普通の人生を諦めない
私は統合失調症という病気を患っている。そしておそらくHSPでもある。親友にも多分そうなんだよ、と言われた。
統合失調症というと、陽性症状で言い方は悪いが、簡単に言うと発狂してしまう症状がある。普通でいれないのだ。しかもこの症状の記憶もしっかりある。
だから私は「普通」をとても求めてた。ように思う。
A型事業所に通っているときもそうだった。事業所のことを「作業所」と呼ばれることがとても嫌だった。しかも「作業所の利用者」と思われることなんか、本当に嫌で作業所ということを隠し続けた。
友達に聞かれたときなんかは「塾の事務職」なんか適当に答えてた。
そして病気になってもタダじゃ終わらないと強く。思っていた。
だから逆に支援者になりたいと思い、なった。厳密にはピアスタッフという役割だ。でも続かなかった。ここでHSPが顔を出してきたのだ。
常に他人の顔色をうかがう日々。支援者のはずなのに利用者の顔色までうかがっていた。こんなんで良いはずがない。結果3ヶ月で辞めた。
現在は知的障がいの方のガイドヘルパーとして働いている。この仕事はもうすぐ2年になる。なぜ続いているかというと、一番は人間関係がほぼないからだ。人によっては孤独な仕事という人いる。でもそれが私には合っているのだ。
今でも電車に乗ったときなんか、挙動不審に見られないように「普通」を装う。喫茶店なんかで同病の人と雑談するときなんかに病気のワードがよく出る。そのボリュームが大きいだけでとても嫌なというか、複雑な気持ちになる。周りに聞かれてしまうからだ。
今書いてて思ったけど、自分自身まだ病気に偏見があるのだと思う。だから「病人」として見られたくないのだと思う。統合失調症とHSPはあるけれど、だ。
でもこの偏見のおかげで、今は仕事もほぼクローズできている。「普通」にこだわってきたから結婚もできたと思っている。車も買った。ディーラーの人にももちろん「病人」だとは思われてないだろう。よく行く居酒屋の常連も自分が統合失調症だと思っている人はおそらくゼロだろう。
よく普通の人生なんかくそくらえとか、精神障がい者は普通の人生は諦めた方がいい。なんかよく聞く。でも逆に自分は普通を求めて普通にこだわってきた。それで手にした幸せもある。普通だから、突き抜けることはできないが。いや、できていないが、か。まだまだこれから。もっと成長したい。
病気の症状、リハビリ、闘病生活、仕事、将来、幸せのカタチ…
十人十色だ。正解なんてない。その人が正解だと思ったことが正解だと思う。未だに自分が病気であることに偏見があるのかもしれないし、病気を受け入れられているのかも分からない。しかし他人に関しては偏見は持っていない。ただ、こういう考えもあるんだよ、という私なりの「正解」を少しばかり記してみた。