みつをとせかい、その「あいだ」
「それ」はいつもの場所に、ぶら下がっていた。「飾られていた」というには、ややぞんざいな扱い。に見えるのは、やはり壁に対して少し斜めっているからだろうか。とにかく「それ」はいつも通りの場所に、恐らくはぶら下げた当人も、その存在を忘れ去ってしまっているのではないかという佇まいで、あいも変わらずにぶら下がっていた。
「それ」とは、これだ。
そう、みんな大好き、名言の殿堂、相田みつをだ。
1924年の生まれということは大正13年、僕のばあちゃんと同い年だったのか、とウィキペディアを読んで初めて知ったくらい、実は僕はみつをについて、あまりよく知らなかったし、正直興味もなかった。作品についても、とても有名な『にんげんだもの』やACのCMで使われた『セトモノ』くらいの知識しかなく、「いいこという人だなあ」くらいの存在。だから、頻繁に出入りする仕事関係の場でこれを目にしても「みつをなんだなあ」と心の中で思う程度で、本当にどうということもなかったのだ。多分、3年、いやもっと前からかもしれない。いつの間にかぶら下がっていたこの詩を、僕はただぼんやりと同じ場所で目にし続けていて、いかにもみつを的な詩だななどと、僕がみつをの何を知っている訳でもないのに、今思えば本当に失礼な話でもあるのだが、その程度にしか思ってなかったのだった。
その日も仕事場での用件を済ませ帰り支度をしていると、いつも通り、相変わらずのみつをが目に飛び込んできた。
『歩くから道になる』
間違いない。歩かなきゃだよね。道を作らねば、生きるとはそういうことさ。頑張るよ、頑張らねば、頑張るさ、頑張れ、俺。これが僕のいつもの解釈。だってこの後には
『歩かなければ草が生える』
当たり前すぎて、まさに「草生える」詩である。いや、特にこのネットスラングのせいで、ことさらこの後半部にはネガティブな印象を持つ人も多いのではないだろうか?草が生えるなんてサイアク、僕は歩いて道を作るのだ、と、なんの疑問を挟む余地もないことの、はずだった。
『歩くから道になる』
異論ない。
『歩かなければ草が生える』
確かに、そうかもしれない。だけど・・・僕の中で何かがぐにゃりとした。あれ、草が生えて、何が悪いのだろう?なぜ、僕は草が生えることを悪しきことだと思ってしまっていたのだろう?自分でも不思議だった。3年以上、同じ詩を見つめていたはずなのに、急に全く別のものに見えた。なぜか?一つ思い当たることがあった。
この数日の間での一番の僕の変化、それはこの本を読んでいたことだった。
上妻世海『制作へ』
独特のタイトルロゴに一際目を引く鮮やかな赤の装丁が美しいこの本は、上妻世海という稀有な才能が、キュレーター、思想家、批評家、社会学者や人類学者など、特定の枠にとらわれることなく、さまざまな視座を往還しながら、「制作」という「捉えどころのない、奇妙な概念(表題エッセイ『制作へ』より原文ママ)」について論考した、彼初の単著である。この本が書かれた目的を一言で言うなら「誘惑」ではないだろうか。上妻は、代替可能なモノで溢れる現代の消費社会において、人間がその不毛なサーキットから解放されるための処方箋として「制作」こそが有効であり、その概念を制作(言語化)することで読者を「制作者」へと魅了/誘惑する。そして「作りつつ、作られ、作られつつ、作る」という、「制作」のテーゼともいえるこの言葉通り、次の制作に向かうための、自らの、そして読者の身体を作り替えるための「足場」として、物理的に現前した「作品」それが『制作へ』という本である。
