第22話 【4カ国目ルワンダ③】赤い屋根の続く街「アフリカンジャーニー〜世界一周備忘録(小説)〜」
「遠い昔、写真で見た赤い屋根の続く街で―」
キガリの街並みはまるであの歌に出てくる歌詞のようで、辛さや惨めさが溶け込んでいくようだった。
僕はロストバッゲージで開いた心の隙間を埋めようと必死に赤い屋根が続く街を歩き回っていた―
キガリの街並み
「よし、そろそろいくか―」
昨夜(と、いっても朝3時)に、ロストバッゲージにより2日間着の身着のままで裸足にサンダルという極まった状況になってしまった自分に笑いがこみ上げてきた僕は空港隣接のカフェのソファで爆睡していた。
起きると時刻は8時を回っている。
3日間ベッドで眠れていなかったため、早くホテルまで休みたかった。
予約した宿までの距離をGoogleマップで確認してみる。
「7km 1時間45分」
表示を見ると「よし、いける」と思う自分がいた。
昨夜はバイクタクシーを捕まえるつもりだったが、朝になるとなぜか歩かなければ仕方が無い気がしていたのだ。
早くベッドで休みたいけど、歩くしかない。そんな気持ちだった。
もしかしたら、失敗続きで落ちていく自分を歩くことで押し上げたかったのかもしれない。
足元を見ると、300円の便所スリッパの先から足の指がでている。
アフリカの道は舗装されていないことも多い。これで歩けるのか。
「そんなの関係ないね。」
昨夜から打って変わって晴天の青空となったキガリの街に僕は繰り出していく―
千の丘の国の景色
「はぁはぁはぁ。なにくそ!」
空港を出て40分程、舗装されていない道を超え何度目かの坂道を僕は登っていた。
額から頬へ汗が流れ落ちている。「まだまだ―」
僕は急な坂道を、足が滑る頼りないサンダルで勢いよく登っていく。
登ること15分。一旦の坂の頂点にたどり着いた。
振り返ると同時に、心地の良い風が吹き抜けていく。
「あー。めちゃくちゃキレイだこの街。」
汗だくの身体で心地よい風を浴びながら見下ろしたキガリの街は、赤い屋根が続き山間を優しく照らしていた。
よく見ると、その一つ一つの屋根はトタン屋根だったり古い陶器瓦だったりするのだが統一された赤い屋根は自分がアフリカにいることを忘れさせてくれるような美しさを持っていた。
まるで、ルワンダ人の優しさ表しているようなそんな暖かい鮮やかさがそこには合ったような気がする。
疲れを癒やすようにその景色を眺めていると、景色が歌になって聴こえてきた。
【遠い昔、写真で見た赤い屋根の続く街で―ラララ出会う気がしていた―】
学生時代に良く聴いていた女性歌手の歌い初めのアカペラが鮮明に聴こえてくる。
(あれは、たしか北欧の国の景色をモチーフにしてたような…)
一瞬、そんな思いが浮かんだが「千の丘の国」と呼ばれるルワンダの景色に僕は心を奪われたのだ。
景色が歌になって聴こえてきたのは、この旅で初めてのことだったかもしれない。
歩く歩く歩く歩く
「荷物は4日後に届くから4日後の朝に空港に取りに来て。」
ホテルについて次の日にバゲージクレームから連絡が入った。
ひとまず、このトラブルに終焉が訪れることになったのだ。
バックパックがキガリに着くまでの4日間、僕はただひたすらにキガリの街を歩き回っていた。
安いサンダルで足が傷んでも、なにかに取り憑かれたように丘を超えていく―
前を向きたかった僕
僕にはある癖がある。それは、気持ちが後ろを向いているときにひたすら歩いてしまうというものだ―
ホテルに付いた僕は、急激に心細くなり「日本に帰りたい」そんな思いに包まれていた。
キガリ空港のスタッフの優しに触れたり、ホテルまでの道のりを歩いたりして気持ちを切り替えてはいたが「一人の時間」になるとネガティブな方に心が振れる。一度振れ始めた心針を止めるのは簡単ではない。
「旅をする覚悟の無さ」
「自分の考えの甘さ」
「事をうまく運べない惨めさ」
「持っていたものを失う辛さ」
「そもそも、予定にないルワンダなんかに来なければよかった。」
次から次にマイナスな思考が僕を取り込んでいく。
自分でコントロールできない部分も多いただのロストバッゲージなのだが、こういう渦中にいることになった自分自身に失望していた。
バックパックは返ってくるのだが、それでも一連の出来事は目に見えない部分で僕の心を少しずつ蝕んでいく。
海外でトラブルに合うということが、これほど心細いということを必要以上に感じていたのかもしれない。
