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国境の南のギターラ:マヌエル・マリア・ポンセ、アンドレ・セゴヴィア、ロドルフォ・ペレス

1984年だったと思うが、翻訳を届けに仕事場を訪ねて来た通訳の女性が、「音楽、お好きでしたよね、これからクセナキスのレセプションに行くんですけど、ご一緒にどうですか」と云う。

クセナキスのファンだったわけではないが、せっかくのお誘いではあるし、残業から逃げたい気分も手伝って、それではと、いや場所を忘れてしまったのだが、内幸町のプレス・センターか、あるいはどこかのホテルだったか、まだほぼ全員が残っていた仕事場から脱出して、会場に向かった。



クセナキスのレセプションであるからして、音楽は当然、カランカランカラン、コト、コト、ギュルギュルギュル、シ~~~ン、グワーン、キーン、などというSF映画のスコアのような無調のクセナキス作品で、パーティーのBGMにこういう音楽というのも面白いというか、面妖というか、とにかくめずらしいね、であった。

彼女は、クセナキスにわたしを紹介してくれ、当方、中学生のような英語で何かボソボソ挨拶し、いや、あなたのプロモーションのお役には立てないただの野次馬、どうもすみません、と心の中で謝罪しつつ、握手してもらった。

しかし、そのようなはるか昔の、まだ若くて飛び回っていた時代のことなど、これだけの時間がたつと、リアリティーは極度に稀薄になり、記念にもらっておいたピン・バッジも失ってしまうと、なんだか偽記憶に思えてきて、何か裏づけはないかと検索してみた。



クセナキスは何度か来日しているそうで、たとえば1961年の初来日時のエッセイなどというものがあったが、残念ながら、1984年前後に訪日したという記録は見つからなかった。

人生、ゆめまぼろし、あらゆることがぼやけていくのは、気分のいいことではない、ではあるけれど、同時に、「思い残すことはない」という言葉にはべつの意味があったのだな、と笑った。忘れてしまえば、思い残すことなんかあるはずもない!

◎セゴヴィアの一世紀

閑話休題。

クセナキスのことを思いだしたのは、ジョン・ケイジを聴いていたからなのだが、アルノルト・シェーンベルクあたりを出発点とする、20世紀アヴァンギャルド音楽の長い旅は滅法界に面倒なので他日を期すとして、今日はぜんぜん関係のないことを。

このあいだ、アンドレ・セゴヴィアのA Centenary Celebrationというキャリア・ボックスを聴いて、ほほう、となった。セゴヴィアはそれなりの枚数を聴いたのだが、この箱、とくにディスク2と3が素晴らしく、いままでセゴヴィアの良さに気づかなかったのは、例によって馬耳東風モード聴き流しの罪かと、改めて、これまでに聴いたものをひととおり並べ、ざっと早足で聴き直した。



安心した。とくに耳を引っ張られなかったのは、当方の責任ではなかった。盤の側の問題だった。選曲、構成、そして、ヴァージョンの取捨選択も、過去に聴いたものはA Centenary Celebrationに劣っており、とくにいいと思わなかったのも当然で、今回の再聴でも、取り立てて感心はしなかった。

A Centenary Celebration収録の作曲家のなかでも、とくにマヌエル・マリア・ポンセの作がいい出来で、おおいに心惹かれた。ソロ曲では、CanciónとTheme, Variations & Finale、コンチェルトではConcierto del sur for Guitar & Orchestra、とくに第一楽章がいい。

いままで知らなかったのだが、ポンセがギター曲を書くようになったのは、セゴヴィアの知遇を得たためで、以来、交流が生まれ、多数のギター・ソナタ、ギター・コンチェルトなどが残されることになったのだという。


セゴヴィア=ポンセ書簡集。英語版なら読んでみたいが。


◎ロドルフォ・ペレスのメキシコ幻想曲

セゴヴィアだってはじめて聴いたわけではないように、ポンセだってずいぶん聴いたはずで、確認したら、既聴フォルダーに厭になるくらいたくさん見つかった。

しかし、Complete Guitar Musicというセットも、アンドレア・ディエチによるGuitar MusicおよびPonce & José収録のポンセの曲も、これじゃあ俺がボンヤリ聴き流しても当然だな、という出来だった。


