ありがとう、ポッキー

2020年10月9日 早朝6時すぎ
約19年間一緒に歩んできた猫のポッキーが、天国に旅立ちました。

高齢でいつその日が来てもおかしくない。
心の中では、数年前から覚悟していたことでした。

でも、その時が来て
今はもういない存在なのかと感じるたびに胸が苦しくなる。

このことをいつまでも忘れないために
そして、このnoteをみた人にペットとの時間を
大切に過ごそうと思ってもらえたら嬉しいなと、ポッキーの最期の1週間とたくさんの思い出を、ここに記したいと思います。

最期の1週間

亡くなる1週間前。ポッキーは急に立つことができなくなりました。
日に日に動けなくなり声すら出なくなって弱っていく姿は、
覚悟していたはずなのに、その姿を見るとこれ以上ないと思うくらい
辛く苦しかった。

寝たきりになったポッキーに声をかけると
どこにその力が残っているんだと思うくらい
私の声に答えるように一生懸命立ち上がり、
ほぼでない、かすれた声で微かに返事をしてくれました。
まだまだ生きられるよ、生きたいよといっているようで
最期のさいごまで、生きる力をぶつけてきてくれました。

そんなポッキーをみて感じたこと、教わったこと。
彼らは最後まで生きる希望を持ち続けます。
それでも最期は目も霞み、嗅覚もなくなり全ての感覚がなくなっていく。
もし、あなたのペットがその時を迎えたらたくさん声をかけて
たくさん撫でてあげてほしいです。

ポッキーとの思い出

出会いは19年前の今日、2001年の10月20日。
当時住んでいた社宅の空塔から子猫の声が聞こえて、
覗いてみると、母猫と6匹の生まれたての子猫がそこにいました。

白黒だったポッキーは、当時5歳の私のセンスで
オスなのにお菓子の可愛らしい名前をつけられました。

普段は無口でおおらかで、小・中と家に友達を連れてきても
警戒することなく触らせてくれました。

思春期、心を閉ざしてたくさん泣いた日々は
私の悲しみを知ってか知らずか、ただただそばにいてくれました。
そして私の愚痴をたくさん聞かせてしまって…ごめんね。

おじいちゃんになってからはひっつき虫で
膝の上に乗ると、それでは満足しないのか
顔を私の顔にくっつけようとしました。
寝ている時も窒息しそうになるくらい、私の顔に
自分の顔を押し付けてきて。それで満足そうなのが愛しくて。

19年と一緒に成長してきた兄弟のような存在。
なのに彼が先に旅立ってしまって…
ここ数年でぐっと老いていく姿も、正直心が苦しかった。

たまたま、昨日見た映画に

老いることも死ぬことも人間という儚い生き物の美しさだ
老いるからこそ 死ぬからこそ 堪らなく愛おしく尊いのだ

と言う言葉。
今の私にむけた言葉なのかと感じるくらい測ったようなタイミングで…

ポッキーの一生を見守ってこれて、
一緒に成長してこられてよかったな。
ポッキー、私たちと生きる道を選んでくれてありがとう。

たくさんの人に愛してもらったポッキーは
とても幸せだったと思います。

まだ悲しみは消えないけれど、ポッキーが教えてくれたことを胸に
前を向いて一緒にいる愛すべき人と、そして猫と
後悔のない毎日を大切に過ごしていくよ。
私がそっちにいくまでもう少し待っていてね。

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