古典ミステリー初読再読終読:サマーセット・モーム『アシェンデン或いは英国諜報員』
二十歳前後に読んだきりだったモームの『アシェンデン』(Ashenden or The British Agent)を再読した。
◎外套と短剣からの離陸
アシェンデンを「ミステリー」に分類するのは据わりが悪く感じるかもしれないが、昔は、エスピオナージュ小説の古典ということにされていたのだ。再読してみて、やはり、それはそれでかまわないだろうと感じた。
実物を読んだことはないが、19世紀から20世紀はじめにかけて盛ったという、「外套と短剣」Cloak and Daggerなどといわれる間諜冒険小説(「ブルース=パーティントン計画」などに代表されるスパイがらみのシャーロック・ホームズものもここに分類できそうな気がする)とは一線を画す、リアルな諜報の世界を描く小説の嚆矢だからだ。
例によって、中身はすっかり忘れてしまい、初読同然の再読だったが、読んでみて、これは忘れても無理はないと、自分の記憶力のせいではないことを確認し、安堵した。
地味というか、「おとなの小説」で、70年代以降の現代エスピオナージュ小説のような、仕掛けたっぷり、裏切りやどんでん返しで驚かすタイプのカラフルなお話ではない。
主人公アシェンデンが第一次大戦中の諜報活動で出会ったさまざまな人々の運命を、抑えた静かな筆致で描く連作短篇集だったのだ。二十歳かそこらの若造のお歯には合わず、一読、たちまち忘却の彼方になったに違いない。
◎コードは「R」
アシェンデンは、じっさいに大戦中は諜報活動にかかわったモームの分身で(イアン・フレミングを思いだす)、作家として名を成した人間が、情報部の「R」というコードネームの親玉(ジェイムズ・ボンド・シリーズの「M」を連想する)に、作家という表の顔は諜報活動にも好都合だとして、スカウトされる。このあたりは現実に即した記述なのだろう。
この連作短篇集で描かれた中でもっとも印象的な人物は、スパイではなく、某国駐在の英国大使、ハーバート・ウィザースプーン卿だ。命令によってアシェンデンが訪れた国の大使で、いちおうの仁義を切った相手にすぎないのに、それが思わぬ邂逅になってしまう。
X国として、国名を伏せているのは、アメリカとイギリスの両大使の私生活に関するエピソードで、モデル探しをされるのを嫌ったのだろう。いまやはるか昔、一世紀以上の時間がたったので差し支えなかろうと、スペインが舞台だとみなして読んだ。伏せられたのだから、どこの国であろうと、物語の本質とは無関係なのだが。
◎外交官たち、傾国の美女たち
戦争当事国なので、英国大使ばかりでなく、アシェンデンは米国大使にも挨拶したが、この大使がドイツに通牒している疑いのある女性と交渉を持っているとの噂があり、対処せざるを得なくなり、また、この人物が完璧なマナーで貴族的な英国大使の尊大さへの憤懣をぶちまけたこともあって、再度、英国大使に面会を求めたところ、趣意はよくわかった、米国大使とは意思疎通を図るように努めると云われるが、意外なことに、その場で翌日の夕食に招かれてしまう。
さらに意外なことに、大使公邸での夕食には、ほかに同席者はなく、夫人さえ他出、大使と二人きりで、アシェンデンはおおいに困惑する。食後、ブランディーを口にした折に、アシェンデンが、パリの英国大使館でウィザースプーン卿も知っている若い外交官と会ったことにふれると、卿は関心を示し、その印象を聞きたがった。
このバイリングという将来を嘱望される若い外交官の醜聞――その度外れの浪費癖のために、さまざまな男を破産させてきたという、ローズ・オーバーンなる美しい娼婦に恋したばかりか、結婚するとまで云った人間を、アシェンデンは「愚かしい」と断じた。
将来は大使にだってなれると栄達を見込まれているのに、その赫々たるキャリアをなげうって傾国の美女と結ばれたとしても、その結婚は長続きするはずがないと、アシェンデンは暗い見通しを並べる。
ウィザースプーン卿はしかし反問する。
「是が非でもしたいと望んだことをなし、あとは成行きに任せるのも、わたしには愚かしいことには思えませんがね」
しかし、アシェンデンは即座に、
「大使であることはさぞかし居心地がよろしかろうと思いますがね」
と切り返した。
◎醜い旅芸人と名家の美しい令嬢
外交官としてのキャリアと約束された未来を投げ出して、ムーラン・ルージュの踊り子だった娼婦と結婚すると決意したこの外務省の後輩バイリングのことで、ウィザースプーン大使は、ブラウンという友人の経験を思い起こし、それをアシェンデンに語りはじめる。
