偽善と自己満足なので、この話題をぶり返されたくない人は見ない事をオススメします。 今日の朝、1人の少女がPeriscopeで自殺配信をした。 少女は学校では虐められていて、家庭では父親から性的虐待を受けていたらしい。 僕は少女が死んで、唯一残ったツイッターのアカウントを暗闇の中ただ眺めていた。 少女は死んだ証を残したいと、自殺配信をしたのだ。じゃあ、生きていた証も残してあげなければ、少女の死はただの、人間1人の死として終わってしまう。勇気を振り絞って、配信をして、勇気を振り
朝見た夢を寝起きで書いてます。 今は3月、私は最近高円寺に引っ越してきた。 昔からすごく憧れた街で、本当にずっと住みたく思っていた、念願の場所だった。 私は昔から高円寺に足繁く通っていたので、友達が沢山居る。 たまたま高円寺の知り合いツテで家賃が安い物件があるとの事だったので、そこに住むことにした。それが去年の10月のこと。 家賃2万円。大家と直接契約したので仲介手数料もなし。 大家さんいわく、「高円寺に住む若者が大好きなだけだから利益目的じゃないんだよ」 との事だった。
この人のnoteいいなって思った人が最近多いんだけど意外とそういう人の方がTwitterやってないのなんなの。 あ、お久しぶりです。
すごく天気のいい昼下がり、 病院の6階のラウンジでソファーに持たれながら彼女に借りた金原ひとみを読む。 外に見える国道から数え切れない車が走っていくのが見える。 この車に乗ってる一人一人に、自分と同じように人生があって未来があって少しの希望があって、そんなことを考えてくると頭の容量不足で気分が悪くなる。 自分は人の気持ちを考えることができない。 それは単に頭が悪いからでも、考えたくない訳でもない。 自分以外の人間が本当に人間としての生活を送っていて、自分と同じように幸せを感じ
最近noteを書いてないからリハビリとして脳死で書こうと思う。 最近になってやっと多くのアーティストの楽曲を聞くようになってきた。 別に数多いるアーティストに追いつけないとか、 これ以上音楽を掘りたくないとか、 そんな事は全くないがあまり新しい音楽に手を伸ばそうとしなかった。 結局、私がフォロワーや自分の好きな音楽評論家が良いと言っていた名盤やバンドを聞いた時、私は本当にこの音楽を好きと思っていたのだろうか。 私が行っているのはアーティストへの興味ではなく、教えてくれた人へ
私は音楽が好きだ。 今は2022年、令和4年。 私が「ういはら」と名乗る人物にネットの中で出会ったのは2017年だった。 その頃の僕はツイキャスにどっぷりとハマっていて、それと同じくらい2次元にどっぷりとハマっていた。 ふとツイキャスでアニカテというものを調べていた時のこと、そこにはかわいい女の子の絵が書かれているサムネが沢山いる中で何気なく押した配信が「ういはら」という人だった。 ほんの少しハスキーでしかしそれ以上に可愛らしい声をしているキャス主に私はまたどっぷりとハマった
ふと思ったことがある。 絵やアートは芸術というのに音楽は芸術と言わない事だ。 何故だろうか。 音楽も絵もアートも全て創作して表現するものだと言うのに。 何故音楽のことを芸術と言わないのだろうか。 音楽評論家がよく口にする 「これはまるで芸術です」 という比喩は何故比喩でありそのままの意味ではなのだろうか。 音楽は芸術では無いのだろうか。 体の五感から考えてみようと思う。 絵や、彫刻、陶磁器など芸術と呼ばれるものたちはそこに実在している。そして肌で触って目で見て感じている。
薄汚れた部屋の中に私はいる。 ZARDの眠れない夜を抱いてを聴きながら。 夕方という矛盾。汚れているのにZARDという矛盾。 この世に矛盾という美しいものが存在していたことに私は驚いた。 カーテンを挟んだ下界からは綺麗な蜜柑色の夕焼けが僕を優しく照らしている。 たまに通る車のエンジン音で世界を確認して、 たまに吹く風にあたって世界と繋がる。 人々が疲れ帰宅をする時間から動く自分が好きだ。 人と違う動きをすることが嬉しい。 明日もバイトか...なんてため息を吐くことすらどこか気
