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ガネーシャの日曜日・前半

先日の日曜、すごいことが起きた。

朝が嬉しかったのである。

恥を忍んで言うと、私は3年ほど前にうつ状態と言われていた。
朝起きられず夜眠れない、典型的な症状のため、(うつ状態の診断を受ける前も含め)この5年ほど朝が嫌いだった。

最近でこそ、ああ朝か、ぐらいの認識だが3年前は本当に酷く、朝が憂鬱だった。
朝がきたら、1日を過ごさないといけないからだ。
何を言ってるのか、ちょっとわからないかもしれないが、休養中は何もする気が起きず、何も関心がわかず、そんな状態で1日を”消費”しなければならないのが、とにかく苦痛だった。
1日が始まるのが面倒で仕方なかった。
二度と経験したくないので、戒めとして書き留めるが、心が死んだ1日はつらい。
傷ついた状態を過ぎると瀕死になって、ほとんど何も感じなくなる。
これは経験しないとわからないし、できれば誰にもわかって欲しくないのだが、そうなる。
何もしたくないのに1日は始まるし、眠るにも限界はある。
やりたいこともやるべきこともない。あったところで、何もやりたくない状態なのだ。
じゃあ”何もやらない”ことに満足するかと言うとそんなこともない。
ただただ早く時間が過ぎるのを待つだけ。食事と風呂に入る時は安心する。
やるべき、かつできることをする時間だから。
ただしこれを終えると、あとはまたただただ待つのみ。

ざっと思い出して書いてもなかなか、しんどい生活だった。
実家に戻ったので、働かなくても衣食住は保証されていたし、
ぬるい環境だな、と思う方がいても当然なのだが、まあしんどい。
何の目的もなく、あてもなく、不毛な時間をやり過ごすしんどさなんて、知って欲しくないので、そういうこともあります、ぐらいの話だ。

そういう生活をしていたので、朝が明るいなんて忘れかけていた。
比喩でも何でもなく。もちろん、視覚は正常なので、眩しいとか明るいというのはわかるのだけど、明るいなあ、と味わうような気分は5年ぶりぐらいだった。

これがもう、自分の中でパラダイムシフトばりに衝撃だった。
恥ついでに言うが、実は少し泣いた。
朝が嬉しいと思えることが嬉しくて泣いた。
情緒不安定で涙脆いこともあって、泣かずにいられなかった。

朝起きたら、視界の色が様変わりしたようなものなので、自分でも驚いた。
3年間待った朝が、突然きた。

Photo by Artem Beliaikin from Pexels

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