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エスタニスラオ・マルコ:知られざる純粋ギター・コンポーザー

四年ほど前の冬のある日、ふと、今年は徹底的にスパニシュ・ギターを聴こう、と思った。

きっかけはホアキン・ロドリゴの誰もが知るギター・コンチェルト「アランフェス協奏曲」の、4ビート、8ビート系プレイヤーによるカヴァーでは、かならず無視される第1楽章を聴いたことだった。


ジョン・ウィリアムズによるホアキン・ロドリゴ楽曲集。当然ながら、アランフェス協奏曲は三つの楽章すべてを収録している。


マイルズ・デイヴィスがやって以来(というか、主体はギル・エヴァンズだったと見ているが)、多くのジャズ・プレイヤーが録音し、はてはポップ界にまで鳴り響いた(シャドウズ、ハーブ・アルパート、ポール・モーリアなどのカヴァーが我が家にはある)、陰鬱な第2楽章とはまったく異なり、このコンチェルトの第1楽章は明るいサウンドで、ほとんどポップ/ロック的なギターの使い方をしていた。なんたって、コード・カッティングではじまるのだから、驚いた。


Miles Davis - Sketches Of Spain, 1960
不見識にも、マイルズはアランフェスの第2楽章だけをやり、第1と第3楽章は無視した。そのせいだろう、後続のプレイヤーたちもみな蒙昧で、マイルズの真似をして第2楽章しかカヴァーせず、アランフェス協奏曲というのはあの陰鬱な曲を指すことになってしまった。したがって、いかにもヴァレンシア人の作らしい、地中海的明るさに満ちた第1楽章は広まらなかった。


こんなことすら知らなかったのは、スパニシュ・ギター音楽を無視しつづけていたせいだ。子供のころから無数のギター音楽を聴いてきたくせに、ギター音楽の歴史をショート・レンジでしか把握していなかった(チャーリー・クリスチャンとジャンゴ・ラインハルトまでしか遡行していなかった)のは恥ずべきことだ、と認識した。


The Shadows - String of Hits 1979
シャドウズのアランフェス協奏曲もあのかったるい第2楽章のみ。お前ら、ギター・バンドなんだから、純粋にギターのために存在する第1楽章をやれよ、何をボケッとしてるんだ! であった。


◎粗放農業リスニング

昔と違って、いまは聴こうと思った音楽は、たとえ盤が入手困難であっても、瞬時に、なんらかの形で聴ける。ありがたい時代である。いや、正確には「安易な時代」というべきだろうが、とにかく、思い立ったその瞬間に蒐集を開始でき、たちまちファイルが積み上がり、一年間で数百枚を聴いた。

わたしのリスニング・スタイルは「粗放農業」方式で、90パーセントの音楽は気を入れず、根を詰めず、たんなるBGMとして、心はよそにあるまま、ただ流しっぱなしにする。


VC - Panorama de la Guitare: A World of Classical Guitar Music
この種の総覧的ギター音楽巨大ボックスもいくつか聴いた。これは25枚組。しかし、エスタニスラオ・マルコ作品はまったく選ばれていない。


そうして書き物や画像加工などをしていても、耳はバックグラウンド・ジョブとして音楽を捉えていて、ふと、作業の手が止まるような音が聴こえてくるものだ。その時にいたって、はじめて音に意識を集中する。

むろん、「粗放」だからして、ざるで水をすくうようなもの、だいじな音を聴き逃してしまうことも多いが、人生、万事は縁、この世のすべての事象に縁を持つのは不可能だ。カード奇術のように、この「自然に浮きあがってきた札」だけを、縁があるものとして捉えればいい、と割り切っている。

◎エスタニスラオ・マルコ登場

そんなやり方でも、馴染みのない分野の音楽を大量に聴けば、好ましい音、好ましくない音は自然に凝固、分離され、自分なりの見方はできあがっているものだ。当然、作曲家の好みもはっきりしてくる。

濁流的スパニシュ・ギター集中リスニングの一年を終えてからは、ペースを落としたが、それでも、海外のギター・ブログなどを参照しつつ、週に何枚かは新しいスパニシュ・ギター盤を聴いている。