この本を一読して、果たしてつぶさに理解できる人がどれだけいるのか。実はこのテキストを書きながらも、僕は幾度となく、あの妖しげにも美しい赤の本を手に取り、読み返しては書き、書いては読み返すを、もう5ヶ月近く繰り返している。引用されている人物の名前を検索し、初めてみる言葉の意味を調べながら、一行読んでは反芻し、1ページ読んでは2ページ戻って読み返すという読書を繰り返しながらもなんとか初めて読了したのが今年の3月のことなので、気がつけばもう9ヶ月間も、折に触れてはこの本と向き合ってきたこととなる。「理解」という言葉を使ってはみたが、正直、この本を読み続けていると、その言葉がいかに空虚なものなのかを思い知らされる。僕の「分かった」は「分からない」の一部でしかなく、また読む時間や場所が変化すれば「分かった」も「分からなく」なり「分からない」と思っていたところが「分かった」ような気持ちになる。だがこの「分かる」と「分からない」という双極に安住させることなく、そのあいだに身を揺蕩わせる感覚こそ、上妻が『制作へ』という作品を通じて読者を誘いたい世界であり、その世界に身を置く入り口として「制作」という具体的行為が要求されるのだ。
「制作」といっても、何も高尚な芸術作品を作ることだけを意味するのではない。上妻はレーン・ウィラースレフの『ソウル・ハンターズ』を参照しながら、シベリアの先住民「ユカギール」の行う「狩猟」という、彼らの生活に根ざした行為の中にも「制作」に通ずる「あいだの世界」への誘惑があるのだと指摘している。何をするのかは重要ではなく、ましてやアーティストやクリエーターになるとかならないとかという話でもない。モノやコトの表層で戯れることから離れ、いかに「あいだの世界/制作的空間」へと降りて/落ちてゆくのかが重要であり、その為の「制作」なのだ。そして「あいだの世界」に落ちるということは、端的に言うならば「生きる」ということの本質を捉え直すということに他ならない。近代化の中で、2021年の日本を生きる僕たちの生活の豊かさは極まっている。室内は春夏秋冬、エアコンのお陰で均一で快適な温度を保ち、小さな円盤型掃除機は、プロクラムに従って隅々のゴミを吸い上げた後にはまた元の場所へと戻っていく。馬鹿でかいドラム式洗濯機は早朝から洗濯する妻を「朝からご苦労様です」と労い、トイレではウォシュレットが局部を不快にすることなく、適度な水圧と温水で汚れを洗い流してくれる。暇を持て余したなら、掌のスマートフォンによって場所を選ぶことなくゲームやYouTubeやNetflixが無数のコンテンツでその隙間を埋めてくれるだろう。たとえ一人暮らしであっても、LINEやFacebookなどのSNSは物理空間の限界を物ともせず、たちどころに誰かと繋いでくれる。数百年前の王侯貴族どころか、ほんの2〜30年前の僕の家の暮らしと比べてみても、遥かに今の方が便利で豊かだ。そして、それは決して特別な贅沢という訳でもない、誰もがちょっと手を伸ばせば届く「普通」の生活である。僕は文明批判をしたい訳ではない。そんなことしても、大した意味はなく、時代は後退しないし、僕たちがこの豊かさと便利さを手放すことは、たとえシンゴジラが現れて全てを焼き尽くしたとしても、なんのかんの、また代替品をあてがいながら、維持し続けるのではないか。問題はそういうことではなく、繰り返される秩序と安定で作られた凪のような僕たちの便利で豊かな日常は、僕たちの「生」を永久無限に続くものだと錯覚させる。『制作へ』で上妻は「私が私であること」を保証するために作り上げてきた一連の制度を近代制と呼んでもよいくらいだ、と看破する。元々の「生」とは安定的とは程遠い、仏教的にいうならば、全ては移り変わりの中にあり、確たる私などどこにも存在しない、常に捉えどころのない「私/我」は立ち現れた瞬間、また別の「私/我」へと流転する。このことを観念として捕まえるのではなく、「制作」という実践を契機にして体験として、行為として、得心していく。テクノロジーが極まった僕たちの普通の日常生活に対して無自覚であり続ければ、図らずも僕たちの身体は消費的に振る舞ってしまう。生を無味乾燥なものにしてしまう消費的身体を、制作を介することで制作的身体に作り変えていく。この時代をこの時代のままに生きるには「制作」する以外に道はないのだ。
