内海海岸物語③内海の砂の謎 集めた砂600種類
「内田家」に1957年(昭和32年)9月8日の今はなき 名古屋タイムズの記事が掲載されている。その記事によると
内海町観光協会長となっていた4代目内田佐七さん(80)
30年前から国内はもとよりアメリカ、アフリカなど世界中から海岸の砂のサンプルを収集、この数ざっと600種におよび、その結果内海の砂が世界一と実証したとある。
話は、昭和3,4年ごろ、知多乗合会社の社長で町の観光協会長だった内田さんが、同地方をなんとか発展させようと考えた末、さざ波の打ち寄せる砂浜に目をつけた。気をつけて見れば見るほど、実にきれいな砂だった。ここで地元民に「こんな立派な砂は珍しいから、この砂を元に売り出そう」と相談したが、日ごろこの砂をながめている地元民は誰一人相手にせず
「海の砂なんかどこでも同じよ」となかには一笑し、話し合うことすらテンでできなかった。
よしそれなら世界中の砂を集め、ここの砂のよいことを認識させてやると内田さんの収集がはじまったというのだ。
「はじめのうちは誰も本気と思わず弱りました。決心したものの仕事の方 も忙しく、そこで国鉄武豊線の武豊駅長に事情を話し、国鉄沿線の海水浴場から砂を集めてもらいました。続々と届けられる砂を見て、わが意を得ました。大粒の砂から茶色、黒色など土地によって全然違っているのですよ。
ついで戦時中千島列島、南洋群島など灯台回りの船長さんが協力してくれ、主に南洋諸島の砂を運んでくれました。戦後は原爆の地広島、また交換船で帰国した留学生がアフリカのローレンツ・コルスケの砂をポケットに入れて持ち帰るなど、わたしの心に近親者、知人らが協力してくれ、ざっと600種余りになったわけです。」
こうして集められた砂は内田さんの手でガラスビンに入れられ、東海地区、九州、中国地区、関東地区、米国、欧州と大別され、1本1本に採集した地名が記入されている。サイパン島、テニヤン、北支など戦時中の思い出の砂をはじめ、サンフランシスコ、メキシコ湾、シカゴ湖水浴場など世界的な海水浴場までそろっているが、いずれも粒が大きく、素人でも一目で質を見分けられ、内海海岸が一番よいと折り紙をつかることができた。この内田さんの砂集めが進むに従い、内海海岸が世に認められるようになり、昭和7年ごろから世界一のサンド・スキー場も生まれ、観光地として売り出し、また産業用ケイ砂としても役立ち現在に至っているもの。
この記事が気になって、南知多町教育委員会に「砂のコレクション」を見ることができないか相談した。そして、テレビの取材ということで、見せてもらうことができた。記事にあるように、1本1本ガラス瓶に各地の砂が入れらていて、ラベルが貼られていた。その様子は、8月3日メ~テレの「アップ!」で紹介する予定になっている。普段は蔵に保存されていて、一般には見ることはできないが、是非、何かの機会に公開をしてほしいものだ。
観光業で内海を再び盛り立てたいという4代目佐七さんの想いが伝わるはずだ。この美しい白砂を使って、砂浜でこの砂像彫刻やサンドアートの作品が見ることができる。海水浴のついでに、改めて内海の砂の魅力に触れてみてほしい。
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