激富さん「あめのみしるし」2024.8.12マチネ
ものすごい。凄まじいって言葉はこの空間のためにあるんだと知った。
この作品と、あの時間あの場に顕現した公演。あまりにブチ抜けてる。
演劇って信じる芸術だから、演劇の作品はコンセプトやストーリーや決め事を組んだ「概念」だと思う。
その概念を現実の出来事にすること、つまり作品を公演にすることは、アイデアや予測といった精神世界にしか存在しないものをこの世で実際に起こる「現象」へ変える行為で、降霊術みたいなものだ。
今回の作品、筋書きも設定も演出もどれもが素晴らしくて、しかも実現に際し出演者の皆様がその魅力をこぼさないどころかむしろ濃縮かつ増幅させているから、圧巻で。
何かが降臨していた。上演中の空間でしか生じないし感知できないだろうエネルギーが、途轍もなかった。
その公演が、えげつないパワーと情報とで私たちを捻じ伏せてくる。完膚無きまでにぶちのめされた。五感がぶん殴られた。音も色も気配も走る風も、匂い立つ情念もえぐみに充ちた執念も全てが、観る者をなぶり倒そうとしてくる。滅茶滅茶にハラハラさせられる。
でもそれが楽しい。
ドMみたいなことを言うけれど、本当にスリルが心地良くて。スリルの強度は高めだけど、だからこそ最後まで心が魅了され続けた。次から次へと畳みかける、驚きや場面展開や登場人物の発信、関心を引くあれこれがザッッと流し込まれ詰め込まれて、意識を征服される。しかもあちらこちらから。
私達は椅子に座ったまま動かないけど演者さんは客席を割る通路までがっつり走り込むし、文字通り目と鼻の先まで寄ってくるし、切っ先の風圧が肌を掠め積み上げられた段ボールが膝の真ん前スレスレに落ちてくる。入口に誰か居る、奥の隅で突然何か弾ける、斜めに張られた衝立が割れんばかりに叩かれる。血煙が上がり壁が染まり、それが雨音とも相まって本当に雨に濡れた染みのようであり、やっぱり血飛沫のようでもあり……。何事もなかったかのように進む言葉の背後、ねっとり無言で垂れていく雫の模様が今も脳裏に焼き付いている。
そんな風に四方八方から荒らされる感覚は座席を固定されたまま360°全てがうごめき爆走するアトラクションに乗ったかのようで、まさに翻弄されるって表現がぴったりだった。倉庫、という案内通り無機質で事務的な場所のはずなのに、壁や天井に所々巡らされた梁や柱は朱に塗られていて、禍々しいものにも神社の鳥居にも見えてくる。更には突如噴出して流れるスモーク、自在に変容する灯りと闇のせいで、本当は今どこに居るのかさえわからない。
思い返せば、物語を鑑賞する立場のつもりで『へ〜、今回のお話こういう設定なんだ』とニマニマしていた自分も、ミステリーツアーの胡散臭い空気を楽しむ作中の“客”とダブってくる。私達ツアーのお客さんポジションなんだね、と微笑ましく役割に袖を通す、その行為自体が既に一連の出来事の始まりだったんじゃないのか。
私達はあの日あの時間に参加することを選んで、配られた案内状を見ながらにこにこ待ち、そうしてあの倉庫で起こることを見聞きした。
あれ、この体験って、私のもの?
ツアー客のもの?
そもそも私って、何?
私が「ツアー客じゃない」と言える理由って何だろう。だって居るじゃん、ここに。見てるじゃん、目の前で起きることを。私、実際にお客じゃん。あれ、今起きてることって夢?いや現実だ。物理的に存在して確かに知覚できる。え、じゃあこの出来事は本物で、この意識はツアー客の…?
