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続・キャロル・ケイとフィル・スペクター
前回の「キャロル・ケイとフィル・スペクター」でも、重箱の隅をつつくような話になる恐れがあると冒頭で申し上げたが、今回はさらに、キャロル・ケイとハリウッド・ビート・ミュージック史の、細かい話へとダイヴする。
しかし、その前に、全体の絵図を描くのに必要な、大前提のことを書いておくべきだろう。
◎建前と本音
キャロル・ケイに関するTV番組では、彼女のようなプレイヤーたちが、スターのかわりにスタジオでプレイした理由は、表向きのバンドが(ツアーなどで)忙しくて、録音にまでは手がまわらなかったからだとしていた。
冗談はほどほどに願う。知性のある人間なら、ちょっと考えれば、そんなことは断じてあり得ないとわかるだろう。
彼らは「レコーディング・アーティスト」なのだ。何が大事といって、スタジオで録音することほど大事な仕事はない。多忙だからスタジオでの録音ができない、だなんて、ぜったいにあり得ない。
現に、たとえば、ビーチボーイズも、バーズもヴォーカル・オーヴァーダブは自分たちでやっている。ちゃんと録音の時にハリウッドにいたのだ。ツアーに出ていたわけではない。
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ハル・ブレインも、トミー・テデスコも、そしてキャロル・ケイも、「スターたちは多忙で手がまわらないから、われわれがかわりにスタジオ仕事をした」という趣旨の発言をしている。
しかし、それは彼らの上顧客を傷つけないようにという配慮から云っているにすぎない。建前、表向き、社交辞令である。建前と本音を使い分けることで世渡りをする日本人なら、これくらいのことはわかるはずだ。
そもそも、あの時代の世界一忙しいバンド、ビートルズは、ほぼすべてのトラックでプレイした。彼らは、ぼくらの音楽を聴きたい人はレコードを買ってくれ、ライヴは見るためのものにすぎない、といつも云っていた。ポール・マカートニーも、いちばん大事な仕事は、スタジオで録音することだと明言している。
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ファブスのメンバーがトラッキング・セッションに参加していない曲は何だろうと考えた。ストリング・アンサンブルをバックにした、Eleanor Rigby、She's Leaving Homeという2曲がそうだろう。そして、オーケストラによるバッキングのGood Nightもそうではないかと思う。ミュージック・コンクレートのRevolution No. 9もプレイしていない可能性がある。しかし、どんなに忙しくても、ロンドンに戻り、時間をつくって、ほとんどすべてのトラックで、全員または一部が楽器をプレイした。スタジオで働くことが最重要の仕事、彼らの存在理由だったのだ。
◎単純な、あまりにも単純な
ライヴは、ピッチもタイムもわからない子供たちが、ワアワアキャアキャア大騒ぎする運動会みたいなものだ。下手な連中がピッチを外そうが、タイミングを間違えようが、そんなことは問題にならない。
しかし、盤は違う。ミスをすれば、それははっきりと記録され、まともな耳を持った人間に、粗悪品の認定を受けてしまう。いや、そういう盤もたくさんあるが、それはおおむねマイナー・レーベルのものだ。
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サーフ・ミュージックは素人衆の音楽で、商売人としては、そのまま録音して売ることはできず、スタジオのプロフェショナルたちを集めて、プロが書いたそれ風の曲を、それらしいアレンジで録音し、テキトーなバンド名とタイトルをつけて売った。そして、それがヒットしたら、テキトーな若者たちを集めてツアーに送りだしたり、テレビに出演させたりした。それが音楽ビジネスだ。
しかし、キャピトル、RCA、CBSといった大手は、そんなミスだらけのみっともない製品を売るのを嫌ったし、アーティストの中にも、たとえばブライアン・ウィルソンのように、より良い音を求める音楽的才能豊かな人間もいた。
かつて音楽は、プロの音楽家がつくって、大人に売るものだった。しかし、エルヴィス以降、子供のための音楽市場が生まれ(中流家庭の可処分所得の大幅な増大による「消費者としてのティーネイジャーの出現」という社会現象の結果なのだが)、若々しく、見目麗しい音楽スターが必要とされるようになった。