昔のような文章が書けなくなっている。 昔のように楽しく文章が書けなくなっている。 昔は書く事が快感だった。 それを人に見せつけて人からの評価を得ていた。 今の僕には熱量もなければ快感もない。 時たま書かなければという使命感だけに追われてただ日常を書きなぐった駄文を電子の海に流す。 自分が書きたいのはこんなことじゃないんだ。 人間の心の奥底で煮えくり返るような 葛藤とか、 夢とか、 希望とか、 こんなだらけた生活を吐露しても評価なんてあるわけがない。 昔の僕は本当に好きだ。 で
バイトに行って、 日が回るか回らないか、そのくらいの時間にシャワーを浴びて、 やっすいドライヤーで髪を乾かして、 ジメジメした部屋で踊ってばかりの国を流して、 黒い汁を飲みながら黒い灰を黒い肺に入れて、 部屋の片隅を一点に見つめて、 溜息をつきながらまた黒い汁を飲んで、 ふと思い立つようにレコードをかけて、 廃人のように住処に戻って 暗闇の中で青い鳥とにらめっこして遊んで、 くだらねぇ一日を毎日過ごしています。
夢の話 去年の夏に僕は電車に乗ってて秋葉原に着いた途端に急に前にいた少年が熱中症で倒れた。 僕と周りの人で直ぐに救急と駅員に連絡して事なきを得た。 その後1年経って僕は愛知県岡崎市で職場の寮に住んで働いていた。 その日は大雨で雷がすごかった。 そしたら急に不在着信が入ってきて基本でないから出なかった。 その時急に職場のLINEに上司から、 《寮の周りを「人が1人もいない、、誰か助けて!!!」て言いながら徘徊してる奴がいる。》 と連絡が来た。 僕は気持ち悪いと思ってシャッタ
人生とは無駄の連続のようなものだ。 無駄な時間を惰性に過ごして、無駄な情報を見て横流しにするだけの夜。 明日は自分の為に生きようなんて言ってたのがこのザマ。 無駄な夜に無駄な事をしてすこし有意義な煙を吸う。 それで自分のために生きていると言えるんだから人間はバカだ。 今日職場に最後の挨拶をしに行ってきた。 月曜日の憂鬱とした朝の朝礼の空気感が嫌いだ。 そこで新入社員が退職の挨拶をするのだから余計に憂鬱だ。 僕が事務所から出る頃には皆は何かが終わったような、でも1週間は始まっ
中学三年生の頃から好きなボカロPが居た。 その人の名前はGUIANO。 Summer Dreamという楽曲で彼を知った。 その人が作る透き通る音色を僕は聞いてこう思った。 「僕もこんな曲が作れる人になりたい」と。 それから彼がYouTubeで作曲配信をしている所をよく見るようになった。 透き通る我が子を産む現場に立ち会っていた。 それから日々は過ぎて18歳。僕は高校を卒業して関東へ出てきた。 そこで自分を変えようと努力をしようとした。 遅くても遅いなりに音楽ソフトを買って、し
人は、事ある事に「自分は成長した」という。 自分から、成長した。なんて言っている人はそこら辺の「私メンヘラだから」「私ADHDだから」 と言っている人と一緒だと思う。 よく客観視出来てますね〜凄いですね〜と嫌味を言いたくなってくる。 成長というのは気が付かない事だと私は思っている。 何かの拍子で急に成長するとは思えないからだ。 日々髪の毛が伸びるのと同じように。 寿命が縮んでいくのと同じように。 石油がなくなっていくのと同じように。 同じようにじわじわと変化していくものだと思
僕は上京したら遊びまくるもんだろうと思っていた。 誰も昔の僕のことを知らない所だから1から男女関係なく友達を作りまくって遊んで。 でもそれはただの理想であって自分の体には向いていなかったらしい。 合宿免許もずっと一人ぼっちだし、引越し先でも新しい友達は出来ていない。 完全にキャパシティを超えるものばっか僕は求めてしまうのだろう。 だが、現実は現実で幸せである。 何気ない瞬間にこそ本当の幸せがあるのだということを改めて感じた。 人と遊ぶ時の幸せなんて地元では深く考えなかった。
僕はタバコが嫌いだ。 あの匂いが無理だ。部屋にこもった匂い、喫煙者の口臭、吸った後の服の残り香。 全てにおいて嫌いだ。 なぜ僕はそんなにタバコが嫌いになったのだろう。 僕は小さい頃喘息を患っていた。 タバコの煙は喘息の天敵であり、僕の天敵だった。 だが父、父方の祖父、母方の祖父、揃って全員喫煙者だった。 中でも父方の祖父が僕は嫌いだ。 話していると長くなるから理由は割愛するが取り敢えず大嫌いだ。 そんな父方の祖父が1番のヘビースモーカーだった。 朝起きて廊下に出ると、ベランダ