自分という感覚すら境目が溶けて曖昧になる。わたしは誰で、どこに居るのか。それを明確に認識することも許してくれない空間だった。
感覚の独立性を奪われた上で、今これを感じろと与えられる刺激に徹底的に支配され管理される。100%はおろか、120%も200%もとうに越えた大声で恐喝されるような圧迫感に縛られ、かと思えば研がれたナイフでそっとくちづけされるような畏怖が迫る。そしてじっとりと溺死体に抱きしめられるような謎が逃げられないところまで追い詰めてくる。身体は何一つ傷付かないのに皮膚の下に這う神経を、波打つ脈が集まる心臓を、心を滅多打ちにされて薬漬けにされたみたいに完璧に圧倒されて、憔悴する。
それが……すんごい怖いのに、恐ろしいのに、心地良い。
マゾい発言だけど、冗談抜きにそうなる理屈はあると思っていて。何でかってやっぱりこの公演をやってのける皆さまが、爆裂するパッションと並行してぜつてーーーーに私達を怪我させない配慮だったり理性だったりを必ずどこかに持ってくださっていて、でもだからと言ってぜつてーーーーーーに冷めさせず、現実に引き戻さず、世界の保持を叶え続ける技術と練度で、適切な判断と対応をもって私達に働きかけ続けてくださるから。それがものすげえなぁと思うわけです、本当に。
上手側に段ボールが積み上げてあってそれがま〜〜〜〜〜〜〜〜〜ボッコボッコボッコボッコどつかれたりぶつかられたり挙句の果てには刀でブッ刺されたりのオンパレードで当然しきりにグラつくんだけども、皆さん鬼の形相や恐怖に慄く顔を保ちつつ背で抑えたり仕草ついでにサッと立て直させたり、クライマックスで散らかすまでは箱を落とさない、崩さないフォローがすごくって、でも全ッッ然それがノイズにならない。最前列の上手端っていう1番間近の席で意図的に見ててもほぼわからないくらいで、いや凄すぎる。
他にも、あと数ミリ後ずさったらお客さんにくっついちゃいそうな至近距離で迫真狂乱するけど腕がそれ以上行ったらぶつかるってとこまでは振り切らないとか、必死で駆け込んでくるようで絶対にちゃんと客席と客席の間の通路に飛び込むとか、その登場人物は自分の事だけに全ての意識を持ってかれているけど、それを伝えてくれる演者さんは私達を必ず安全圏に置いて、でも瀬戸際まで案内してくださる。だからこそ私達の味わうスリルは泣きそうなくらいえげつないんだけど、楽しめるものなの。
危険回避だけじゃなく、数々のドッキリ要素や表情声音の発露、その出力とタイミングがどれも絶妙だから、怖いのにそのツボがドンピシャすぎて、脅しも驚かしも気持ちよくなっちゃう。しかもそれがずーーーっと続くから、段々翻弄されること自体が好ましく感じられていく。
サドのSはサービスのSでもあるって読んだことあるけど、本当にそうなんだろうな。ヘタなSは怪我を招いて危ないけど、きちんと上手いSって加減を心得ている。そうやって自分の裁量で相手の心地を操縦しきるところにサディズムの醍醐味があるじゃないですか。しらんけど。
演者さんも、その息遣いと完全に呼応する音照さんも、高いお力を我々観客へどうぞと提供することに尽くされていて、その「おもてなし」が今回のホラー公演では「とびきりの恐怖体験」になった訳で。卓越した皆さまの張り巡らす注意に護られた中、丹念に準備された鮮やかな刺激を的確な拍子で与えられること、頼もしい存在へ徐々に己の感覚をあずけ委ねてしまえることは何ともゾクゾクぞわぞわする喜びでした。ほんと、怖くて楽しかった。普段あんまり泣かないけど流石に恐怖がひっきりなしに続くのとそれと同じくらい楽しさもMaxすぎるのとで何やら感極まって涙滲んじゃいました。怖たのしい。