それと、同時に「起こってしまったことは仕方ないだろ。ウジウジするなよ。」と"思いたい自分"もいた。
僕はその自分の影を濃くするために、毎日10Km〜20km程あてもなくキガリの街を彷徨っていたのだと思う―
歩く時間が頭の中を変えてくれる
【自分の焦点をどこに当てるかだろう?持っているものは何だ。】
日々歩く中で、僕は自分自身にそう問いかけていた気がする。
「現金がなくなったからなんだ。カードがあるじゃないか。」
「靴がなくなったからなんだ。足は今でもしっかり動くじゃないか。」
「服がなくなったからなんだ。また買い直せばいいじゃないか。」
「思い通りにいかなかったからなんだ。そんなことよくあることだろ。」
「しょうもない失敗をしたかななんだ。良いネタになったじゃないか。」
キガリの丘に踏み出す1歩1歩が少しずつ、僕の頭の中に"見るべき
部分"を刷り込ましていく。
滴る汗は僕の弱気な気持ちを少しずつ洗い流していく。
この4日間は「無いものは無い」と僕に認めさせ、無くなった部分に新たな何かを構築してくれたような気がする。
それは"経験"かもしれない。
諦めるということはシンプルだが簡単ではない。
動かし続けた二本の足が今回の出来事に対して"既に起こってしまったことに支配されても仕方がないという本当の諦め"を与えてくれたのだ。諦めるということは心を軽くしてくれる。
この時、僕は少しだけ新しい自分に出会えた気がした。
「何かを無くす事ができる」というのは実は幸運なことなのかもしれない―
ルワンダに来てよかった
そして僕は、この先の国で"新たな挑戦をすること"を密かに決意した。
(これは先の話で書きます)
無くなった部分に新たに構築された経験という器に、これまでにない自分を入れたくなったのだ。
登りきった丘から後ろを振り返ってみると、あの歌が聴こえてくる。
山間には赤い屋根の街が、穏やかに笑う空の色に包まれゆっくりと流れていた。
いろいろ合ったけど、ルワンダに来てよかった―
どんな景色が印象に残るのか
僕はルワンダにいた一週間、最低限の観光しかせずただひたすらに歩き回っていた。
観た景色といえば、「千の丘の国」と呼ばれるルワンダのキガリの丘から見える赤い街並みだけだった。
それでも、僕にとってルワンダという国はとても印象深い国になった。
旅ではいろいろな景色に出会う。中には、息を飲むような絶景もあるだろう。
それでも、やはり心に残り続けるのは「その国で自分が何を考え、何を感じていた」かということかもしれない。
シンプルに言うと「感情の振れ幅の大きさ」が訪れる国の印象深さを決定付けるということを、このルワンダという国での日々を思い返すと感じる。
旅をしていると、世界の絶景というものに全く心が動かないのに"何の変哲もない景色"がずっと心に残り続けたりすることがある。
後者は、そこに辿り着くまでの自分の【直の体験】が特別な景色を作り出しているのだと思う。
辛くても前を向く。そんな経験を通してしか見えない景色があるとしたら、僕が見た"ルワンダ"という国は間違いなく感情が乗り移った特別な景色をしていた。
心に残る景色に出会えたことは、この旅で僕が大切にしたい事を教えてくれた気がした―
エピローグ(歩き始めの僕)
ホテルに籠もって天井を見つめていると、ネガティブな感情が僕を包みこんできた。
「これはまずい。とにかく外に出て歩こう。」
僕は着替えもせず(てか、持ってない)、3日間着っぱなしの服で300円のサンダルを引っ掛けて部屋を飛び出していった。
ホテルを出て5分後、下腹部に軽い違和感が現れてきた。いわゆる小さな屁意というやつだ。
僕は素直に自分の屁意に従うことにした。
「プッシュゥ」
想定していた音より少々空圧が足りないというか、何か異物が混じっている音がした。
僕は不安になり、自分のおしりに意識を集中させる。
「….あ…これ…誤…誤爆している….」
とにかく、僕はズボンに物が染み込まないようにがに股で来た道をあるくしかなかった。
見る人が見れば(ププ..あいつ絶対漏◯しているじゃん。ププ)となる姿だっただろう。
絶望を振り払うために飛び出してきたのに、開始5分で「う◯こも我慢出来ないんか俺は…アフリカまで来てなにやっとるんや。」という新たな絶望に包まれてしまう。
「あ、そういえばロストバッゲージで替えのパンツもないんだった…」
これが本当の絶b…….
(いやー、ノーパンで歩くと色々開放されていいですなー)〜fin〜