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わたしと彼と、日々のはなし。

あの暑い夏に一匹の子猫を拾ってから、半年が過ぎた。いのちの成長とはとてもはやく、遠目からの見た目だけはもうすっかり大人の猫になった。

時折、アンニュイな表情を浮かべてみたり、静かに座ってそっぽを向いてみたりするが、視線が合うとやはり子猫の顔に戻る。実のところ、わたしはそれが嬉しかったりする。

とくに時系列も脈絡もない、思い出した分の彼とわたしの時間を書いてみようと思う。なんとなく、なんとなくで。

仮に拾った猫のことを彼と呼ぶことにする。なんだか最近の彼はとてもひとりのいのちとして行動をしているようで、期待と敬称を込めて。

彼は何を考えているのだろうか。拾ったわたしは、彼に会うとフワフワの毛に誘惑されて、もう少しだけ、もう少しだけと、時間を共に過ごし、まんまとアレルギー性鼻炎のくしゃみが止まらなくなってしまう。もちろん目もとても痒くて、それでも、つい、近くにいてしまう。わたしは彼がとても愛しい兄弟のような気分でいる。母と子、にしては、わたしが不甲斐なさすぎ、彼はやんちゃがすぎる。

わたしが、婦人系の病院にかかり、調子も心も弱って泣いていたとき、彼は彼なりに慰めてくれようと近くをウロウロして、泣きやまないわたしを見て、ガブリ、と噛み付いてきた。「いたい!」とわたしが大袈裟に叫ぶと彼の勢いは弱まるどころか前足と後ろ足の猫パンチがわたしの腕に飛んできた。ようやく腕が解放されて大人しくなった彼に「清々しいほどに空気読まない猫だね、おまえは」と悪態を吐くも、しれっとした顔でわたしに擦り寄ってきた。ただ、痛かったけれど元気が出てしまったので、取り敢えず「ありがとう」と彼の頭を撫でた。縁側には暖かい日差しが差し込んでいた。

翌日も会いに行くと、知らん顔してごはんをくれ、とお皿のところで待つ彼は、お腹を空かせた子供のようだった。ひとしきり食べ終えると、少し毛繕いをして、思い立ったように勢いよくトイレ砂を掻きはじめる。それはもう見事にトイレ砂が飛び散るくらいに、そしてトイレの淵の外まで無い砂を搔き集める。「おまえ、大胆だな」と声を掛けると、背伸びをして再び毛繕いをしはじめた。自由気ままなやつだ、まったく。

くしゃみをするとき、ひとは、他の人にかからないように他所を向くか、手で覆って防ごうとするが、彼はまったくもってそんなことはしない。必ずと言っていいほど、彼はわたしたちの顔に向かってまっすぐにくしゃみをする。それも勢いよくだ。くしゃみをするとき、彼は少しだけ身体が小刻みに揺れている気がする。そういう時はなるべく顔を遠ざけてみる。と、ああ、案の定くしゃみだった。彼のお気に入りのブランケットのある窓ガラスは彼のくしゃみの跡がとても綺麗についていた。

#猫 #エッセイ #日記

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