その結果、ろくに才能もなければ、音楽教育も受けていない、プレイヤーもどきの、たんなる芸能人が生まれてしまい、その尻拭いをする、大人の影武者、黒子が必要になってしまった、それだけの単純な現象である。
きれいごとを云っては困る。60年代のスタジオのプロは、冷徹な経済原則が喚んだ、明解な解決策にすぎない。
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◎食うための音楽:どこまでも退屈に、限りなく単調に
キャロル・ケイはビーバップのギター・プレイヤーだった。50年代終わりから60年代にかけて、ハリウッドのスタジオで働いているプレイヤーの多くがそうだったと、トミー・テデスコやバーニー・ケッセルらの名前を彼女はあげている。わたしが知る範囲では、アール・パーマーもまた、ノーリンズ時代はビーバップのドラマーだった。
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しかし、ファッツ・ドミノらを録音し、アール・パーマーがあの「バックビート」「8ビート」を発明する現場に居合わせ、ノーリンズR&Bをアメリカ全土に紹介することに大きな功績のあった、エンジニアにしてスタジオ経営者のコジモ・マターサが云っていたように、「ビーバップは商売にはならなかった」のだ。
キャロル・ケイの最初のスタジオ仕事は、サム・クックのSummertimeだった。この時期、クックのプロデューサーだったバンプス・ブラックウェルが、クラブでケイのプレイを見て、スタジオでやってみないかとスカウトしたのだった。
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聴けばわかるが、この曲のギターは別にどうということのないプレイだ。なんなら、わたしがやってもいいくらいにシンプル。いや、じっさいにわたしがやれば、タイムが微妙に早いため、少し突っ込んでしまい、バンプス・ブラックウェルやアール・パーマーに、罵言を浴びせられただろうが!
じっさい、キャロル・ケイは、このセッションで、ドラム・ストゥールに坐ったアール・パーマーに、お前、ちょっと走っているぞ、と注意され、家でメトロノームを相手に猛練習をして、タイムを矯正したという。
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アールは50年代終わりに、ノーリンズからハリウッドに移住して、彼が発明したダウンビート・フィールをカリフォルニアにもたらし、教師とも云える役割を果たした。
これが彼女にとっての初仕事だから、退屈なことをさせられたわけではない。スタジオ仕事の大部分は、そういうものだったのだ。単調なフレーズの繰り返しを、正しいタイムで、ミスなしで精確に弾くのが彼らの仕事の根幹だった。
彼女は老いた親を、のちには子供たちも養うために、何年もこういう仕事をつづけた。リッチー・ヴァレンズでもリズム・ギター、ヴェンチャーズでもリズム・ギター、ジャン&ディーンでもリズム・ギター。
こういう仕事でリードとしてインプロヴをやるのは、ビリー・ストレンジ、トミー・テデスコ、グレン・キャンベルといった男たちだった。
だからこそ、キャロル・ケイは、ベースの仕事を歓迎した。リズム・ギターとは異なり、自分のアイディアを生かし、和声的にも、グルーヴの面でも、変化に富んだプレイができて、楽しめたからだ。
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◎フラット・ピッキングとフィンガー・プラキング
フェンダー・ベースの誕生以来、ギター・プレイヤーにとって、ベースは、マンドリンやバンジョー以上に簡単な、「すぐに弾ける楽器」になった。
じっさい、彼女がスタジオ仕事をするようになった時の、ハリウッドの代表的フェンダー・ベース・プレイヤーは、ギターが本職のレイ・ポールマンだった。
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彼は親指一本で弾いたとキャロル・ケイに教えられ、それではダブルタイム・ピッキングなどの高速プレイは難しいのではないかと聞いたら、その通り、わたしのほうが速かった、だそうな!