ブラウンもまたバイリングと同じく、おおいに嘱望された若手外交官だった。30年ほど前、ブラウンはパリである画家と知り合い、その愛人の友人を紹介される。
アクロバット芸人だというそのアリクスという女は、容貌は美しくなかったが、深みのあるハスキーな声をしていて、ブラウンはそこに惹かれ、誘いをかけるが、軽くいなされ、女のじらしの手管にからめとられて、深みにはまってしまう。
アリクスは旅芸人なので、つぎの興行地、ロンドンで食事をし、その時も躱され、つぎはブローニュ、さらにダンケルク、パリなどと、時をおいて逢瀬を重ねるうちに、ブラウンはこの醜い三流アクロバット芸人に、そのしわがれた声が心地よいというだけの理由でのめり込んでいく。
そうした日々のさなか、いっぽうで、ブラウンはイギリスの名家に出入りするようになり、その令嬢に恋慕され、結婚話が持ち上がる。青い目、ブロンドの可憐なその娘は頭もよく、まさにアリクスの正反対だった。
そして、何より、野心家のブラウンにとって重要なのは、彼女の有力な血縁者たちが、彼の出世を容易にしてくれるだろうという見通しだった。彼女に恋していたわけではないが、ブラウンは婚約し、彼女の一家が英国政府の仕事で南米に行き、そこから戻ったあとで式をあげることにする。
これで下卑た芸人との醜い情事から抜け出したつもりだったが、そこにアリクスから手紙が来て、興行でパリに戻るので都合がつけば会おうとあって、ブラウンは再び恋情に襲われ、アリクスに会ってしまう。
たまたま、つぎの任地のリスボンへの出発が先方の都合で延期され、休暇同然の身だったブラウンは、情のおもむくままに、アリクスの一座に同行するようになり、彼女の情夫にして、一座の雑用係のような暮らしをする。
◎二つの人生
おのれの知性、自負心、栄達を願う野心と、この醜い三流アクロバット芸人と、彼女の属する旅芸人一座の猥雑だが生き生きとした活気ある日常のあいだで、ブラウンの心は引き裂かれる。
婚約者とその一家がパリに戻る日が迫るにつれ、ブラウンの懊悩は深まるが、結局は理性と野心が勝ち、約束された未来をこの醜い女芸人のためになげうつのは愚かだと、彼は泣く泣くアリクスのもとを去る意志を固める。
ブラウンは閨閥を背景にして、その才能を十全に発揮してすばらしい出世を遂げ、外交官として大成功した。しかし、仕事も、生活も、周囲の人びとも、みな退屈の極みで、もともと愛していなかった妻を幸せにすることもできず、出世栄達の裏で、一度しかない人生を無駄に過ごした、という虚しさにさいなまれていた――。
そして、涙を流しながら「友人」に仮託したおのれの物語を終えたウィザースプーン卿は云う。
「だから、バイリングは正しいと云うのですよ。たとえ、五年しかつづかなかったとしても、外交官としてのキャリアを棒に振ったとしても、結婚が悲惨な結果に終わったとしても、それだけの価値のあることなのです。彼は満足することでしょう」
そこへ音楽会に行っていた大使夫人が帰邸し、アシェンデンは挨拶をした。夫人はアシェンデンに問うた。
「何のお話をなさっていたの? 芸術、それとも文学のお話?」
「いえ、その素材のことです」
仕事で人に会う約束があって急いでいたアシェンデンは、そう答えて辞した。
◎逸脱の肯定
古来からある二律背反、人生の選択の問題であり、モーム=アシェンデンは、解答を提出していないが、「一時の気の迷いは理性をもって振り捨て、立身出世を心がけよ」という「大人たちの解」など、あえて書く意味ははじめからない。
一度しかない命、情念のおもむくままに燃焼させよ、という強い思いを抱く人間、深い悔恨の念に沈む、栄達を遂げた人物を描いたのは、その思いに、もろ手を挙げて賛成するわけではないにせよ、少なくとも、耳を傾けるに値する真実の一片があると考えたからに違いない。
年を取り、このところしきりに人生のさまざまな選択の場面を振り返っている人間としては、そうだよ、この大使は正しいと、自分の人生に照らし合わせて、溜息とともに深く同意した。いや、わたしは彼とは違い、失敗ばかりの人生だったが、基本的に自分の選択は正しかった、と満足しているのだが。
当然ながら、ほかにも気を惹かれるエピソードはあったし、音楽のことでふうんと思った箇所もあり、また、小津安二郎「浮草」、横溝正史「女王蜂」および「神楽大夫」および「悪霊島」、鈴木清順「峠を渡る若い風」、川端康成「伊豆の踊子」などなどと、さまざまな作品を連想したのに、書ききれなかった。あと一回だけ、延長戦をしようと思う。
「古典ミステリー初読再読終読:サマーセット・モーム『アシェンデン或いは英国諜報員』その2」へつづく。