続・文字盤上の天使の分け前 Grateful Dead - Wake of the Flood: Angel's Share
(「文字盤上の天使の分け前 Grateful Dead - Wake of the Flood: Angel's Share」からのつづき)
(承前)
Slateというのは、名詞としてはあのスレート、屋根などに使われる石材のスレートのことで、そこから転じて、チョークなどで字を書く板のことも云うようになった、とか。
われわれが子供のころ、ロウ石というやわらかい石が売られていて、コンクリートなどにこすりつけると絵や文字を描くことができたが、これもホワイトボードのない時代の名残だろう。
まあ、よろしい。ここで知りたいのは名詞ではなく、動詞としての用法だ。動詞となると、なんだか得体のしれない、不得要領な定義が並ぶ。いわく、「予定する」「破棄する」「貶す」、うーん、こんなものが音楽に転用できるかなあ……。
セッションズものでよく出てくる注釈用語は「false start」(スタートで躓き、テイク番号を更新せずにやり直し、または放棄)「breakdown」(途中放棄)「complete」(完了)の三つ。
このどれかに、slatedとnot slatedを当てはめるとすると、「破棄する」の字義を採用するか。コンプリートがnot slatedで「破棄せず」、ブレイクダウンがslatedで「破棄」と解釈できる、かなあ……ちょっと強引か。
仮にそうだと考えていくつかのトラックを聴いてみたが、ぜーんぜん的外れ。slatedとされたテイクが最後までコンプリートしていたりする。そもそも、決定的な反証があった。ほかならぬ天使の分け前シリーズ第一弾、Workingman's Dead: Angel's Shareである。
出発点に戻り、キーワードを加えて検索した。slated not slated musicで検索すると、Do you still slate your radio spots?というページにぶつかった。ジングルやプロモやCMなどの仕事で各トラックの冒頭でスレイトするか否か、と云っている。
たとえばジングルをたくさんつくり、依頼主のラジオ局に提出するテープの冒頭に、紹介というか、宣言というか、たとえば「ニッポンラジオ2023年ステーション・ジングル、ナンバー13」などというトラック名の宣言、ヘッダーのようなものを入れるべきかどうか、という制作者の悩みが書かれている。
それに対していろいろな意見が寄せられているのだが、それはここでは関係ない(ディジタル・データにはメタ・タグが入れられるのだから、音としてスレイトを入れておくのは無意味、というのが多数派だが、いまでもスレイトを入れろと要求する依頼主もある、その場合は入れている、という意見もかなりある)。
ああ、あれだ、と思いだしたのが、ジョン・カーペンターのThe Fogの美しいシーン。
あれはいちおう恐怖映画なので、見ていない人は「その手の映画」で片づけてしまうだろうが、目を瞠るショットがいくつかあるし、映画監督ではなく、音楽監督、作曲家としてのジョン・カーペンターのピークでもあったと思う。いい曲をつくり、抑制をきかせて効果的に使っている。
ヒロインはカリフォルニアの海辺の町、スパイヴィー・ポイントのアントニオ・ベイ灯台を借りて、そこでローカル・ラジオ局をひとりでやっている。もっとも美しいショットは、彼女がその灯台/放送局に「出勤する」ところで、自宅から仕事場までの海岸の風景も美しいが、びっくりするのは、その灯台のロケーションだ。
これを見つけたからこの映画を撮った、というようなことをカーペンターは語っていたが、たしかにそれだけの魅力がある。
彼女はどこかの会社にステーション・ジングルの制作を依頼したのだろう、車から降りると、ラジカセにテープをセットし、それを流しながら、長い長い長い階段を下りはじめる。
そのテープの冒頭には「サイド1、KAB用プロモおよびリード・イン」と声が入っている。このサイドには、KAB局(ラジオ局のコール・サインは、西海岸はKではじまり、東海岸はWではじまる)用のプロモとジングルが収録されている」と宣言しているのである(リード・インというのは、惹句のことだろう。短い口上というか)。
そして、音楽あり、音楽なし、局名のみ、キャッチコピー付き、所在地入りなどなど、さまざまなパターンのステーション・ジングルないしはリードが録音されており、そのジングルの前には「33番」などと、トラック番号が宣言されている。
つまり、スレイトって、これじゃないのか?
ここまで考えたところで、最初に、無関係とみなして捨てた語義がよみがえった。「文字を書く石板」である。ほら、石じゃないけれど、記録をはじめる前に、文字を書いた板を見せるものがあるじゃないか。映画の「カチンコ」!
カチンコは、英語ではclap board(パンと鳴らす板、日本語同様オノマトペが利用されている)というけれど、どういう現場でもあるように短い言葉が生まれ、簡潔に「スレイト」すなわち「石板」と呼ばれることもあるのじゃないだろうか?
いや、残念ながら、そこまでは確認できなかったが、自分としては、これで意味不明の言葉の行列を眺める気色の悪さからは脱出できた。たぶん、トラック冒頭の宣言のことだ。
では、そういう仮定の下で、この状況に当てはめて解釈するとどうなるか。音楽録音の場合、冒頭の宣言といえば、たとえば、「スーダラ節、テイク9」というような、タイトルとテイク番号の組み合わせ、あるいはテイク2以降はタイトルを略して、「テイク2」と云ったり、さらに略して「2」と云ったりする、あれのことだろう。
これはセッションズものなら必ず聞けるし、ブートなどでもよく、怖いエンジニアの声で「テープはまわってるんだぞ(Rolling!)、テイク40!」などという声を聞ける。
ビートルズ前期のエンジニア、シンガーとしてヒットもあるノーマン・“ハリケーン”・スミスなんか、ジョンやポールがミスを繰り返したり、馬鹿を云って笑い合ったりしていると、テイク・ナンバーを宣言する声がオールドミスの国語の先生みたいに険しくなっていき、時には怒鳴り声に近くなる。
チーフ・エンジニアが若いジェフ・エメリックに交代した時は、悪ガキ四人もさぞかしホッとしたことだろう。じっさい、エメリックが卓に就いたRevolverセッションから、ファブスはサウンドと音楽の両面でドラスティックに変化しはじめた。
グレイトフル・デッドはエンジニアではなく、プロデューサーのデイヴ・ハーシンガー(むしろRCAハリウッドのエンジニアとして知られていた。ストーンズのハリウッド・セッションで卓に就いた)と、セカンド・アルバムの録音で衝突し、怒り心頭に発したハーシンガーは「お前らの云っていることはわけがわからん。もうたくさんだ。俺の知ったことじゃない、勝手にやれ」とスタジオから出ていった。
デッドのほうは、待ってました、とセッションを独り占めし、ハーシンガーに云われた通りに、勝手放題のやり放題、当時中学生だったわたしを、これはどういう音楽? と思い切り面食らわせることになる、ライヴ録音とスタジオ録音をシームレスにコラージュした、鵺のように面妖なアルバムをつくった。
デッドのセッションは普通じゃない、ものすごく特殊なスタイルなので、常識は通用しない。たぶん、天使の分け前シリーズで「スレイトした」「スレイトしなかった」などと、世にも変竹林な注釈を入れなければならなかったのは、デッドのこの異常性に由来する。
三つのAngel's Shareを、注釈を見ながら聴き直して、些末な疑問にこだわり、呆れるほど遠回りしたのも、無駄ではなかったと思った。いや、むしろ、ひとつ洞察を得られた。これだから、根問いはやってみるものだ。三つ揃って、はじめていろいろなことが姿をあらわしはじめた。
(「続々・文字盤上の天使の分け前 Grateful Dead - Wake of the Flood: Angel's Share」へつづく)