僕がアートの作品づくりと事業を同時にやっている理由。
僕は、アートの次の可能性を考え企画に落とし込み実行ながら、ギャラリーともキュレーションともプロデュースとも言い難い、新種の仲介業をやっている。
いわゆる"ハイパーメディアクリエイター"的な、結局何をやってるねん的立場なのかもしれない。
ただ、言葉で語れる価値観を守っていく事に興味が薄く、言葉になる前の価値観をすくいあげる事に快感を覚えてしまったところがあり、その欲求を制御できないでいる結果、ハイパーメディクリ的な離島でキャッキャと駆け回ってる。
新種の仲介業は、アーティストを中心にそこに関わる売り手、買い手の仕組みを作ってマネタイズする事をゴールとしている。
それとは別に自身もアーティストであり、コンセプトの出発点は一緒だが、ゴールは作品に落とし込んでビジュアルで見せる事である。
つまり"事業"でひとを巻き込んだ社会との関係性を持ち、"作品"で一人の世界を煮詰め、社会へのカウンターになり得る原液を作っている。
という具合に真逆を両立させようとしている、ヤバい奴でしかない。
アートの世界に変革を起こす為には両方からのアプローチが必要という理由もあるが、アートの世界にどっぷり浸かって死を迎えたいという極めて欲張りな私欲でもある。
先ほどコンセプトの出発点は一緒と書いたが、「行き場を無くしたものの最終地点」というのをコンセプトの出発点としている。
またわけわからん事言うてと怒られそうだがここはグッとこらえて説明を聞いてほしい。
村上隆氏の言葉を借りると、アートは100年後の世界を想像しながら作る物である。
そしてその100年後の未来の最後尾に僕たちはいるわけで、そこでの同時代的共感またはカウンターをビジュアルで示すのが、僕がアーティストとして作品を作る理由の一つである。
(ビジュアルとコンセプトどちらに"共感"と"カウンター"を割り当てるかは作品ごとに自由にやってる)
そしてその100年後の未来の最後尾の輪郭をくっきりさせるのに、100年前からの過去の最前線も認識しなければならない。その衝突点が"現代"であり、それをアート作品にしたものを現代アートと定義付けている。
さらに僕自身のやり方としては、現代から取りこぼされた"現在進行形の過去"への尊敬とカタルシスに想いを馳せながらそれを原動力に作品を作っている。
分かりやすく言えば「あの頃は良かったね」的な感覚をアートにして、新しい価値観を受け入れられない人々のやり場のない感情を昇華してもらい、次の新しい価値観に目を向けるきっかけにして欲しいと思っている。
アートとは、大きな白い布のようにあらゆる物を受け止め、あらゆる色に染まる役割があり、それが真理なのではと信じながらアーティストとして活動している。
つまり僕の職業は「布」である。
怒らないでください。