怖さのジャンルもあの手この手で多種多様なのがまた心憎い。爆発でも起きたのかと思うほどの轟音や突然消える照明の力技で揺さぶって、二転三転する事実で思考回路も迷宮入り。想像をまざまざと掻き立てるグロさにひんやりさせて、眼で瞳をどん掴みにするようなまなざしで心を駆り立たせる。人の怖さ、超常の怖さ。熱い怖さに冷たい怖さ、どろっとしてるものもパサパサに乾ききったものも、下劣さも崇高さも、色んな色んな恐ろしさが渦巻いて、それが複雑で奥深くて底知れないジャパニーズホラーに繋がっていた。
スケールとインパクトは西洋のパニックホラーに引けを取らないのに密度や湿度はまさしく日本の深い深いおそろしさなんだよね。土地に根付いた伝承だったり、人の思念が呼び起こす惨状だったり、神憑り的なものに操られる生身の人間だったり、安心させといて最後の最後で息の根を止めにくるところだったり、宇宙規模のスペクタル要素で和の美学や趣きを臓腑に沁み渡らせてくるご手腕が流石激富さんだなと思いました。
あとこれは私のごく個人的な見方なんだけど、激富さんのステージって凄くミュージカルを感じる。私がミュージカルの人間でミュージカルが好きだから特にそう思うのかもしれない。だから断じて揶揄的な意味ではなく、むしろ書き手としてはとびきりの賛辞と愛で、そう感じる。
ミュージカルは総合芸術だ。音もひかりも、優れたことばも、ものいわぬ多彩も、エンタメも哲学もユーモアも切実も全てが在る。激富さんのステージもそうだと思う。そして歌ったり踊ったりする代わりに、拳や蹴りや刀が飛び交い駆ける。
きちんと成立しているミュージカルは、心の息づきや場面の胎動に伴って音楽が流れ人が声を発しリズムを取る。それと同じに激富さんの舞台は昂ぶる怒気や必然の殺意がアクションとして発露する。シーンが切迫を呼ぶとき殺陣が生まれ出て、躍進する。
テンポの良いコミカルな会話も凝縮された密度の行間も、理屈抜きにテンションの上がる派手な効果も重々しく厳かな空気の質感も、端整な俳優さんのスタイリッシュさも泥臭く迸る熱も、現代のリアルに即したノリも時代を超える伝承の浪漫も、すべてが一つの作品として織り込まれ、脈打つ殺陣と共に生の魅力としてこの世に爆誕する激富さんのステージが、幅広い楽しさをぎゅぎゅっと詰め込んだミュージカルとおんなじくらい素敵な舞台が、私はとても、とてつもなく、好きだ。こころが踊る。
既述の通り、導入となる文面や案内状も1つ1つ現実と夢の境をつぶして混ぜていくかのようで好き。ヘンゼルとグレーテルが落とした小石の逆バージョンみたいに、ひとつぶひとつぶの案内が私たちを精神の迷子にしていくもので、しっかり掛けた日常のボタンが外されていくようだった。
(言わずもがな、観劇に必要なアナウンスはしっかり機能した上での話)
段ボールがちゃんと返品の商品らしく少しヨレてたり貼られた紙もクシャついてたりするのがリアリティ高くて、こういう点が「好き」を増す。敢えて考えれば何ステージも繰り返される過程でそうなっているのかもしれないけど、だとしてもそれを使っているのが素敵って、やっぱり思う。
そして倉庫という場所が江戸時代の屋敷にも夜道にも、果てには観念的な抽象の空間にもなるのが凄い。てゆか完全に一面壁だと思っていた斜め掛けの通路が照明の入り方でガラス窓みたいになるの、あれ、ちょ、あれやばくないすか。やばいんすけど。鬼やばなんですけど。感動して一周回ってキレた。は?凄い。あんな仕掛けとインパクト、大型ミュージカルでしか見たことないよ……。まさかあのこぢんまりとした空間で出会えるとは思わなんだ。本当に滾った。好き。光の天才。そう、照明といえばあの青緑のライト、私あんなにおぞましく気味悪い青緑見たことない。本当に、日本の怪談のじめつきを色で表したらこうなるんだってまざまざと思い知らされるような色彩でした。墓石の苔、沈没船にぬめる藻、死臭の漂う黴みたいな色合いでいちめんを照らされて、浴びる人の顔は古びた青銅の像みたいで……本当にぞわりっぱなしだった。素晴らしい照明だった。