『制作へ』を読むことで、僕の身体は明らかに作り変えられていた。3年解釈が変わらなかった、あのみつをの詩が、全く違うものに見えたあの瞬間を僕は忘れない。作り変えられた僕の身体は、みつをのあの詩の後半部分をこう読み替えていた。
『歩かなくとも草が生える』
頑張れる人は、歩ける人は、切り開き道を、価値を作ればいい。でも誰もが常に切り開ける強さを持っている訳ではない。頑張りたくても頑張れなくなる人だっているだろう。価値を作れない自分の存在意義を認められなくなる人生はあまりにも苦しい。でもそんな時は別に歩かなくても大丈夫なのだ。なぜならそこには草が生えてくるのだから。草が生えれば花も咲くかもしれない。蜜を求めて虫が集い、他の動物たちの姿を見つけることもできるかもしれない。歩けない時は、ひたすらに草を愛でればいい。風は吹いているのか。どんな匂いが漂っているのか。陽光は暖かいのか。ゆっくりと呼吸を整える。道を作らなくても、全てを包摂し続けるこの世界は、歩けない僕も包み込む。もう既にこの世にはいないみつをと、僕は時空を超えて対話した、そんな確信に満たされていった。
果たして、その確信に確証を得るべく、僕は有楽町にある「相田みつを美術館」を訪ねた。思えば、あまりにも流行りすぎてしまったみつをの詩とその独特の書体は、カレンダーやポストカードに印刷され、至る所で目にする機会が多い。飲食店ではその書体を真似たメニューやポップなどもあって、みつをの作品たちはいつの間にか一般化してしまい、その本来の魅力やメッセージを受け取りにくくなってるのではないか。バズることは必ずしも良いことばかりではない。コピーアンドペーストで偉大な作品も平凡化して消費の対象となってしまう。実際、僕もみつをを消費してしまっていた。商品ではなく作品を、僕は見つめなければならなかった。
じっくり3時間くらい、隅々まで館内をめぐって、僕は頭を掻いた。僕のあの詩の解釈、どうやら間違っているらしいのだ。他の作品を見つめ、みつをの仕事に対する厳しさを知るにつれ、彼はやはり「草が生えないように歩かねば」という心境の中にあの詩を紡いだ、その解釈の方が自然なのではと思ってしまった。たとえばこの詩、同じ「道」という題名だけに比較しやすい。
愚痴や弱音を
吐かないでな
黙って歩くんだよ
厳しい。あまりにも厳しいこの詩を目の前にした時、道を極めんとする求道者みつをの歩む道の険しさを無視することはできなかった。でも今となっては、当時みつをがどんな心境で最初の『道』を書いたのかは、どうでも良いことだと思っている。みつをの『道』という一片の詩を、上妻世海の『制作へ』を読むことで身体を作り変えられた僕が「草を愛でる」と受け取り、そしてふたつの作品を足場にしながら、僕はまんまと、まさに「書かされている」。そのことが何よりも大切なことなのだと、僕は確信している。
5ヶ月を要したこのテキストとも一応の決着を迎えようとしている。この文章に挑んで「書けないのではなく、書かなかった」と敗北感に苛まれながらツイートした日もあったが、今の僕は「書かなかったのではなく、やはり書けなかったのだ」と言い換えたい。パソコンに向かいキーを打つ時間よりも、当然のことながらそれ以外の時間の方が長かった訳ではあるが、今思えば、書けずにネトフリに逃げ込んでいた時も、息子とFortniteしたり風呂に入ってアニメの話をしている時も、友と映画の話に花を咲かせている時も、声帯の震えに注意を払いながらお経を唱えている時も、食事してる時も運転している時も、僕は書き続けていた。ただそれを文字として現前させるための身体を制作するのに5ヶ月かかった。これはそういう文章である。