見出し画像

三つ残されたレフト・アローン:マル・ウォルドロン、エリック・ドルフィー、山本剛

何かのスタンダード曲をEverythingを使って、二台の8TBドライヴから抽出しては、FB2Kにすべてドラッグし、楽曲で輪切りにした「音楽相」、サウンドスケープを眺めるのを、ここ数年、楽しんでいる。

たとえば、Round MidnightとStraight, No Chaserという、セロニアス・モンクのタイプの異なるふたつの代表作。あるいは、Take the "A" Train、Satin Doll、Caravan、Mood Indigoといったデューク・エリントンの諸作。

さらには、かつて、日本でもっとも有名な4ビート・プレイヤーだったアート・ブレイキー盤で知られた、ボビー・ティモンズ作のMoanin'など、子供のころからなんとなく知っていて、耳慣れているのに、そのオリジンも履歴もろくに知らない曲のあれこれ。


Art Blakey & The Jazz Messengers - Moanin', 1958


そうしたものをEverythingの検索結果画面からコピーして、新しいフォルダーに収め、それをFB2Kにドラッグして、ダブりや、同題異曲を刈り取って行きながら、音を比較する――長い年月をかけて、一定の量を集めたからこそできる、老いの愉しみである。

◎オールド・ジャズ・ヒッツ

ロックンロールばかり聴いていた子供のころでも知っていた、そのような4ビートの有名曲、ないしは、すでにスタンダード化していた曲をリストアップしてみた。

Softly, As in a Morning Sunrise (by Sigmund Romberg with lyrics by Oscar Hammerstein II, from an operetta "The New Moon" 1928)
Mood Indigo (by Duke Ellington, from "n/a" 1930)
Take the "A" Train (by Billy Strayhorn, Duke Ellington's 1941 recording)
Night in Chunisia (by Dizzy Gillespie, from "n/a" 1945?)
Straight, No Chaser (by Thelonius Monk, from "Four In One" [10 inch LP] 1951)
Round Midnight (by Thelonius Monk, from "Genius of Modern Music" [10 inch LP] 1951)
Satin Doll (by Duke Ellington & Billy Strayhorn with lyrics by Johnny Mercer, from "n/a" 1953/04/06)
Whisper Not (by Benny Golson, Dizzy Gillespie's 1956 recording)
Moanin' (by Bobby Timmons, from Art Blakey & the Jazz Messengers - "Moanin'" 1958)
Take Five (by Dave Brubeck, from "Time Out" 1959)
So What (by Miles Davis, from "Kind of Blue" 1959)

以上、見ての通り、パーレンの中に作者名、そしてオリジナル・アルバム、リリースまたは録音年を置いた。ただし、LP誕生以前の、シェラック盤でリリースされた曲もあり、そういうものはn/aとした。


The Dave Brubeck Quartet - Time Out ,1959


あとから、あれが抜けている、これが抜けていると、数曲の脱落に気づいたが、楽曲を並べることが眼目ではないので、補わずにおく。

◎非スタンダード

そういう検索をすると、少なくとも十数種類、多いものは百種以上のヴァージョンがリストアップされるのだが、ときおり、異様に多かったり、異様に少なかったりする変わり種もある。


EverythingでMood Indigoを検索した結果の一部。下に177項目と表示されているが、バックアップ・ドライヴまで検索しているのでダブりが多い。実数は100ヴァージョン程度だろう。


その代表がマル・ウォルドロン作のLeft Aloneだ。わが家のHDDにはわずか三つのLeft Aloneしかないと表示されて、目を疑った。スペルミスもない、検索方式のミスもない。いろいろな角度から確認してみたが、どうやっても、三つしか見つからなかった(ジミー・ヘンドリクスのLeft Aloneは同題異曲)。

たしかに、ヴォーカルものは集めていないし、フュージョン以後の、4ビートではなく、8ビートのくせに「ジャズ」を名乗るまがい物も大嫌いなので、蒐集の仕方は偏っている(誰だってそうだろう。各分野万遍なく集めているなんて人には会ったことがない)。

しかし、それでも、他のスタンダードはもっと大量にリストアップされるのに、これはどういうことだ? ひとまず、世の中にはどれだけのLeft Aloneが存在するのかと思い、SecondHandSongsを見てみた。