もちろん音もそうで、音響効果も照明効果もタイミングがとんでもなく絶妙で、しかも瞬間的なマッチングだけじゃなく、その入り方や受け渡しの仕方までが完全に場面や演者と共に呼吸していて。息を吸うように点く、鳴る、引き取るように消える、止む、話を継ぐようにうつり変わる。それが余計めにみえない超常的な意思に基づいて世界が動かされている事実を際立たせていて、和の恐怖がえげつなかった。
日本のホラーって粘着質で湿った人間の恨みつらみと絶対に太刀打ちできない超然とした力の容赦無さがネックにあると思うんだけど、その要素も非常に強く感じた。
人ならざるものは並大抵のあがきでは決して抗えない圧倒的な力を持っていて、その通じなさ、無情さはどんな西洋のハードボイルドよりよっぽどドライで。対して人の怨念や執着ってものはとことんジメジメしてヘドロが煮えるようで、決して逃がしてくれないし諦めてもくれない。
黒狐の時も思ったけど理不尽というもの自体に悪意や敵意は無くて、それはただ「そこに在る、そう動く」ってだけのもので、自然災害が誰も憎んでないのと同じことだ。苦しめようとか騙そうとかするのはいつだって人間の心で、無情なまでに絶大な力は“無情”なんだから、他意なんて無く、ただ強いだけ。だから神様は本来人を愛しも憎みもしないし善いも悪いもなくて、ただそれぞれの人間が持つ性質や取る行動と同じものを返すだけだと思っている。川が汚されれば濁流となって疫病を撒くように、清められれば澄んだ水を与えるように、どこまでも反映、うつしかえすだけ。だから物の怪も元々静かに世界を漂ってた霊力に人の怒りや悲しみや憎悪や欲が引火して誕生した黒い炎みたいなものだと思うし、人間の負の感情がねちっこいからこそ、そこから生まれた物の怪も狡猾に囁いてくるんだろう。
特に今回は騙された人間がその力に手を伸ばしたからこそ、恨みの粘着性と騙し返そうとする執着に満ち満ちた存在になったんだと思う。どこまでも人間が始まり。そういう恨みや怒りのバトンの受け渡しが見えて面白かった。みんな何かに怯えたり、傷つけられたり、怒ったり、逆に誰かを虐げたり裏切ったりして、人間の汚さがそこかしこに溢れていた。
たった5名のキャストさんなのにアンサンブルの方30人いらっしゃるのかと思うほど目まぐるしく入れ替わり立ち替わる人々が鮮やかで、無数の人間のどす黒い極彩色が積もり積もる歴史を絵巻物で広げられるような体感でした。凄かった。
また、その騒動に乗じて誰が黒幕なのかという“真相”すらパタパタ容易く面を返す展開は、私達もが怪異に騙されようとしていること、彼の作用できる範疇に囚えられていることを突きつけてきた。
誰が生身の人間なのか始終怪しいし、それと並行して、誰が自らの意思で動いているのか本当に本当に謎。たとえ本体が生きた人間でも操られて危険性を纏ったり疑惑を更に助長させたりするし、余計に。
きっとずっとそうやって喧騒や混乱を起こしては正体を煙に巻いて逃げてきた奴なんだろうな…と思ったし、恐らくその継続、のらりくらりとだまくらかし続けることが彼の目的になってしまったのかもしれないと思った。だって騙されたから。裏切られたから。そこから生まれた存在だから。騙す側に回ろうとする意思こそが己の核になっていて、復讐を遂げきったとてその先に次は何を信じるんだという話で、何も頼れなくて、一つのところに留まることができない。だから嘘を重ねて身を翻し続ける。
観ている間も、物の怪ってそういうもんかもだけどそれにしたってやたら人のこと騙すなぁ、と感じた。騙して何かがしたいというより、騙すことをやめられない印象を受けた。時代を超えて沢山の人を欺いて、正体を隠して、その繰り返し。それは自分の正体というものから逃げ続けているようにも見える。物の怪に人間らしい葛藤やアイデンティティがあるのかって話だけど、でも人の弱さをうつした存在ならむしろそれくらい人間臭いんじゃないかと思う。
