【企画展】田中一村展〜奄美の光 魂の絵画〜
2024/11/30(土)
花巻の里山も上の方が白くなりました。
今日は、
東京都美術館の企画展『田中一村展 奄美の光 魂の絵画』を訪れてきました。
田中一村と私の始まり(とはいえ、ほんの少しかじったままの程度)は先日のnoteにて。
早池峰山が御縁で(一方的に)知ることになった、岩手県立博物館の学芸員の鈴木まほろさんも訪問されていて『こんなに植物が上手い人は他に知らない』と評されているのと、中学校の恩師、前村卓巨先生から教えて頂いた日曜美術館『奄美への道標画家・田中一村』で、先生がご出演されている様子を見て、情熱の塊みたいな先生の『すごいの発見した!』的なエモーショナルな一瞬を見てしまって、行きたいなぁと思っていました。
そもそも絵画は興味全く無かったんです。花巻市に越してきて、子供の小学生時代に参加したスタンプラリーで訪れた『萬鉄五郎記念美術館』で絵画の奥深さに衝撃を受けて、絵の見方が変わりました。
近くで見ると雑然としたタッチの集合体が、少し引いてみるとリアルな描写に浮かび上がる没入感。流行りにのるなら、イマーシブ?な感じ。しばらく子供そっちのけでイマーシブ。
その時は(も)部門の組織づくりで悩んでいた事もあって、絵がきっかけで『それが自然なんだ』と光が差し込んできました。
いわゆる、個を見過ぎ。気にしすぎ。気を使いすぎ。彼らは自分で考えて良い判断をできる人間。私がするべきことは一歩引いて全体の統制を取ること。
そこまで私が悩むのにはこんな背景がありました。
会社の悩みは、会社以外のところにヒントがあったりするんだなぁと。こんな事も書いてました。
縁あって企画展を訪問できることになり、やまびこの中でそんなことを振り返っていました。
つい悪い癖も出てしまいました。
noteで田中一村企画展のレビューをいつくか拝見させて頂きました。その筋の方や絵画を愛好されているであろうことが、記事の豊かな表現や考察力に表れていました。
(私が行ってそこまで感じられるだろうか?)
なんだか、エベレストを登りに行く気持ち。
出た、考え過ぎの悪い癖。
エベレストは無理にしても、自分の足で早池峰山や岩手山を歩いて来たよなあ。何かを得に行こうとして得たことより、想像もつかない感動や感情を得たことのほうが多くなかったい?
そうだ、私は感動屋だ。腐ったチーズも受け入れて正常に消化できるように(?)、自分の感情に正直になってみよう。現実を素直に受け入れてみよう。周りは周り。私は私。
上野駅の公園口からの風景は、
そして物語のはじまり。
14時から観覧の予約をしてましたが、入り口はもはや長蛇の列。耳に入る会話からも皆さんの期待感がすごく伝わってくる。
スタッフの皆さんも献身的。受け入れ態勢万全。手荷物も無料で預かってくれるのがありがたい。
企画展は展示場の1階から3階までを利用して、みっちり絵画や資料が展示してありました。
最高峰の美術館のパワー、すごいな!と目をウルウルさせながら、田中一村の作風の変化や集大成へのマイルストーンを噛み締めていきます。
筆のひとすじひとすじを丹念に観察。寄って見て、引いて見て。最高の時間。感情が伝わってくる生々しさに身震いする。色、色合い、トーン。陰影。
手前を暗く、奥を明るく。この描き方も印象的。陰から陽を見ているような。渇望なのか、生き方なのか、ゾクゾクする。
311点もの作品や資料。学芸員さんも、神経すり減らすよね。
階を上がるごとに心臓が高鳴り、最上階でついに「不喰芋と蘇鐵」に出会いました。どんな感情が溢れるのかなと期待するも、とても穏やかな心情でした。
贅沢させてもらったのは、ちょっとだけ絵の真ん前に立たせてもらったことです。
おかけで、もう、すごい。
全点くまなく鑑賞したわけではないのですが、来てよかった。
田中一村さんはこんなにも注目されて、いまどんな気持ちかな。前村先生、最高ですよ。
最後のおみやげショップも長蛇の列。真っ先に思い浮かんだのは、前村卓巨先生に贈る用のポストカードを買うこと。
もちろん絵柄は「不喰芋と蘇鐵」です。これ1枚持ってレジ待ち並ぶこと10分。なんて書こうかな。スマホ見てたら『はい前見て進んでくださいね〜』とイエローカードも1枚。
レジカウンターの後ろの壁に『レジでも図録購入できます』と書いてあって、買ってしまった。
あとからジワジワ楽しもう。
上野を歩きます。
2010年以前の年賀状では、前村先生は奄美大島の田中一村記念美術館の学芸員としての務めを終え、鹿児島に戻り高校の教諭に赴任されたと記載されています。
2010年に、先生が務められていた田中一村美術館を訪れてみると、偶然にもそこで先生と再会しました。実に19年ぶりのこと。
その再会から14年。今日は先生が追い求めてきた「人間・田中一村」深く知ることができました。先生はいつもそうだ。黒子に徹して、周りを輝かせる。
自分の信じる道をひた走る姿、なかなか世間に認められないジレンマ、そして『命を画材に変えた』とも表現される晩年に感じさせる「利益」ではない自分の内面に向き合うような大作。。
神様とか宇宙とか言い始めると「宗教」に限定した定義に捉えがちですが、もっともっと自然の、根源的な、その自然の摂理のひとつとしての人間のありかたを感じさせる作品。どこか、宮沢賢治さんとおなじような雰囲気を感じます。
良い一日、ありがたい思いでした。