子供のころから聴きつづけてきた4ビートや8ビートの世界には膨大な予備知識があるのだが、クラシカル・ギター、スパニシュ・ギターに関してはわずかな知識しかないので、基本的に、未知の作曲家に対してはニュートラルかつオープン、何の先入観もなく、気軽に誰でも聴いてきた。

何の気なしに、そのようなギター音楽探求の通常ルティーンとして聴いた、エスタニスラオ・マルコというまったく未知の人の作品を集めたボックスは、一曲目から耳がピンと立ち、粗放農業リスニングから、すぐさまインテンス・リスニングに切り替えた。こんなことは滅多にない。



全74曲、そのようにアレンジしただけかもしれないが、すべてギター独奏、複数のギターによるものや、チェンバー、コンチェルトなどもなく、したがって大作もない。

いたって地味なのだが、スパニシュ・ギター音楽はこうあってほしいとつねづね考えている楽曲、サウンドで、こんなに喉ごしのいい、どこまでも心地よいギター音楽ははじめてだった。

どの作曲家でも、VC(ヴェアリアス・コンポーザー)盤ではなく、単独盤を聴けば、つまんねえ曲だなあ、とうんざりするものや、こんなのギター音楽じゃないね、ほかの楽器でやれよ、とムッとなるものがたくさん入っているものだ。


エスタニスラオ・マルコの写真はあまり見当たらず、年をとってからのものはこれしか発見できなかった。不鮮明なのだが、どうやら8弦ギターらしい。


エスタニスラオ・マルコの4枚組は、そういうものがまったくなく、純粋なギター音楽の結晶で、わたしのような子供のころからのギター音楽好きには夾雑物、不純物のないパラダイスだった。

まったく知らなかったこのエスタニスラオ・マルコってのは、いったいどういう人なのか? 当然、調べた。

◎超簡略エスタニスラオ・マルコ小伝

検索してみたところ、たいした記述は見当たらず、唯一、まとまっていたのはウィキのエントリー、それも日本語はおろか、英語版すらなく、カタルーニャ語版があるだけ。いやもう、困惑したのなんの。

やむを得ず、カタルーニャ語による記述を自動翻訳で英文にし(日本語への翻訳はまだよろしくないが、印欧語間の翻訳はおおむね信用できる)、それを読んでみた。

エスタニスラオ・マルコは、1873年5月17日、スペインはヴァレンシア州ラ・ヴァイ・ドゥイショーに生れ、1954年6月22日に没した。貧しい生れで、5歳の時にはすでにギター・プレイヤーとして街角に立って稼ぐようになっていたという。その後、音楽学校に行った兄弟から理論を学び、後年、作曲家となる基礎を築いた。


故郷ではエスタニスラオ・マルコ音楽祭というものが開かれたことがあるらしい。



やがて兄弟姉妹たちと「エル・トゥリア・カルテット」としてプレイするようになる。彼らはスペインやポルトガル、さらにはアルゼンチンなどを旅して演奏活動をし、400曲のレパートリーを築き、そのすべてを暗譜していたという(400曲暗譜はただごとではない。グレイトフル・デッドよりすごい!)。


エル・トゥリア・カルテット
姉妹ふたりの楽器はライアとして、左端はルートかマンドリンか。右端のエスタニスラオ・マルコは6弦のような、8弦のような、どちらとも判断できず。


やがてカルテットは解散し、エスタニスラオは作曲家、教師へと転じ、このホルヘ・オロスコ演奏になる箱を構成する楽曲群を残した。教え子の中にはナルシソ・イエペスもいた。そのイエペスは云う。

「エスタニスラオ・マルコはタレガのお気に入りの弟子だった。タレガ派は、指の腹で弾くタイプと、伸ばした爪で弾くタイプのふたつの流れに分かれる。前者のグループに属すのはエスタニスラオ・マルコ、ジョゼフィーナ・ロブレド、サルヴァドール・ガルシーア、エミリオ・プホルなど、後者にはミゲル・ロベット、ホアキン・ガルシーアなどがいる」


