(1)9ケ月のモラトリアム/20歳、はじめての転職
【50万:1月末】
このころ、両親の離婚がせまり結構バタバタしていて、しょっちゅう千葉から実家に帰っていたので、もう地元に帰ってしまおうと決める。
ある日突然、アコムから身に覚えのない電話がかかってきた。借入額の増枠を認めるという内容だった。確認してみると、父親に貸していた消費者金融のカードの借入額は、50万にもふくれ上がっていた。父は私に断りなく、私のカードの限度額を増枠していたのである。
間違いなく、自分の家族には、急いで解決しなければならない何かがおこっている。いよいよこのままではキリがない。急いで地元に戻って、カードを取り返し、一刻も早くこの状況をなんとかしなければと焦り始めた。
*
父は多摩のとある小さな市の職員だった。安定した生活をしていたと思うし、長男である自分も、それなりに幸せ育ててもらったと客観的には感じていた。
それでも父は、自分の人生に閉塞感のようなものを感じたらしく、20年勤めた市の職員をやめ、去年の夏ごろに”フリーランス“のトラックドライバーに転身した。しかし、さっそく数ヶ月で事業は上手くいかなくなったらしく、家にお金を入れることができなくなった。家に金を入れられず母に心配をかけられまいと考えたという父は、一時的にお金を貸してくれないかと私に泣きついてきた。秋ごろの話だった。
そのころ私は、千葉の安アパートを借り、とんかつ屋でフリーターをしていた。宅浪に完全に失敗し、高校をでてちょうど1年経った春に、逃げるように実家を飛び出した。なれない家事に苦しみながらも、小さい頃から人と一緒に暮らすことが向いてないと自覚していた自分は、一人暮らしの気楽な生活を十分に満喫していた。親との距離感もちょうどよくなって、今までの人生でも最も心地よい実感があった。
しかし、そんな心地よい気分も半年も続かなかった。父親の言うことを真に受けて、10万円を貸したことからはじまり、父の要求は徐々にエスカレートし、気付いた時には、自分名義の消費者金融のカードを作って、直接貸してしまっていた。
途中少し、退職金がたくさんあるのでは?などと疑ってみたりしたが、すべて母が管理しているから、そこから引き出したら意味がない、などと言い訳をされ、それも私は真に受けてしまった。
冷静になって今考えてみると、異常な親子関係である。だけど、当事者になってみると、異常なことも異常だと捉えられない病理が”家族”という閉鎖的な関係には存在する。
ツッコミどころしかない父の言動だったが、どこかで父を疑いたくないという気持ちと、超えてはならない線を心得ているはずだと、父の良心を信じたいという気持ちがあって、しばらくは様子をみることにした。
しかし、秋ごろから急に、両親の具体的な離婚の話が持ち上がるようになってきた。弟が中学校に行かなくなったり、夜家に帰らず警察に補導されるようになった。
母は憔悴気味だった。家庭の状況を聞くと、どうも父が家にお金が入れていないのだという。母を心配させたくないから父にお金を貸しているはずなのに、これでは意味がない。自分の家族に、異常が起こっているのは明らかだった。もしかすると、退職金ももうないのでは?という疑いが強くなった。
そんなさなかに、私の消費者金融のカードの限度額は勝手に増枠された。疑いが決定的になった。良心がわからなくなってしまうほど、父はお金のことで追い込まれている。当然、退職金ももうないだろう。そして、それを父は誰にも白状していないし、母もそれを知らない。自分が10万を気軽に貸してしまったばっかりに、父の強がりは引っ込みがつかなくなってしまい、父が自分の状況を正直に打ち明ける、失敗を認めてやり直す、その機会を奪ってしまったのである。
そんな自責の念も感じながら、私は千葉にきてから1年も待たず地元に帰る決断をした。両親の離婚と実家の片付けで忙しくなる、など様々な理由をつけ周りには説明したが、やはりもっと切迫した目的があった。
第一に、父からカードを取り返し、自分と父とは、金銭的な線を引く。第二に、安定した仕事について、この50万は利息が膨らむ前に自力で返済する。第三に、父が道から外れることのないよう、この50万を回収することを通じて密に父に働きかける。第三に、おこがましいかもしれないが、母と弟に何かあったときにはすぐかけつけれられるようにする。
*
転職の話を書きたかったのに、家族のことを長々と書いてしまった。
第二の目的を達成するためには、年収百何十万というアルバイトの収入ではあまりにも心もとなかった。ゆえに、とにかく早く地元で正社員になろうと考えた。今いる会社に採ってもらうのが最も近道だと思い、今いる会社の営業課長と人事部に相談した。「まずは契約社員で」と、元々いた地元の店に戻る話をつけた。
1月の終わり、高校を出てもうすぐ2年。同級生は大学の2年生の終わりくらいだろうか。慌てて橋本の物件をおさえ引っ越しを済ませたした私は、あらためて地元での一人暮らしをスタートさせた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?