本気で逃げきりたいなら一度隠れてずっとそのままでいいはずで、でもそうせず何度も現れるのは発端の人間が持つ、人生の長い時間を騙され続けたことの復讐と、人に認めて欲しかった、真面目に頑張ったことを肯定して欲しかった心残りの表れなのかなと思う。俺も騙してやる、って気持ちと、見破れるなら全部見破ってみろよ、見つけてくれよ、って気持ちが無意識の海の底の片隅には眠ってるのかもしれない。違うかもだけど。
でも、さっきも書いた通り人の感情が根源なんだし、出会った人間の想いや願いに染まるものが物の怪だと私は思う。だから、真面目ゆえに騙された傷と苦しみに身を焼く人間を基盤とする彼は、やっぱり真面目にずうっと騙し続けるんだろうなって感じる。超個人的な感想なので的外れもいいとこかもだけど、でももしそうだとしたらあのラストは怖い以上にいじらしいし、まだ残り続けようとする彼に愛おしさすら抱くなぁ。これは今浮かんだ感想です。さすがに当時は怖さがガン勝ちしてましたけども。
けども、もしこれからも怪異が存在し続いていくのなら、もし彼がそれをやめられなく、自分では止められなくなってしまっているのなら、その呪いよ、どうか解かれてくれと思う。難しいんだろうけど。
だって恨むよね、許せないよね。長く続く怨念にもなるよね。
真面目な自分が自分らしく生きてきたことを、みとめてほしいじゃない。誰だってさ。でもそれが報われないどころか、その自分らしい自分でいた時間を全て搾取されて、馬鹿にされたんだよね。そりゃ騙してやるし自分じゃない誰かを渡り歩いてやるってなるし、みーんな俺と同じように騙されて死ねって思うよね。わかる。
それでも、でも結局真面目に騙し続けちゃう、真面目に悪いことし続けちゃう不器用な魂のかたちを、悲しいけど私はとても愛おしいと思うし、それでも失えなかったその真面目さを美しいと思う。
あなたのやることが罪だろうが正義だろうがどーだっていいし、あなたが何の名前で呼ばれるものだろうがあなたはあなたじゃんって、そう言いたいなって思いました。そういう問題じゃないのかもしれないけど、でもあんだけ大乱闘してもお祓いしても無理なんだったら彼の思念のわだかまりがどうにかなるのがやっぱし一番良い気がする。大乱闘で思い出したけど終盤綺麗な紙吹雪……と思ったら全部無数の御札でゾワッッとした。御札そのものにビビる気持ちはあんまし無いんだけど、よく見たら実は__って形で来られるとわりとかなり背筋に来る。しかも実にじっとりした怖さ。そして冷涼というかジンメリ陰湿な冷たさなんだよなあ……(褒めてます)
皆さんのお芝居の凄さゆえだと信じたいんだけど、本公演今まで何度も拝見して直接お話ししたこともあって知っているはずの方々も別人に見えて、いや何ていうか勿論そんな深くまで存じてる訳ではないんだけどそういうことじゃなくて、常にガチ怪異がその人に化けてるみたいな違和感を直感でおぼえて。そういう観点からもぞわぞわしました。ほんと和スイーツのアフタヌーンティーみたいに和ホラーづくしな作品であり公演。
結局真相は完全には明るみに出ないけど、人ならざるものの行いを人間が把握しきれる訳ないよね。仄暗い道を照らしすぎるのも野暮という話で。だから私は色んな解釈が有り得ると思うし、人によっては記憶が混濁したり書き換えられたりする場合もあるから全ての言葉が真実とも限らないし、ロジカルに推理を突き詰めるのも楽しいしけど感性や本能の楽しさもしっかり噛み締めたいな。私達も怪異の影響を受けて混乱してるのかも……ってふと後ろを振り返ったり部屋の隅の暗がりを見つめたり、そうやって引きずる後味もこの作品の魅力だなあと個人的に感じます。それこそ日本の怪談ってそういう、見聞きした後の現実の世界でもついゾッと寒気がするような、不変的な恐ろしさなり連帯責任の呪いなりがネックにあるから、何度も反芻して考えを巡らせつつこうやって頭を悩まされていること自体が怪異の影響を受けている証拠だなぁって、この現実にもゾクゾクしちゃいたい。それがあれほどまでに現実と虚構の境を破壊したイマーシブ公演の醍醐味だと思います。
以下各キャストさんの感想です!