Ponce - Complete Guitar Music
4枚組で、ポンセのギター曲を総覧するには便利ではあるものの、それだけの意味しかなく、このデザインだから、はじめから期待していなかったが、やはり音としてはあまり面白くなかった。



未聴のものもたしかめておこうと、ロドルフォ・ペレスなるギタリストによる「Fantasia Mexicana: Mexican Guitar Music」をプレイヤーにドラッグし、一聴、これはいい、と嬉しくなった。

全15曲中、ポンセ作品は8曲と半数以上を占める。まあ、「メキシコ・ギター曲集」なのだから、ポンセが中心になるのは理の当然、前世の契り、当たり前のことだ。


VC - Fantasia Mexicana: Mexican Guitar Music (Rodolfo Pérez)


とくにいいのは、アルバム・オープナーのSonata Mexicana I. Allegro moderatoと、クローザーのEstrellitaで、ともにきっちりヴィブラートをかけていて、いかにもメキシコという雰囲気、リオ・グランデを渡り、竜舌蘭の花茎が天高く伸び、土の壁が並ぶ白い家並をロバに揺られて行く気分に浸れる。もっとも、EstrellitaとはLittle Starという意味だそうで、真昼間の風景ではなく、星空を見上げる気分になるべきらしい!

◎ヴィブラートとサウンドの問題

他の楽器もみなそうなのだが、とりわけギターとドラムは出音の良し悪しに勝負がかかっている。上手い人はみないい音を出すものなのだ。

ドラムの場合は、チューニング、スネアワイアの張り方、スティックのティップをドラム・ヘッドにぶつける角度、その強さ、スティックの返りを押さえ込む手首の利かせ方などに出音が左右されるため、下手な人はサウンド自体が汚くなる。

ギターもそういう傾向がある。ピッキング(またはプラキング)と運指のタイミングが精確に合っていないと音が濁る。また、ヴィブラートの強さや(クラシックでは使わないが)ピックをどう弦に当てるかや、チョーキングのピッチとタイミングにも音色は大きく左右される。


アンドレ・セゴヴィア


あまり気に留めていなかったポンセの曲が、いまになってじつに綺麗に響いたのは、セゴヴィアの場合もペレスの場合も、その理由の半分は、きれいにヴィブラートをかけていることだと思う。

どういうわけか、クラシック方面ではヴィブラートをかけない人も多いのだが(情緒的で俗っぽく響くからか?)、当方、ポップ、ロック系のギターで育った人間なので、ヴィブラートをかけるほうが圧倒的に好ましく感じる。

ただし、ロドルフォ・ペレスについては、さらに別の要素もある。一小節でたちまち、これはいい、と思ったのは、録音そのものが好みだったからだ。ライナーを見たら、クラシック・ギター盤ではめずらしく、録音データが書かれていた。


Fantasia Mexicana: Mexican Guitar Music (Rodolfo Pérez)のクレジット


エコーのかかり具合がなんともいい塩梅で、ナチュラル・エコーのようではあるものの、録音スタジオはどこでもたいていドライ(デッド)、こういうエコーがかかる可能性は低いのだけど、と不思議に思ったが、録音場所を見て納得した。St. John Chrysostom Church, New Market, Canadaとなっていて、スタジオではなく、教会での録音だった。

備え付けのパイプ・オルガンをとる場合ばかりでなく、教会での録音というのはそれほどめずらしいことではない。ソロからチェンバーからオーケストラや合唱に至るまで(ビートルズの最初の商業録音であるAin't She Sweetもドイツの教会で録音された)、さまざまなものがある。

それはたぶん、説教と讃美歌のために、教会はしばしば音響に配慮して設計・施工されるからだろう。コンサート・ホール顔負けの「鳴りのいい」教会が世界各地にあるにちがいない。ロドルフォ・ペレスも、たぶん、このカナダのセント・ジョン・クリソストム教会で弾いた経験があり、鳴りが気に入っていたから、録音場所に選んだのだろう。


ロドルフォ・ペレス


◎プレイヤーかコンポーザーか

もうひとつ、ロドルフォ・ペレスの盤には面白いクレジットがあった。
Guitar luthier: Abel García
とあったのだが、この「luthier」がわからなくて調べたら、「弦楽器製作者」のことだそうで、この場合は、ギター製作者ということになる。