SecondHandSongsのLeft Alone一覧の一部。


リストアップされたものを見て、じゃーしよーがねーなー、と笑ってしまった。なんたって60年代には、インストはエリック・ドルフィーのカヴァーがあるだけなのだ。

ヴォーカルを見ると、61年にアビー・リンカーンとテリー・ソーントン、64年にモニカ・ジーターランドの三種がある。アビー・リンカーンはさておき、残りのお二人は、申し訳ないが、「いったい、どこのどなた?」である。基本的にスタンダード・ヴォーカル、とくに女性ヴォーカルは聴かない人間だ、うちのHDDに収まっているはずがない。

SecondHandSongsのリストを見る限り、Left Aloneがスタンダードとしての地位を確保したのは、80年代以降と云えそうだ。これじゃあ、うちにLeft Aloneが三つしかなかったのも無理はない。

◎極東のレフト・アローンな島国の現実

では、なぜ、子供のわたしは、Left Aloneをスタンダード曲として認識したのか。これはもう、よくあるあの現象、「日本の思い込み」以外には考えられない。「日本偏差」である。

子供の時に買った4ビートのアルバムはごくわずかで、上掲のような曲をスタンダードと認識したのは、ラジオやテレビや、場合によっては映画(たとえば、富樫雅彦がドラマー役で出演した『さらばモスクワ愚連隊』なんていう映画を覚えている)で聴いたからである。


『さらばモスクワ愚連隊』
富樫雅彦が見たくて映画館まで足を運んだ。加山雄三がピアノを弾くシーンの実際の音を出したのは菊地雅章だそうだが、しかし、加山雄三はきちんと音に合わせて指、手を使っていた。ミュージシャンである以上、いい加減なことはできなかったのだろう。


Left Aloneもそのようにして記憶したに違いない。上掲SecondHandSongsのインスト・カヴァーで、ドルフィーのつぎに出てくるのは今田勝のヴァージョン、さらにそのつぎのJMOも、宮沢昭らによる日本のジャズ・コンボだ。それだけ日本ではLeft Aloneはよく演奏されていたということを示している。

子供のころ、ビリー・ホリデイのStrange Fruit(奇妙な果実)という曲も有名だった。好みではないので、テーマのメロディー・ラインは記憶しなかったが、タイトルはよく目にしたことを記憶している。上述の映画『さらばモスクワ愚連隊』でも使われていた。

だから、代表的なジャズ・スタンダードと思っていたが、わが家のHDDを検索したら、これまたビリー・ホリデイ、ダイアナ・ロス(ビリー・ホリデイの伝記映画で主役をやった)、そして、ルー・ロウルズという三種しか持っていなかった。インストはゼロ!


この本も、ビリー・ホリデイとStrange Fruitを神棚に祭り上げるのに一役買った。


Strange Fruitは日本で考えられていたほどの「ジャズを代表する曲」というわけではなかったのだ。たんに、ビリー・ホリデイという「ちょっと有名なシンガーの代表作」にすぎない。それなのに、日本ではものすごく有名で、子供までタイトルを記憶した。

こういう「日本の思い込み」は、音楽に限らずさまざまな方面で起き、のちのちまで苦しめられた。いや、いまも苦しめられている。

◎三つのレフト・アローン

いや、Left Aloneという曲自体は、好きなのだ。そのことを書こうとしたのに、ヴァージョンの少なさのあまり、いろいろ思いだし、道草を食ってしまった。

まず、マル・ウォルドロンのオリジナル。三年ばかり前にやっと手に入れたのだが、正直、なんだ、こんなものだったか、と拍子抜けした。


Mal Waldron - Left Alone, 1959
ビリー・ホリデイといっしょの写真がこれしかなかったのだろうが、それにしても、あまりにもひどいデザインで、俺はパチモン掴んじゃったのか、と思った。50年代の4ビート・アルバムは、素晴らしいデザインのものがたくさんあるので、このLPのひどさは目立つ。不可解。


高校二年の時、寮で同室になった奴が、兄さんの盤をとっかえひっかえ持ち込み、われわれロックンロール小僧にジャズ再教育(あのころのわたしは、4ビートはギター盤しかもっていなかった)をほどこしたのだが、その時に聴かされたピアノ・プレイヤーでは、まずなんといっても、セロニアス・モンクが気に入った。

つぎに面白いと思ったのがマル・ウォルドロンだったのだ。しかし、いま聴くと、少なくともLeft Aloneはあまり面白く感じない。


Thelonious Monk - Underground, 1968
モンクはいまでも好きで、よく聴いているのだが、マル・ウォルドロンは、他の盤を聴いてもやはり面白くなく、高校生の自分を、お前、ひどい耳をしてたな、と非難している!


