デッカ時代のリック・ネルソン For You: The Decca Years 1963-1969
MP3で持っていたリック・ネルソンのデッカ時代の集大成、For You: The Decca Years 1963-1969をロスレスにアップデイトしたので、改めて全6枚、聴き直した。十年以上前に聴いたきりなので、こんな曲をやっていたんだっけ、と思ったものもいくつかあるし、おや、そうだったのか、と納得したこともいくつかある。
◎ Fools Rush In
改めて聴くまでもなく、昔からこのリックのカヴァーが大好きだが、やはりヒットしただけあって、デッカ全録音というコンテクストにおいても、際立った魅力があることを再確認した。
1940年に書かれた曲で、最初の録音はグレン・ミラーらしい。ヒットしたのはフランク・シナトラのヴァージョンではないかと思う。そういう古めかしいミディアム・スロウ・バラッドなので、リックの好みとは思えず、他の古典曲のカヴァーと同じく、かつてビッグバンド・リーダーだった父親のオジー・ネルソンの選択だろう。
ただし、これもいつものことだが、古典をカヴァーするときのリックは、ストレートにやらず、古い酒を新しい革袋に盛る。かつて、うちにある90種類ほどのFools Rush In (Where Angels Fear to Tread)を全部並べて聴いてみたことがあるが、この1963年のリック・ネルソン盤が、Fools Rush Inの最初のロックンロール・ヴァージョンだとわかった。そして、わたしはオーセンティックなバラッド解釈のフランク・シナトラ盤より、このリッキー盤のほうを好む。
ジェイムズ・バートンは、リッキー・ネルソン・バンド発足のキー・プレイヤーとして、十七歳でリック自身にスカウトされ、その時からいいプレイをしているが、大人になったからだろう、リックのデッカ時代初期はどのソロもきわめて充実していて、ただただ圧倒される。このFools Rush Inのソロもよく唄っていて、ほんとうに素晴らしい。
自分でもそう思ったのではないだろうか、1971年のソロ・アルバムでもFools Rush Inをやっているが、ヴォーカル・パートはドブロで置き換えながら、間奏部分はいつものフェンダー・テレキャスターに切り替え、リック・ネルソン盤での自分のソロをコピーして繰り返している。
それだけではない。テレビ・ドラマの青春スターとしてのリッキー・ネルソンのファンだったエルヴィス・プレスリーも、72年のアルバム、Elvis NowでFools Rush Inをカヴァーしていて、リック盤のロックンロール解釈を踏襲しただけでなく、この時期、エルヴィス・バンドのバンド・マスターとなっていたジェイムズ・バートンに、リック盤のソロをそのまま再演させている。ジョークではない。三顧の礼をもって迎えたジェイムズ・バートンとその名演への敬意の表明であり、同時に、アイドル・スターとしてのリッキー・ネルソンへのウィンクだろう。
◎ Dinah
DinahはFools Rush Inよりさらに古い1925年の曲で、最初の録音はエセル・ウォーターズらしいが、大ヒットしたのは1931年のビング・クロスビー盤だろう。日本でも戦前、たぶんこのクロスビー盤をもとにして、カヴァーが多数録音され、そのなかでディック・ミネ盤が大ヒットしたそうな。
ディック・ミネはまずまずストレートなバラッドにしているが、「Dinah, should you wander to China/I would hop an ocean liner」というような、ラヴ・ソングらしからぬ、ふざけた韻の踏み方でニヤニヤさせる歌詞なので、ビングをはじめ、軽く唄うのが主流、日本でもその線に沿った解釈の替え歌がいくつかつくられた。
たとえば、エノケン盤(「エノケンのダイナ」と改題)は「旦那、飲ませてちょうダイナ、ケチケチしなさんな」だとか「旦那、殴ってちょうダイナ、つねってちょうダイナ」と、滅茶苦茶な韻を踏んだ、わけのわからない歌詞で、はじめて聴いた時は、旦那、これはいったいなんだ、であった。
ほかにも岸井明(「♪ダイナ、いつでも綺麗な、誰よりもトテシャンなあたしのあのこーよ、へへへ、わるく思うなよ」とやはりややコミカル)、川田義雄「浪曲ダイナ」(当然、コミカルな歌詞で揶揄している)、あきれたぼういず「ダイナ狂騒曲」(メロディーは部分的にはダイナを使っているが、語りと唄は当然コミカル)、中野忠晴の比較的ストレートなレンディションなどがある。笠置シヅ子「センチメンタル・ダイナ」は「ダイナ」とは異なる曲だが、これも「ダイナ」の大ヒットに触発された、というか、便乗したものなのだろう。『西部戦線異状なし』なしに便乗した、斎藤寅次郎監督『全部精神異常あり』みたいなもの――なんてことはないか!
