緩んでしまう。
「甘くて。美味しい。やっと辿り着いたんだ。」
シーシャ屋の青年の優しさと、インド人がくれたバナナの甘味が殺伐としたカイロの始まりを柔らかくしてくれたような気がした。
「なんだか、少しずつ外が騒がしくなっているな―」
エチオピア振りのベッドに安心したのか、カイロの街の目覚めと共に僕は深い眠りへと落ちていった。
◆次回
【ナイル川へ。その道中で出会う詐欺師に何を思うのか?】
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