あの時、ビル・エヴァンズやマコーイ・タイナーは、くっだらねー、と思ったのに、マル・ウォルドロンは面白いと感じたのは、いったいどうしてなのやら、不思議千万。お前は小学校の時から、ドラムとギターとベースを聴く耳は持っていたけれど、ピアノと管はぜんぜん駄目だったよな、と自分のテイストに呆れた。

◎エリック・ドルフィー盤

しかし、ここで終わっていたら、この話は書いていない。

SecondHandSongsのリストの二番目に登場するエリック・ドルフィー盤、これが素晴らしいのだ。なんといっても、フルートを選択したのがいい。纏綿と嘆き悲しむような曲なので、ウォルドロン盤のようにサックスでテーマをプレイすると、ねばついてやりきれない気分になる。


Eric Dolphy & Booker Little - Far Cry, 1962
バディー・コレットがその自伝で、ハリウッドで働くかたわら、プロ志望者のためにリハーサル・オーケストラを組んだ、管楽器プレイヤーにとって何よりも大事なのはピッチだ、練習では「全体のチューニング」に時間をかけたと云っていたが、コレットの弟子だっただけあって、ドルフィーもピッチが素晴らしい。訓練は大事だ。4ビートの世界は生まれたまんまの野生児が多すぎる。


フルートにはそういうねばつきがなく、あっさりしたリリシズムがあり、ドルフィーもじつにいいプレイをしている。アルト・サックスではそれほどとは思わないのだが、フルートを聴くと、素晴らしい技術の持ち主だったことがよくわかる。

ベースは大好きなロン・カーターだし、ドラムのロイ・ヘインズも、まだこの時は堕落しておらず、スネアの乾いたサウンドはおおいに魅力的だ(これはゲーリー・バートンのDusterあたりまでつづく。わたしが1970年に日比谷公会堂で見た時は、もう駄目だった)。Left Aloneは、1962年、このヴァージョンで、スタンダード曲の地位を確保してもおかしくなかったのに、とさえ思う。

◎山本剛トリオ盤

時代はずっと下って、わが家にあるもうひとつのLeft Alone、山本剛トリオによるヴァージョンは、Cry Me a Riverとのメドレーになっている。

これがまた素晴らしい出来で、じつは、数年前にこのヴァージョンを聴いて感銘を受け、子供の時に聴いたマル・ウォルドロン盤を再聴しようと思い立ったのだ。


Tsuyoshi Yamamoto Trio - Gentle Blues, 2013
Left Aloneばかりでなく、アルバム全体が素晴らしい。


Cry Me a Riverからはじまるが、ここはピアノ・ソロで、前付けヴァースのような扱い、〝枕〟という感じで、まだ〝噺〟に入る前という雰囲気。

おかげで、Left Aloneの最初の音が流れる瞬間はドラマティックで、落語を聴いている時の、枕が終わって、「あ、入った」と思うあの瞬間に近い感覚がある。クレヴァーなアレンジだ。

Left Aloneではそれほど活躍するわけではないが、大隅寿男のドラムズ、香川祐史のベース、ともに非常に好ましい。大隅寿男はプレイばかりでなく、タムタムのチューニング、サウンドもおおいなる好み。ハル・ブレインやジム・ゴードンを聴けばわかるが、上手いドラマーというのは、チューニングもいいのだ。


山本剛トリオ


これほどすぐれたプレイヤーを聴いたことがなかったのはまずいよな、と思い、70年代のアルバムを聴いてみたのだが、やはり若い、というべきだろう。若者には味のあるプレイはできないものだ。

わが家にはほとんどない、もうひとつのスタンダード、Strange Fruitも聴き比べをやってみようかと思ったのだが、女性ヴォーカルは大嫌い、なかんずくビリー・ホリデイは昔から好かない。やめておいたほうが無難、ということにした。聴き比べをするなら、昔から好んできた楽しい曲のほうがいいに決まっている。

いいなと思ったら応援しよう!