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洵の人物特性の話
洵に対する複雑な思いを整理したくて、人物特性を軸に展開するとわかりやすいのでは?と思い文章を書き起こした。洵に関する由無し事の走りになれば と思う。
洵の人物特性ざっくり概要
特性は全7つでマイナス特性2つ+プラス特性5つ。マイナス特性の数自体は少ないが、両方ともマイナス幅が大きいため最大適性値は92と平均的。
アリューゼと3つ、ロウファと3つそれぞれ重複した特性を持っている(人物像はアリューゼの方が近いと思う)。残り1つは本人固有特性の「妹想い」。
ロウファと比較した時に、同じ特性を持っているのに並び順が異なるのが気になり、「上にある人物特性ほど本人との関わりが強い」という仮説を立てた。
洵に限って言えば結構説得力ある説なのではないか(開発が思いついた順に並べている印象はある)(一部納得できない人はいる)。
以下細かく見ていく。
洵と「妹想い」
修正値:+1 ランク:1(最小)→8(最大)
洵固有の特性だが、類似のものがあるため分かりやすい。神界イベントあり。
洵の妹への感情は、邪推抜きにしてもステータスに「溺愛」と書かれるほどだが、これがランク1からスタートなのは恐ろしいと思う。こんな特性育てるな。
神界イベントの内容は、盲目のまま一人残された妹を心配するというもの。よくシスコンと言われるが、このイベントに限れば普通の兄の範疇だと思う。
イベント内容は妹想い…よりも自分の事を「愚かな兄」と称していたり、妹の目が治ったことを全く感知できていない様が興味深い。
洵と「美形」
修正値:+3 ランク:1(最小)→8(最大)
神界イベントがある。そこでの「汚いよりは綺麗な方がいいと思わない?」の言葉が全てだと思う(神様の感性というか人間と神様の断絶というか…)。
双子の妹と瓜二つ(神主談)の綺麗な顔(エイル談)なので、設定上はかなり正統派の美人。ガイドブックにおいても「眉目秀麗」と言及されている。
美形の神界イベントが結構好きで、「綺麗な顔に傷が付いたら台無し」と褒められたのに対し「戦に顔は関係ないだろう」と返す。評価が5下がるマイナスイベント。
ガイドブックのお笑い人物特性では、洵の感性における「美しい男」とは傷の多い筋骨隆々とした男なのでは?といった内容に言及されている(あまりお笑い人物特性は宛てにしていないがこの解釈は好き)。
エイルとの会話から、この人自分の容姿があまり好きではないどころか嫌いなのかな…と感じる。
理由としては「己の外見が己の理想とかけ離れているから」というのもあるかもしれないが、(後述するが洵は自分の内面も好きではないため)「溺愛している妹に似た己の容姿」は受け入れがたいものだったんじゃないかと思う。
個人的にナルシストが好きなので、せめて自分の容姿くらいは好きになってほしいと思っていたが、精神分析すればするほど「重症じゃないか…?」という思いが強まった。
アナトミア(VPのソシャゲ)のテキストは、全体的に設定資料を丸写ししたような説明臭さで信頼していないが、鬼の外観を醜いと断言しているのが印象的、また「心の醜さ故に鬼になった」と洵自ら語っている。
前述のガイドブックの眉目秀麗という単語も「他者を受けつけない冷たさが、眉目秀麗な容姿を一層際立たせる」という文脈で登場する。
思うに洵の「美形」の本質は美醜の対比にあり、洵本人を構成する重要ファクターなのではないか。ロウファやレザード…女性陣の外見を表すそれよりも、単なるフレーバーに納まらない意味合いを感じる。