ポップのほうではあまり見かけないクレジットだが、よほどこのギターの鳴りが気に入っているのだろう。たしかに、この心地よいサウンドは、プレイや録音環境だけで実現できるものではないに違いない。

クラシック系のFLACファイルのタグの「アーティスト名」欄には、プレイヤーではなく、作曲家を入れている。作曲家単位で蒐集し、聴いているからであって、プレイヤーはあまり意識していないからだ。

しかし、やはり音楽は、誰がどうやるか、に大きく左右される。スパニシュ・ギター盤の蒐集にとりかかったときは、プレイヤーの良し悪しはあまり考えなかったが、石の上にも三年、まして、ギターは子供の時からよく知っている楽器、技術的な基礎ができた人しかいない古典ギターの世界でも、やはり明確な巧拙の差、サウンドの差はあり、どのヴァージョンもみなそれぞれに異なる。あくまでも楽曲優先、プレイヤーは二の次、という聴き方をしていても、耳は自然に反応し、無意識に優劣をつけているものだと思い知った。

◎小さな星の数々

ロドルフォ・ペレスのEstrellitaを聴いて、このメロディーは知ってるぞ、誰かほかのプレイヤーのヴァージョンを持っているな、と思ったが、誰のものだかわからず、HDDを検索した。

いや、誰かほかの、なんて暢気なことを云っている場合ではなかった。ぞろぞろ数十種のカヴァーが出てきて、魂消たのなんの。そのうち、古典ギターによるものは略し、Estrellitaをプレイした、それ以外の分野のアーティスト以下に並べる。


Charlie Parker - South of the Border


Al Caiola
Mantovani & His Orchestra
Billy Vaughn
Boots Randolph
Charlie Parker
Chet Atkins
Don Ralke & His Orchestra
Esquivel
Fantastic Strings Orchestra
Felix Mendelssohn & His Hawaiian Serenaders
George Melachrino
Henryk Szeryng
Jascha Heifetz
Kenneth 'Jethro' Burns
Lennie Hibbert Combo
Manuel & The Music of The Mountains
Percy Faith
Perez Prado
Stanley Black
The Nashville String Band
Trio Chitarristico di Roma
Xavier Cugat Orchestra
Álvaro Cendoya


Jascha Heifetz - Enocores
ハイフェツのEstrellitaもなかなかけっこうな出来。


クラシックのほうではジャシャ・ハイフェツのヴァイオリン・トランスクリプションしかないが、バップ(チャーリー・パーカー)、ポップ・ギター(アル・カイオラ)、カントリー・ギター(チェット・アトキンズ)、ブルーグラス・マンドリン(ジェスロ・バーンズ)、ラテン(ペレス・プラード、スタンリー・ブラック、ザヴィア・クガート)、ラウンジ・ミュージック(マントヴァーニ、ビリー・ヴォーン、パーシー・フェイス、エスキヴァルほか)、ポップ・サックス(ブーツ・ランドルフ)、ハワイアン(フィーリクス・メンデルソーン)というように、じつにさまざまな分野のカヴァーが並ぶ。ロック系がゼロなのは曲調から云って当然だが、うちにないだけで、どこかサーフ・バンドがやっていたりするかもしれない!

意識しないまま、これだけのヴァージョンで、ポンセの代表作を聴いていたとは、いやはや、自分の蒙昧に呆れはてた!


Chet Atkins in Hollywood
チェット・アトキンズはいうまでもなくナシュヴィルの人だが、これはめずらしくハリウッドにやってきて、レッド・カレンダー、ジャック・スパーリング、ラリー・バンカー、ハワード・ロバーツといったヘヴィー級リズム・セクション、さらにはジェスロ・バーンズのマンドリンまで加わってセッションをおこなった。チェットのEstrellitaは、後半、ナシュヴィルでは難しい大編成のストリングスまで入ってくる豪華な録音で、上々の出来。
フロント・カヴァーの写真はハリウッド・ブールヴァ―ドとヴァイン・ストリートの交叉点で撮影されているが、この「ハリウッド&ヴァイン」こそがハリウッド音楽産業の中心であり、すぐそばにはキャピトル・レコードの本社、キャピトル・タワーもある。



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