ギターを弾くフランシスコ・タレガ


爪に引っ掛けず、指の腹で弾くと、当然、アタックが弱くなり、輪郭のやわらかい、やさしい音になる。この奏法はエスタニスラオ・マルコの曲作りに影響があったと考える。不快な激しさがまったくない、どこまでも穏やかな音楽なのだ。

◎タレガとロマンスと抒情曲

イエペスのコメントを読んで、ふたつ、なるほど、と思った。

ひとつはエスタニスラオ・マルコがタレガの弟子だったということ。フランシスコ・タレガは、もっとも有名なギター曲と云えるであろう、Recuerdos de la Alhambra(「アルハンブラの思い出」という邦題が古くからあるが、「h」はサイレントで、アラーンブラと発音するようだ)の作者だ。


フランシスコ・タレガ
明らかに6弦。末端肥大症的に手が大きくて、タル・ファーロウを思いだした!


Recuerdos de la Alhambraは、日本では「禁じられた遊び」と俗称される曲(盤ではRomance Anónímoなどと表記されるが、これも「作者不明のロマンス曲」というぐらいの意味で、タイトルではなく説明にすぎない)に似た、全編トレモロ奏法によるマイナー・キーの抒情曲で、じっさい、Romance Anónímoの作者候補として、タレガも挙げられているほど雰囲気が似ている。

スパニッシュ・ギターというのは本来的に抒情的な響きが備わっており、そういう繊細な曲を演奏するのに適している。しかし、そのいっぽうで、撥弦楽器の特性として、アタックが強めの分だけ、直後のディケイ(減衰)も急激で、瞬時にサステインに移行する。

その結果、よけいな粘りけのない、あっさりした音の感触になり、抒情的でありながらも、たとえばアタックが弱く、ディケイがないに等しいヴァイオリンなどの擦弦楽器とは異なり、過度な感傷のない、爽やかであっさりしたサウンドが形作られる。



20世紀にいたってギター・ピックアップが生まれ、ギター本体や増幅装置、イフェクターなどの技術開発もあって、このアタック、ディケイ、サステインの基本構造も改変が可能になったが、それは別の話。いまは伝統的なスパニッシュ・ギターのことを云っている。

ジャンゴ・ラインハルト
あとから取り付けたピックアップが見える。ジャンゴのエレクトリック・トラックはそれほど多く残されてはいない。


◎荘重にして重厚なる音楽に立ち向かう蟷螂の斧

ギター曲のなかには激情的なものもあるし、速く強いダンス曲もあるが、700枚ほどのギター盤を聴いて、わたしの嗜好は、優しく、穏やかで、昔日の記憶を刺激するような曲のほうへと傾いた。

エスタニスラオ・マルコの4枚組冒頭の「Cariño (Vals)」(valsはワルツという意味で、3/4タイムの曲)を聴いて、すばらしい、抒情的でありながら、じつにさっぱりと爽やか、こういうサウンドが好きで、何百枚ものギター盤を集め、聴いてきたんだ、と膝を打った。


ホルヘ・オロスコ。エスタニスラオ・マルコ・ボックス全74曲をひとりで弾いた。他の盤を聴くと、多様な弾き方をしているが、エスタニスラオ・マルコ楽曲については、右手の使い方が素直でやさしく、出音が美しく、いいプレイをしている。


しかし、この作曲家のことを調べたら、上述のようなカタルーニャ語の記述があるのみ、いや、ほかにスパニッシュ・ギターに関するページなどでも言及はあったが、どれも、このボックス・セットに関するもので、極度に過小評価された作曲家、知られざる人、というような扱いにすぎず、詳しいことは書かれていなかった。

なぜなのだ?