鬼の醜い容姿も、本人の「こういう容姿だったら気が楽だったのにな~」という気持ちの現れだったら嫌だな…と思った。
洵と「敏捷」
修正値:+5 ランク:1(最小)→8(最大)
内面というよりは能力に関わる特性で、言葉通りなので分かりやすい。
お笑い人物特性では各エインフェリアに固有の「敏捷性」を見出しており、洵は人の話を最後まで聞かずに行動し、斬りかかる様を揶揄されていた(まあ…割とわかる)。神界イベントあり。
能力的にも 決め技の「無限の剣閃、貴様に見えるか?」という口上、手数型であること、CTが2であること。反撃セリフの「遅い!」や初期Agility(素早さ)が高いあたりに優れた敏捷性が見て取れる(成長率は剣士と共有だからあまり意味はないが…)。
洵と「冷徹」
修正値:-9 ランク:8(最大)→4(最小)
冷徹 (レイ-テツ)
冷静で物事の本質を見通していること。「―な頭脳の持主」
洵の人物特性の中で最もよく分からないもの。
冷徹を特性として持つのは、アリューゼとガノッサというなかなか圧のある面子。ガノッサは初期値が2でランク1まで矯正できるが、アリューゼと洵はランクを下げても4止まりである。1まで修正できないマイナス特性たる「冷徹」は洵の本質にかなり近いと思われる。
そのため洵を考えるにあたって冷徹と向き合うのは重要なのだが、前述のとおり、本来いい意味の単語であるはず。
人物特性の補正値は神様から見た価値なので、「これがプラスorマイナスなの!?」と驚くものもぼちぼち存在するが、冷徹の補正はマイナス9と最大値に設定されている。これは「残虐」に並ぶマイナス補正値である。
神と人間の価値観が異なるからと言って「感情に流されず冷静に物事を判断する能力」が残虐に並ぶとは到底思えない。
よって「補正値を設定した担当は【冷徹】を【冷酷・冷血】の類義語と勘違いしたのでは?」と考えている。
また、洵は本義的な「冷徹な人物」か…?という疑問もある(感情に流されず物事を冷製に判断できる人間が鬼に呑まれるとは思い難い)。
神界イベントが存在し、そこでは本義通り戦争時に冷静に状況を判断し的確な指示を出し評価される洵を見ることができる。プラスイベントである。何もわからん…。
アリューゼとガノッサに神界イベントが存在せず、冷徹を読み解く材料が不足していることが更に混乱を極めている。
結論としては、「冷徹の補正値を決めた人」「洵の冷徹イベントを書いた人」「洵に冷徹を設定した人」でそれぞれ「冷徹」に対するイメージが違ったのではないだろうか。補正値は勘違い、イベントは本義に沿った意味合いとして。
最後の「洵が冷徹である」の「冷徹」については、ガイドブックの「他者を受けつけない冷たさ」が最も自分の印象に近い。徹底して排他的で冷たい性格を指す造語として機能しているのでは?と考える。
特にガノッサが矯正できて、洵(やアリューゼ)が矯正できないのはそういう部分じゃないかな…と。
(アリューゼはもう少し社交的な気はする…)
洵と「心配性」
修正値:-8 ランク:2(最大)→1(最小)
初めに特性を眺めていた際に、正直「洵の心配性ってよくわからんな…」と感じた。
他に心配性の特性を持つエインフェリアは、ラウリィ・ロウファ・ロレンタとめちゃくちゃ分かりやすい面々となっている(「僕は役に立っているんだろうか…」「次もこう上手くいくとは限りませんよね」「この勝利の果てに何があるのでしょうか…」)。
ちなみにお笑い人物特性では「もっぱら妹にのみ向けられる心情」と記載されている。それは…そうだね…。