【中井善朗さん】
私がお会いしたことのある中井さんで合ってる??って思うくらい、違和感や怖さが拭えなくて凄かった。特に冒頭と結び。にこにこされてるのに、目も笑ってるはずなのに頭の中で黄色信号が点滅する。やばいかも、やばいかも、って引っ掛かるの。なんだろ、楽しいんだけどどこか歪んでるというか、遊園地で遊んでいたらだんだんBGMが不協和音になってくるみたいな不安感が漂ってて……終盤は勿論そうだけど、個人的には冒頭もそんな風に感じた。にこやかに語りかけてくるし最初はコミカルなシーンだし事実すごく面白くて、でも停電や奇怪な現象と交互に来ると温度差がやばくて、まずもうその時点で最初にちょっとパンチ食らったと言うか、マジで初手で精神に風邪引かせて正常な判断力奪おうとしてるなって思ってしまった。意図的にせよ無意識にせよやばい。いやほんと、中井さんだ〜!って思うし笑顔も素敵で快活に通るお声もいつも通り魅力的なんだけど、だからこそあれ……?ってなる時の不安感や恐怖もひとしおでした。
基本的に落ち着いてて頼もしいオーラなお方がぐったりしたり怯えたりしてると体力とか常識とかが通用しない超自然的存在を相手にしてるんだって分からされちゃいますね。
そういう効果もふまえ中盤の憔悴度合いと半狂乱っぷりが凄く強烈で、ほんとそのシーンだけ体重半分こそげ落ちたんじゃないかと思うくらい、霊力に持っていかれた感が凄くて。課長の振れ幅、本当にめちゃめちゃ広いしそれぞれに適した体現でいらしてたのが鮮やかでした……!!!!
【和泉有真さん】
ゆまさん弥助の賭場でイッちゃってる表情と骸骨みたいな手が凄く好きです。万歳。
ゆまさんってこう、一見穏やかな知的お兄さんと見せかけて腹黒インテリ策士……と思いきややっぱり優しさのある男、みたいな三段構えが似合うと思ってて、弥助も澄んだ目の幼馴染からのバキバキお目目ギャンブラーへの変貌はもちろん、そこから斬られる前のあの慌て方、あれこれ本当に知らなかった…?って思わせる純朴さの表出がめちゃめちゃ印象的でした。
ゆまさんの悪いヤツって前述の通り狡猾さが似合うんだけど今回の博打野郎や太鼓持ちみたいな俗物もきっちり役割果たされてるから改めて尊敬の念が深まりました。何でだろ、って勿論そりゃゆまさんが凄いからなのは言わずもがななんだけど、そうだな、たぶん参謀でも腰巾着でも「ズルさ」が共通項としてあるんだな。目敏さという観察眼や察知力の鋭さだったり、大義じゃなく現実的な保身の最適解を見据えた利害関係のそろばん勘定の速さだったり、そういう賢さが軸にある役をとても的確に表されるんだと思う。そこにピュアな文学青年みたいにノーブルな雰囲気も加わるから、要するに、人間のとても具体的で実践的な社会規範が染み付いてて、そこでの正解を掴むことに長けているんだよね。それが作品や場面によって、立ち回りの上手い上流階級者になったり、人の機微を熟知する世俗的な三下にもなる。演じられる役の数や幅が凄くて素敵だし、その幅が横幅だけじゃなく縦幅もあるのが流石すぎる。あと白系ベースの着流しが超絶似合う…
【おとゆういちさん】
ゆういちさんは自覚的な悪より無自覚の加害とか、真っ直ぐがオーバーヒートした暴力性とか、白い稲妻や炎みたいな悪が特にしっくりくるように感じるので今回の又兵衛役滅茶滅茶ぴったりだったなあ。元は普通の幸せ手に入れてそうだし、すごく真っ当な、常識の中で生きることのできる綺麗なお兄さんで、それが理不尽に蹂躙されるのが可哀想だし胸が痛むし、でも、綺麗でクリーンな存在がいたぶられたり怒り狂ったりするからこそ芽生える美ってあるよね。
