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(2)バックヤードで大号泣/20歳、はじめての転職

【引越:2月はじめ】

 思い出深い千葉のお店とお別れし、橋本に引越しを済ませた。もといた地元の店で「まず契約社員で」と言われ働きはじめた。
 契約社員はどこまでも時給で働くため、残業の割増などはなく、賞与もないため社会保険つきアルバイトみたいなものである。立ち位置もフリーターとあまり変わらないけど、”正社員を目指している”という状況が状況で、プレッシャーは社員並。よって正社員よりも使い勝手がよく長時間労働させられがちである。しかし(まあ、仕事があるだけありがたい、最初は仕方がないか)と我慢していた。
 業態もオペレーションも違えば、売上も前の店の倍ある店舗なだけあって、なかなか仕事が追い付かず毎日かなりのプレッシャーを感じながらの仕事だった。仕込みも知らないことが多く、不器用で要領も悪く仕事も遅かったため、給料もでないのに遅番の日も朝9時から出たり、毎日始業時間の1時間以上前から仕込みをしたりして(これも正社員になるためだ…)と自分に鞭を打ち仕事に出ていた。

【優しさが邪魔をする:2月半ば】

 だんだん今のお店の厨房になれてくるも、やっぱり土日のピークになると手が追い付かず料理を溜めてしまったり、カットを失敗したりして怒られてしまう。
 社員の口調が荒くなってくるも、まあ、これが飲食業界だよな…ととくに何も感じようともせず怒鳴られながら黙々と働く。いちいち気にしていたら、仕事は続かない。
 なんだかんだで終業後は優しくしてくれるから、怒られたときの感情も一時的に忘れてしまう。A主任がコーヒーくれたり、X店長がビールくれたりして「なんだ、いい上司じゃん」てなる。今思えばこういう、怖がらせておいて優しくする、緊張と緩和で他人をコントロールするのって、常套手段みたいなところあるよね。こういうコントロールが、冷静な判断を邪魔して、会社から抜け出せなくさせる原因の一つだったと思う。

【"感じてはならない":2月おわり】

 A主任の口調に舌打ちと人格否定が入りはじめ、だんだんパワハラみが増してくる。
 主任が店長と話すときと自分と話すときの声のトーンが100オクターブくらい下がっていた。口調が激しいわけではないが、真綿で首を締めるように詰められた。
 「君は本当に頭が悪いなあ」「できないってことは、俺のことナメてるんだよね?」「そんなやつとオレは仕事したくなあ」「そろそろブチギレるよ?」「このままだと誰も君のことを認めてくれないよ?」などなど。
 A主任の揚げ忘れに気づいて、たとえば「すみません、エビを一本お願いします」と声をかけると、舌打ちをして、食材をぶん投げてくる。油が飛んで腕が熱い。

 いつもは優しいB社員もだんだん当たりが強くなってくる。この人は”過大要求と仕事の取上げ”で相手に影響力を発揮するタイプで、
①あからさまにさばけない量のカツを異常なペースで一気に揚げる
②カット場の担当者はペースを潰され混乱する
③B「なんでできないの?使えねえな。下がってろよ。オレがやる。」
④B、溜まっていたカツを一気に出し、周囲に「Bさんじゃないと回せない」というイメージを植え付ける。やられたほうは自尊感情が崩壊。
⑤B、一通り料理を出し切ったところで「おい、いつまでオレにやらせるつもり?やりたくないなら帰れば?」
⑥自分「お願いします、戻らせてください。切らせてください。」
⑦B「なに?やるの?てっきりもうやる気なくなってんのかと思ったわ」
 というお決まりのやりとりを2000回くらいやった。マッチポンプである。これを上手く使って人間関係、自分の存在感をコントロールしている。
 実際、仕事が早くて綺麗なことは確かで、本当に努力家なんだと思う。でも、このやり方を食らった方の精神的ダメージは、とんでもない。

 精神的にしんどくなりはじめたが、ちょうど両親も離婚が済み母弟も引っ越しを済ませたところで、ここでギブアップしたら、地元に帰ってきた意味がなくなってしまう。だから
(これは、これから厳しい飲食業界を生き抜けるように、あえて厳しくしてくれているんよな……優しさなんだよよなきっと……だって営業後は一応優しいし……)とコーヒーをくれた記憶を反芻しながら、自分に言い聞かせ、だましだまし出勤した。
 違和感を感じそうになりながらも、必死に感じないふりをした。これっておかしい…?パワハラ....?とか、考えないようにした。自分を麻痺させるのに必死だった。

【逃げ場を一つずつ潰される:2月】

 ちょうどこのころのある日、私が実家に寄ったときの話。少し様子のおかしい母は、目を合わせるやいなや、その場で脱力し泣き崩れ、震える声で「退職金、もうないって...。」とつぶやいた。
 父の車の中に、大量の競馬新聞があるのを見つけたのだという。その時はじめて「父は過去にギャンブルで消費者金融と親族中に数千万も借金をしていた」「結婚生活は借金の返済に費やしてきた。苦しかった。」と、母の口から漏れた瞬間があった。
 たしかに、自分が小さい頃から、父は公務員だったけど夜も働いていたし、土日もアルバイトをしていた。 自分がすこしの間だけでも信じていた父の”良心”は、とっくの前から壊れていたのだった。