読み解いていく中で感じたのは、他3人と比較して初期ランクが低いこと(これは冷徹ランク8がデカすぎて心配性のランクを高くし過ぎると人として終わるからかもしれない)(が、「過度な心配性ではない」という風に受け取った)と、どうも他3人が言われているような一般的な「心配性」とは性質が異なるのでは?ということ。
洵の「心配性」に関しては神界イベントが理解を助けてくれた。なんと2種ある。そのどちらも、「己の実力を信じていない故の心配」が描かれている。
ひとつは大任を任されて、己に無事務まるのか…と悩むもの。もうひとつはチュールから「心配性が過ぎる」「自分の能力をもう少し信頼しては?」「心に迷いがあるのでは?」と分析されるもの。
後者は洵本質情報で、特に洵に「心の迷い」があることは加入エピソードの要点を兼ねており、非常に筋の通った内容となっている。このイベントを見て、洵の「心配性」とは洵の自己評価の低さだと理解した。
(余談だけど)チュールとの会話でも礼節もへったくれもない口利いてるのが面白い。
あと「もしかして洵は自己肯定感や自己評価が低いのでは?」と薄々感じていたところ、心配性イベントで確信した。というか予想より重症だった。戦闘中のあのセリフから、自分の戦闘能力にはそれなりに自信があると思っていたので…。
洵の「心配性」は、他者を心配する心情や、物事を俯瞰的に見て憂う視点ではなく、自分を信用できない現象に名前を与えたものだと思う。
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洵と「自己犠牲」
修正値:+7 ランク:1(最小)→8(最大)
「もっぱら妹にのみ注がれる奉仕の心」……そうだね。
VPにおいては、たとえ誰に向けたものでも基本的に誰かのために死ねるのであれば自己犠牲として特性に描かれる。
一応、神界イベントではアース神族のために囮になるので、冒頭の文は言いがかりだが、まあ本義的な自己犠牲精神はもっぱら妹にのみ向いていると思う。
ステータスのテキストからして、「妹こそ全てであり、己を賭けるに値する唯一の存在だった」とか冷静に読むとイカれている文章が書いてある。
加入エピソードでの「鬼の取引=洵の心の迷い」も、要約すると、妹の目を治すためならば最悪死んでもいいと考えている潜在意識の顕れだろう。
この人は自己評価がめちゃくちゃ低いのではないか?という仮定を踏まえた上で聞く「俺が囮になろう、皆が死ぬことはない」は味わい深い。
「冷徹」で「現実的」な男によるこの決断は、自らの命を低く見積もっている、自己評価の低さの証左に見える。
洵と「現実的」
修正値:+1 ランク:1(最小)→8(最大)
よく分からないし神界イベントもない(他に現実的を持つ人物がアリューゼなため本当に分からない)ため何とも言えない。ロマンチストの対義語かもしれない。まあ2人ともリアリストかな…(リアリストは鬼に吞まれないだろ)(遊戯王のロットン的なリアリストかもしれない。戦隊ヒーローの変身中に攻撃するような…鬼との取引をガン無視して攻撃するような…)。
総合して
人物特性に並んでいるフレーズを額面通りに受け止めるにとどめず、神界イベントを参照し、その言葉の本質を読み解いていく作業はかなり面白いため、ぜひ好きなエインフェリアについて考えてみてほしい。
前述のテキストで発散したものは結局自己解釈の色が強いが、心配性イベントで「心の迷い」というフレーズが出てくるなど、思っていたより神界イベントなどは一貫性をもって作られているのだと感動した。
特に洵の心配性は本当に言葉だけ見ていると理解できなかったので、「他エインフェリアより初期値が低い」「イベント内容」により納得できたのは、人物の掘り下げとしていい体験だった。
なんでこの人こんなに自己評価が低いの?