日本でもそれほど多数のヴァージョンが生まれたのだから、アメリカでは、わが家のHDDにあるものだけでも30種あまりになるほどで、ミルズ・ブラザーズ、ジュディー・ガーランド(他のヴァージョンにはない、ダイナマイトがどうこうという妙な前付ヴァースを追加している)、ディーン・マーティン、チェット・ベイカー、ベニー・グッドマン、デューク・エリントン、トミー・ドーシー、プラズ・ジョンソンなどなど、無数のヴァージョンが生まれたし、フランスに飛ぶと、ジャンゴ・ラインハルトがこの曲を何度も録音している。
さて、わがリッキー・ネルソンはこのスタンダードをどう唄ったか。彼が古典曲をやるときのいつものパターンで、大勢に逆らう少数派アレンジ、すなわち、かなり遅いストレートなバラッド・レンディション、しかも深くリヴァーブをかけた録音で、笑わせようなどという気配は兎の毛ほどもない。
成功しているとは云いかねるが、なんだって試してみればいいさ、である。攻めたアレンジにしないと、古典曲は凡庸に堕す運命にある。チャレンジするからこそ、リック・ネルソンの古典曲カヴァーは面白いのだ。
◎ Only the Young
小学校の時、ヴェンチャーズ仲間の同級生が聴かせてくれた曲で、半世紀以上前から知っているのだが、Dinahとは対照的に、カヴァーはほんの一握りしかなく、うちにあるのは、オリジナルのチャンプス盤、ヴェンチャーズ、チャド&ジェレミー(Only for the Youngと、よけいなforがある。初出時の転記ミスが、はるか後年のCD化に至るまで継承されてしまったのだろう)、そして、ジェイムズ・バートン、エイモス・ギャレットらによるライヴ・ジャムという4種のみ。
作者はジム・シールズ、すなわちヴォーカル・デュオのシールズ&クロフツの片割れ、二人ともかつてチャンプスのツアー・バンドに在籍したことがあり、その時代に書かれたのだろう。そもそもチャンプスはインストルメンタル・グループだし、他のカヴァーもインストである。チャド&ジェレミーも、ときおり彼らがやる、チャドのギター(この曲ではアコースティック12弦)をリード楽器にしたインストだ。
しかし、リックのOnly The Youngはヴォーカル・カヴァー。Only The Youngのヴォーカル・カヴァーというのはリック盤だけなのではないだろうか。どのヴァージョンも解釈に大きな開きはなく、リックもサウンドとしては、チャンプスやヴェンチャーズの解釈を踏襲している。
リックのヴォーカル・レンディションは、2、3回リハーサルをしただけ、というような雰囲気の未成熟な硬さがあるが、この隠れた佳曲(コード進行が微妙に面白い)のヴォーカル・カヴァーを残してくれたのはたいへん嬉しい。チャレンジあるのみ、だ。
◎ My Blue Heaven
またしても、第二次世界大戦前の大ヒット曲、レヴュー・ショウ「ジーグフェルド・フォリーズ」の1927年の一篇のために書かれ、その後、ジーン・オースティン盤がヒットしたとか。しかし、後年に至っても有名なのはビング・クロスビーをヴォーカルにしたポール・ホワイトマン楽団盤だろう。戦後、ファッツ・ドミノ盤もヒットしていて、わたしの感覚では、My Blue Heavenはファッツの持ち歌だ。
日本でも「私の青空」として、エノケン盤がヒットしたという。二村定一も唄ったらしいが、うちにはないし、聴いたことがない。ダイナほどの大ヒットではなかったのだろう、日本語のカヴァーはそれほど多くないようだ。
リックのMy Blue Heavenは、古典曲カヴァーの既定方針通り、他のヴァージョンとはまったく異なるアプローチで、ファッツの唄がピタリとはまるような、本来、のんびり長閑な曲を、アップテンポのストレート・ロッカーでやっている。これまた成功しているとは云いかねるが、例によって、「やっぱり、ここでも攻めたか」とニヤニヤしてしまう。
ミドル・ティーンのリッキーはファッツ・ドミノの大ファンで、デビュー曲はファッツの大ヒット、I'm Walkin'だったし、シングル一枚を残して、すぐにファッツのレーベルであるインペリアルに移籍した。だから、このMy Blue Heavenも、ファッツのヴァージョンを聴いていたのだろう。にもかかわらず、というか、だからこそなのか、ファッツとは正反対の解釈をした。ファッツのヒットの、コピーと云っていいくらいのストレートなカヴァーでデビューしてしまったことに悔いがあったのではないか、などと想像してしまう。
さすがに6枚組、一気にやるのは無理だった。ハル・ブレインやジム・ゴードンが登場する後半の曲のために一回、延長する。
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