怒りは2次感情ってよく言うけど、本当にゆういちさんの又兵衛は悲しみが憤りになってしまった感じが滅茶滅茶伝わってきて、しんど切なかった。改めて信じ直すことすら今更すぎるくらい心の底から頼みとしていた幼馴染、周り全てから疑われて怖くて恐ろしくて孤独で不安で堪らなかった時にまっすぐな目で温かく励ましてくれたその存在がどれだけ心強かったか……。そんな相手が用意してくれた逃げ道で手酷く打ち据えられた時、捕縛された時、どれほど痛くて苦しかっただろう、それ以上にどれだけ悲しくて寂しくてやりきれなかっただろう、って思いを馳せずにいられない。あの激怒は怖いより辛かった。咆哮するような怒声も傷口を掻き毟られる絶叫みたいで、愛や信頼や喜びが苛烈な憎しみに反転する様を滅茶滅茶間近で見せつけられました。心揺さぶられまくった。多分そういう白い炎の方がゆういちさんから立ち上る熱としては合ってるんだと思うけど、だからこそ意図的に悪い顔をするとその偽悪っぽさが際立って今回あった様なミスリード的な描写や操られている(or怪異が化けてる)時凄くハマるなあと思う。甘いマスクにダークなパウダーがまぶされて魅力的。
いたぶる側もいたぶられる側も両方拝見できて2度美味しいみたいな配役で、そのどちらも抜群に素敵でゆういちさん強いなあ…とつくづく噛み締めました。
【はだ一朗さん】
これまでにもお名前やお噂は伺いつつ拝見するのは今回が初めのお方だったんですが、え、あまりにも、あまりにもあまりにも圧倒的お力が人間離れされていてリアルに演劇界の物の怪かと思いました……本物の物の怪……不敬でしょうか、いいえ称賛……。
本当に、真剣にえげつなかった。それこそ激富さんの公演はミュージカルの旨味を内包するって書いたけど、はだ一朗さんというお方単体で拝見してももう総合芸術すぎてご存在がミュージカル……。
音楽が時に文字よりも雄弁であるように、その声音と眼差しが物語の彩を深める。しなやかな舞が胸の息づきをかたちどるように、厳格にコントロールされた体捌きが魂の移り変わりを鮮明に語る。その場全てを掌握する空間の覇者にして作品の滅私的な従僕、内臓に滴る汗の匂いが漂ってくるかのような生々しい人間にして不変の絶対を体現する超自然的存在。心の発露を論理で語り、感情に引き出された身体を理性で操縦する。世界を塗りつぶす闇の帳の黒であり、無限の色彩であり。本当に、表現される概念もそれを実現するご手腕も全てが至れり尽くせりの、そう、グランドミュージカルみたいな役者さんで素晴らしかった…変幻自在かつ全問最適解。
往年の銀幕スターみたいな渋い紳士で、でもくたびれた中年男にもなるし性根の曇った手柄横取りクソ上司にもなるし、でも取り乱し取りすがる姿はちっぽけな、あわれな、かなしいくらい愛おしく不器用な命で、いや〜〜〜本当に刺さる……
最初は無感情な印象を受けるんだけど、段々観進めていくうちに、ああこの人は自分からくるものも他者からくるものも併せて、絶えず激情や慟哭に晒され神経を擦り減らし続けて疲れてしまったんだな……と思った。疲労困憊した身体が湖に沈んだ結果水中からじっと相手を眺めているみたいで、心の体力が減りすぎて普段は殆ど一見無感動になってしまっているけれど、でもそれでも胸に火かき棒を当てるようなショックがあればそれに悶えざるを得ないし、飛び起きて水面へ顔を出し、苦悶し続けるんだと思う。背負った業が深すぎる。
そんな、存在し続けることのくるしみを常に纏い続けるオーラが本当にしんどくて、でもわかりみで……ゴッホみたいな山川さんでした。物の怪の事情抜きにしても毎日一緒に居たら何かの拍子に口論して悲観してブチギレて衝動で耳切り落としてそう。
そんなにもリアルに、滲み出す無自覚が詳細な解像度を伴って存在しているのに、「触るな!」の怒号が鍼レベルのドンピシャな鋭さと出力加減とタイミングとで。そんな風に、計算できない部分と計算すべき部分との兼ね合いが常にとんっっでもなく凄すぎる。オーラでリズムゲーしてる。
そこにも呆気にとられて、何重にも怖くて、色んな意味で「(このお方……やべえ……)」と見入ってしまいました。
山川としても物の怪としても演劇人としてもあまりに圧倒的でこわすぎて凄くて魅力的で素晴らしくて、本当ちょっと比喩抜きの冗談抜きにガチで物の怪なのかなとか思ってたんですが、カテコになるととても穏和な笑みで柔らかく朗らかにお話ししてくださっていて、何だかホッとしました。