 ほんの一言の告白だったけれど、これには、とんでもなく心を掻き回された。
 父の正体と、そして自分自身、幼少期から抱えずっと原因を探していた家族に対する違和感のようなものの、その答えを、心の準備なく、不意に知ってしまった。複雑に入り組んだ伏線を回収するように、幼少期から、ほんの最近の出来事まで、記憶が走馬灯のように蘇って合点がいった。
 父への怒りと、ずっと子に隠し一人で抱えた母の苦しみと、そしてそんな遺伝子が自分にもあることの怖さ。いろんなことが頭のなかをグルグルと渦巻いて止まらなかった。
 同時に、このままではマズイ。早く借金の連鎖を止めなければ、また一つこの家族に闇ができてしまう。という、より一層の焦りが加速した。さすがに抱えているものの容量が、頭の処理しきれるレベルを超え始めていた。
 でも、こんなことでいちいち動揺していたら、身が持たない。何も感じず、何も考えず、無心で働かなくては身がもたない。逃げ場を、一つ一つ潰されているような気持ちだった。

【出口のないトンネル:3月はじめ】

 ちょうど世間はコロナの騒ぎが大きくなりはじめ、売上にもじわじわ影響がでていることから、不安は焦りに変わりはじめる。これ、飲食業界、ヤバくね?本当に正社員なれるんか?
 そんな頃、営業課長がヘルプにきたので「僕はいつごろ正社員に…?」ときくも、課長「うーん、おれもどういう話になってるかよくわからん」と濁され、不安を覚えはじめる。
 これ、マジでヤバくね?おれ、切られるの?これだけのプレッシャーに晒されながら、まだトンネルの出口が見えないのか……?

 もうさすがにしんどくなってきて「メンタルきてる」「自分、仕事遅すぎてツラい」というようなことをツイートしはじめる。これが、完全な墓穴になってしまう。
 「じろうが社員の悪口をSNSにボロクソ書いている」という風に広まりはじめる。とうとう店長からも嫌われはじめ、4人いる社員みんな当たりが強くなり、完全に逃げ場をなくす。ツイートが社員に筒抜けで大げさに伝わっていると知らない私は、冷たい態度を真正面から食らい、何がいけないんだろうと、もうメンタルボロボロの瀕死状態。
 この頃に、店長に言われた言葉が、どんな意図だったんだろうと今でも考えてしまう。 「いつも早く来てるけどさ、あんま意味あるように思えないんだよね(笑)」
「受験からも逃げて、家族からも逃げて、この会社からも逃げるつもりなの?やめたら、まあこの会社には一生戻ってこれないよね(笑)」

【最後の出勤日:3月半ば】

 平日ランチのピークタイム、いつものようのB社員のマッチポンプを受けていた。その日はあまりの鬼気迫るプレッシャーに、手が震えてしまい、なんと親指の爪にパックリ包丁を入れてしまった。
 自分「すみません、指を切ってしまいました……」
 B「は?なにしてんの?使えねえな、(舌打ち)」
 カット場をパートさんにお願いし、血が止まるまで応急処置。あまりの情けなさにバックヤードで沈んでいるところに、B社員がやってきて、なんとさらなる罵倒がはじまった。
 あまりに間髪をいれない無慈悲な追い打ちに、もう完全に頭が真っ白になりパニックで、浴びせられる言葉がなんにも頭に入ってこない。もう、なにがなんだかわからなくなり、堰を切るように、その場で声を上げて大号泣してしまった。
 情けなく職場で泣き崩れる自分と、まだまだエスカレートする罵倒。
 一通り詰め終わり「もうお前と一緒に仕事したくない、帰れば?」と吐き捨てられ、自分はふたたびバックヤードに一人取り残された。
 放心状態のまま、身体を動かせず時間だけが過ぎる。

 店長が鼻歌をうたいながら、詰替えのソースを取りにきた。一瞬こっちをみたけれど、鼻歌をやめずそのままホールに帰っていく。
 パートさんが勤怠を切りにくるけれど、見てはいけないものを見るように、こっちを一瞥して、逃げ去るように更衣室に戻っていく。

 自分の手に負えない、言葉にできないけど強烈な感情。もうボロボロに崩壊し、機能していない自分をよそに、なんにも変わらず、いつも通りの営業を続けるお店。
 誰の視界の中にも、自分の存在はもう入っていなかった。無力感、疎外感、なんという言葉を選べばよいのだろうか。その場では、誰にも自分という存在は、認められていなかった。単なる”パワハラ”という言葉ではとても説明のできないような、そんな涙だった。こんなに泣いたのはいつぶりだろうか。
 ここままここにいたら、また次の罵倒がはじまってしまいそうで、恐怖で身体を震わせながら、這うようにして裏口から逃げ出した。

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