ひとつは、大作がなく、ドイツ、ロシア的な19世紀古典音楽の陰鬱な重々しさの対極にある、いかにもギター曲らしい、地中海沿岸の明るい陽光がレースのカーテンを透かして差し込むような、軽快にして穏やかで優しい音、それも古典の世界では「小品」と軽く片づけられてしまうような、逆に云えば、現代的でポップな曲がほとんどだからだろう。

同じヴァレンシア出身で、エスタニスラオ・マルコより四半世紀ほど遅れて生まれたホアキン・ロドリゴが、ほとんどアランフェス協奏曲だけ、それも陰鬱な第二楽章のみで、ギター音楽の代表的な作曲家とみなされるに至ったのと、じつにクッキリとした対照をなしている。


ホアキン・ロドリゴ。ピアノを弾く写真が多く、ギターを弾いているものはほんの一握りしか見つからなかった。エスタニスラオ・マルコとは異なり、ギター・コンポーザーではなかったと見る。


いや、アランフェス協奏曲も、マイナーの鬱陶しい第二楽章だけが有名で、メイジャーの軽快でポップな第一楽章はほとんど知られていないことと、エスタニスラオ・マルコの極度の過小評価は、同じ音楽観、18~19世紀の重厚荘重なドイツ音楽を最上のものと戴く事大主義的西欧音楽の伝統に由来すると考える。

ドイツ音楽を正統な西欧音楽の主流とみなす人々にとって、エスタニスラオ・マルコの楽曲群は、お手軽で俗な楽器のための軽い俗曲にしか聴こえないのだろう。

◎モダナイズする古典ギター音楽

時代は変わる。ドビュシーからはじまったと考えているのだが、ドイツの支配は20世紀の到来とともに終焉を迎え、新しい和声感覚を持ち、作曲家と演奏者を主体とする重厚音楽から、リスナーを主体とする考え方に支えられた明快な音楽への移行が始まり、その結果、20世紀後半には大衆音楽が大輪の花を咲かせた。

古典音楽の世界は古いものをそのままの形で受け継ぐことを旨としているから、変化は極度に緩やかだ。しかし、ギターは、古典音楽の世界では辺境だったおかげもあり、また、20世紀後半の大衆音楽の爆発で中心的な楽器としてとてつもない役割を果たしたせいもあって、他の分野にくらべて大きく変化しつつある。

早い話が、いまの古典ギターのプレイヤーは、子供の時に、ロック・ギターを聴いてしまったのだ。セゴヴィアやイエペス、さらにはジョン・ウィリアムズと同時に、あるいはそれよりも早く、ビートルズを、あるいはジミー・ヘンドリクスを、あるいはジャンゴ・ラインハルトを聴いてしまったのだ。影響を受けないはずがない。

たとえば、武満徹の編曲になるMichelle、レオ・ブロウエル編曲のHere There and EverywhereやShe's Leaving Homeなどのビートルズ楽曲は、いまではごく当たり前の古典ギター曲として演奏、録音されている。

ジャンゴ・ラインハルトの曲も古典ギターでカヴァーされている。ギターに関しては、西欧的重厚長大からの脱却、ギター本来の役割のリストア、「リスナーへの接近」は大いに進んでいる。


Manual Barrueco Plays Lennon & McCartney
ビートルズ楽曲も入れたスパニッシュ・ギター盤はかなりあるが、レノン=マカートニー楽曲のみで構成されたギター・アルバムというのはさすがにめずらしい。


エスタニスラオ・マルコ楽曲がいままであまり演奏、録音されなかった状況(うちにある700枚ほどの中には一曲もなかった。教え子だったイエペスの20枚組にもまったく収録されていない)は終わった。

このホルヘ・オロスコのやわらかく、穏やかなギター・プレイによる大全は、将来のエスタニスラオ・マルコ評価への序曲になり、ポップ、ロック系のギターを子守唄とした世代のプレイヤーたちが、いずれ彼の現代性を発見するだろう。

(ヴァレンシアとカタルーニャについての補足。いま、スペインと呼んでいる国は、じつは、カスティーリャとカタルーニャが合体したものと考えるべきで、両者は言語的にも文化的にも大きく異なるのだという。エスタニスラオ・マルコやホアキン・ロドリゴが生を享けたヴァレンシアは、言語的には、カタルーニャ語のヴァレンシア方言という言葉を話す地域だそうで、それで、ウィキのエスタニスラオ・マルコ・エントリーはカタルーニャ語で書かれているのだろう。)

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