【中尾周統さん】
ちかさんは普段から人に馴染んだ人外みたいなとこあるので妙に頷けるといいますか、妖しさや疑惑も含めてヨッ待ってました!みたいな信頼がありますね。軽率に人外呼ばわりしたけど、人ならざるもの、それに匹敵する魂を持っていて、でも人間の世界で過ごすに必要な規範だったり感覚だったり、習慣だったり社交だったりを修得していて、むしろそれが生まれついた世界のように当たり前に馴染んでいる。けどここぞという時に目を引くオーラを放ったり、これ養殖じゃなくて天然の産物だなって感じるヤバさを匂わせたりして、それが誰にも真似できない唯一無二の個性でカラーで魅力になってる、そんな要素を感じるんですよね。
だから、ちかさんの狂気はマジモンみがとても強いんだけど、それと同じくらい、絞り出された緊迫を感じる。負荷っていう意味でのストレスが生じているというか、野放しにのびのび…とは異なるもので。むしろ、この部分を見せることは心臓に穴をあけて中の筋を引きずり出すみたいな壮絶なもので、でもちかさんは役者としてその狂気を、人外の部分を、怪しさを怖さを冷酷さを尊大さを紡いでみせることができる。で、それが最高品質の創作物…ではなくちかさんの場合は多分ホンモノだから、やっぱり業が深いなぁ……と思う。
これはあくまで私の主観的な客観の感想だからご本人的には全然違うかもしれないし、それもそうだと思う。多分、そのお心に馴染むのは月明かりみたいな優しさだったりきゅるんとしたおとぼけだったり、少年心におどるワクワクだったり、実直に向き合おうとする姿勢だったりするんだろうな、とも思う。それも勿論きっと本当のちかさんで、でもヤッパシあの超弩級ドSワンマンショーに関してはそれはそれでガチだなあと、こう、枠組みから外れてブッ飛んだ性質を感じるますです……。いやもうあのシーン、風圧で髪がそよぐほど真横の壁が乾いた音にスパァン!!!!!!と叩かれて、その竹刀を向けられて刀身に巻いた布の繊維が首筋をくすぐって……それに伴ってちかさんがニヤァ……て笑みを濃くした時、ちょっと、ちょっとあれは何かに目覚めそうだったよね……ちかさんたらどサド……。
でもその笑みの瞬間また一段階自身を絞り上げているような、軋むような音が聞こえたようにも感じた。発信の受け手としてはちかさんのサディーな風味も壊れるような笑い方もマジでありガチに感じるんだけど、でもたとえば自分の素の部分を曝け出すことが場合によっては心をひりひりさせるみたいに、全ては作品の、芝居の、公演のためにちかさんは必要に応じて自分が出せるヤバさをギリギリ詰めて搾って捻出してるんだろうなあと思う。だからこそ特別に凄いと感じるし、しかも決して無理してるとは感じさせず、表出したもので相手を包み込む姿勢に本当に敬服する。やっぱドSのSはサービスのSだし、Sに撤せるドSはドMでもあるって確かに……と深々頷きました。尊敬します。
それはそうと序盤怒れる課長へ私を盾にして「この人なら撃っても大丈夫です!強いんで!」って仰ってた件に関しては申し開きがあれば伺おうかな……^^ええ、強強な中谷です。
でも本当に上記の体験ができるくらい、ただでさえ凄まじく面白くて魅力的な作品をとびきり素晴らしく素敵な皆様の公演という形で、ズバ抜けて最高なお席から観せて頂けて、本ッッッッッッッッ当に特別な体験になりました!
こんなにも楽しくて怖くて蠱惑的な公演、他に無い。絶対。
百物語が暗闇に引き出される想像力の招く面白さを信じたものなら、体験型怪談である本作も倉庫の暗がりで目を見開いて噛み締めて、観終えたこれからも目を閉じた反芻の中でなぞって、想いを馳せて、その素晴らしさを何度だって味わいたいと思います。
ありがとうございました!!!
激富「あめのみしるし」
2024年8月12日13:00回観劇
G-SPACEにて
以下敬称略
【脚本・演出】
フランキー仲村
【出演】
中尾周統
和泉有真
はだ一朗
おとゆういち
中井善朗
【音響】
樋口華子
【照明】
山口星・フランキー仲村
【制作】
和田愛美