人物特性+神界イベントを読み解くことで浮き上がるのは、容姿を褒められても喜ぶことができず(美形)、自分の能力を信じることができず(心配性)、自分の過ちを懺悔し続け(妹想い・勝利セリフ)、自己を愚かだと言い切り(妹想い)、己の価値を低く見積もる(自己犠牲)洵の姿で、これは戦闘中に受ける洵の印象とけっこう離れている。
とにかく自己評価が低い、自分のことを嫌っている、自尊心が低い、自己肯定感がない。本人が醜いと自覚のある内面はともかく、戦闘能力も、容姿も優れているにも関わらずである。
別に謙虚な性格でもなく、他人に対して極めて冷徹(造語)である一方で内面はこうなのは、いささかアンバランスではないだろうか。
「実力があるにも関わらず、自己肯定感が低い」現象が起こる原因は以下に大別できる。
人生のどこかで大きな失敗をしたか、そもそも自己肯定感を育てられない環境にあったかだ。
大きな失敗(妹の目or己の命チャレンジ)を経て…エインフェリアになってから自己肯定感が削がれたというのは十分にあると思う。
ただ洵の「心の迷い」は、失敗に直面する前からあった。
描写外で大きな失敗があったというよりは、そもそも生まれの環境からして自己肯定感が全く育たなかったのでは?説を推したい。
つまり 双子として生まれた大好きな妹が障碍者であり、洵が当たり前にできることが妹には困難で、どんなに能力を褒められても「俺が妹が受けるべき恩恵を奪った結果なのではないか?」という自責の念につながり、素直に受け取ることができなかったのではないか?
阿衣が年の離れた妹だったら違っただろうが、同時に産まれ、片や五体満足で、片や両目に病気を抱えていたのであれば、「自分が妹の分を奪ってしまった」という考えに至ってもおかしくはないと思う。
(双子ではないが龍が如く7の主人公と若(下肢に障害があり、それに対するコンプレックスが深い)が頭に浮かんだ)
洵にとって妹が全てで、妹に対して全力の奉仕を捧げている根底には、自罰的な考えがあるかもしれない。
というか「せめて妹の身体を人並みに」は親が子に向ける愛情に近いように感じる。
阿衣が「兄の重荷になりたくない…」という(障碍者が介助者に対して抱きがちな)遠慮の心などなく「盲目のままでいいから兄に側にいてほしい」と願っているあたりも、兄がマイナスな感情を一切見せず、妹に全力で奉仕したことによる成果なのだろう(そしてこの阿衣の願いも欲深い)。
ガイドブックの紹介文はゲーム中のステータス画面で読める文章を肉付けしたものだが
「(略)その愛は頑なで自己満足的な印象が強い。(略)そのいかにも人間らしい、姑息で醜く歪んだ心で。他者を受けつけない冷たさが、眉目秀麗な容姿を一層際立たせる」
ここまで酷い言葉が並んでいるのは洵だけ!(何で…?)なのだが、この文章、私に粘着されるために書かれたような仕上がりでとても気に入っている。
顔のいいクズが好き。美醜のコントラストの描写が好き(内面の醜さと外面のうつくしさのギャップが好き…)。
これが普通のRPGなら 欠陥も、(例えばディアスがそうであったように)旅の中で仲間との交流を通じて氷解していくんだろうが、ヴァルキリープロファイルはそういうゲームではないため、加入エピソードから伺える人格から 強制的に特性改善を施され、神界で描かれるものが全てになる。
ところでこのゲームのそういうところが好き。
洵に対して最終的に「死ねてよかったね」と結論付けたが、戦闘に勝利すれば「俺は間違っていたのか…」、神界に送れば「愚かな兄を許してくれ」で最悪犠牲死、戦闘死亡時は妹の名前を呼びながら…この人死んで なお苦しみ続けてない?
洵が何をしたって言うんだ…(欲深さ故に鬼と化して無実の人の目を…)
まるで「自分の不甲斐なさで妹を死なせてしまった」最悪「妹を自ら手にかけた」人の振舞いだが、なんと妹は生きているのですごい。阿衣にとって 兄の死が呪いとならず、今後の人生が幸せでありますように。
エインフェリアに選定されてからの洵の苦悩は専ら阿衣を残して死んでしまったことへの後悔が原因であるため、生きるも地獄、死ぬも地獄で とてもいいと思う。
パブサでたまに言及されているけど、シスコンどうこうより根本的な問題として病んでるよな…と思います。
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