キャロル・ケイに関するテレビ番組では、フラット・ピックでベースを弾くことを、彼女の創意と受け取られかねないニュアンスで語っていたが、それは間違いである。
たんに、レイ・ポールマンが親指フィンガー・プラキングをしていたというだけのことで、たとえば、ハリウッドでも、すでにジョー・オズボーンがフラット・ピックでフェンダー・ベースを弾いていた。
ジョー・オズボーンはケイと同じく、もともとはギター・プレイヤーだが、ハリウッドに出てきて、フェンダー・ベース・プレイヤーとして、リック・ネルソンのツアー・バンドに雇われた。
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リックのバンドはそれ以前からつねに強力で(リックは大スターで、給料が高かったおかげだろう)、スタジオ録音の多くは、ツアー・バンドそのままのメンバーがプレイした。
したがって、オズボーンのフェンダー・ベースのプレイはごく初期から記録されている。たとえば、大ヒットで云えば、Hello Mary LouやTraverin' Manといった曲が、オズボーンのベース転向直後の仕事だ。
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おそらくこれが、ベース・プレイヤーとしてのジョー・オズボーンの初録音だろう。Hello Mary LouとTravelin' Manという大ヒット曲が収録されているが、どちらもオズボーンの素晴らしいグルーヴがあってこそのサウンド。インペリアル時代のリックのベスト・アルバムと考える。
オズボーンはギター・プレイヤーなので、フラット・ピックでフェンダー・ベースをプレイした。ギターを弾く人なら、それがごく自然だということは、説明されなくともわかるだろう。ギターの延長線上、ギターと同じように弾けるからだ。
キャロル・ケイが1964年のある日、スタジオで突然、ベースを弾くように云われた時、フラット・ピックを使ったのは自然な選択だったのだ。別に彼女の特徴でもないし、ジョー・オズボーンという、アメリカを代表するベース・プレイヤーの先例もあるのだから、独創でもない。
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キャロル・ケイは他人のクレジットを盗むことを嫌っている。フラット・ピッキングによるベース・プレイは「選択した」のであって、彼女が「発明した」わけではない。ハリウッドのベース・プレイヤーとしては、ラリー・ネクテルもフラット・ピッカーだった。
◎少しだけフィル・スペクター
キャロル・ケイのことを書かねば、と思ったとき、深く考えずに「キャロル・ケイとフィル・スペクター」というタイトルをつけてしまったのだが、スペクターについては、前回、書くべきことは書いてしまった。
彼女がスペクター・セッションでプレイしたのは、River Deep, Mountain Highをのぞけば、ギターばかりだ。スペクターのトラックでは、ギターはつねに三、四本でいっしょにコードを弾く。誰も目立ったりはしないのだ。
リードをとった人間として、特別に記録されているのは、ボビー・ソックス&ザ・ブルー・ジーンズのZip-A-Dee-Doo-Dahでプレイしたビリー・ストレンジ御大ぐらいだろう。あとはみなアノニマスな仕事、代わりはいくらでもいる、自明のプレイである。
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ボブ・ビー・ソックスと読んではいけない。リエゾンして「ボビー・ソックス」と発音する。
Ben E. Kingをリエゾンさせてベニー・キングと読むのと同じ。
スペクターは、キャロル・ケイのエピフォンの音が大好きで、しばしば、あのエピフォンを持ってくるように、と念押しをしたということは前回に書いたが、これは云いかえれば、キャロル・ケイは来なくても、エピフォン・ギターが来れば、それでオーケイということになる。彼女もたんなる「オーケストラの一員」にすぎなかった。
あまり音楽的ではない話を覚えている。
アメリカ音楽家組合とレコード会社との取り決めにより、一回のセッションは3時間とされ、それを超えると15分単位で、ダブル・スケール(通常の倍額)の分割り割増料金が加算されたが、それも、つぎの仕事に移動するプレイヤーのために、そして、スタジオのスケジュールのために、30分で打ち切るのが原則だった。
そして、この3時間の中で、何回、何分というのは失念したが、必ず休憩をとらなければいけない決まりになっていた。
ところがスペクターは、長い時間をかけてやっと決まった、繊細なマイク・セッティングを乱されるのを恐れ(洗面所に行こうとするプレイヤーたちが、床を這う多数のケーブルに足を取られたり、マイクロフォンのブーム・スタンドにぶつかったりすることがよくあったとか)、また、音を追い込んできた気合を殺がれることを嫌いもしただろう、休憩をとらずにセッションをつづけるのがつねだった。
キャロル・ケイは女性である。63、4年ごろか、彼女は妊娠した(第二子か?)。妊婦は強い。子供のために必要なことは断じておこなう。キャロル・ケイは、スペクターにかわり、時間を見計らって、「10分休憩」と宣言した。これには暴君スペクターも抗えなかったそうな。
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あとひとつ、ハリウッドならでは仕事、映画スコアの録音のことを書かなくてはいけないのだが、またしても、こまごまと書いて長くなってしまったので、もう一イニング、延長する。
(「続々・キャロル・ケイとフィル・スペクター」につづく)