いのちをひろった日
8月12日の暑い夏の日、私はひとつの命を拾った。この出来事はきっと一生忘れないのだろうと、忘れたくないと、私は思う。
蒸し暑い倉庫の中で作業をしていると、か細い声で鳴く白い小さな子猫が、ひとり、いた。最初は少し逃げようとする様子だったが、衰弱していたのか、か細い声で鳴くだけで、動かなくなった。
鳴いているのだから、生きてはいる。けれど、動かない。怪我をしているのか、もしくは、お腹を空かせて動けないのか、何かの病気なのか、色々なことが頭の中を駆け巡った。
兎にも角にも、什器の下にいるのは危険だからまずは安全なところに連れて行ってあげなくては、と、つかまえて段ボール箱に入れて、水をあげてみた。
最初は器に入った水に口をつけなかったが、手に水をつけて口元にあててやると、水、と理解したのか、ほんの少し口にしてくれた。
そのことを一緒に作業しているおじちゃんたちに話すと、野良猫なんだから、そんなことして噛まれたらどうするの、と怒られてしまったが、そんなことはその時の私には微塵も思いつかなかったのだ。
ただ、必死だった。この子猫を守ってあげなくては、と不思議と頭の中で思ったのだ。
早朝のバイトが終わって、段ボールにいれたまま、車に乗り込んで、その足でそのまま動物病院へと向かった。車のエンジン音に驚いたのか、子猫はひたすらに鳴いていた。大丈夫だよ、いい子だからね、心配しないでね、とひたすら話しかけながら、やっとのことで動物病院へとたどり着いた。
看護師さんに名前を聞かれたが、拾ったばかりの子猫に名前をつける余裕もなく、私は、拾ったばかりでまだ名前が…すみません、と、自分でも情けないくらいに辿々しく答えた。
幸い看護師さんはそういったことに慣れているのか「そうだったんですね、拾ってもらえて運が良かったんだね、ボク」と子猫に話しかけてそっと撫でて、微笑んでいた。
健康診断とワクチン接種をしてもらい、お医者さんから推定3〜4ヶ月で体重は600g、少し風邪をひいているのでご飯を食べさせて元気をつけてあげてください、と言われ、私はお会計を済ませてお礼を言い、子猫をまた段ボール箱に入れて車に乗り込み、夫に電話をかけた。
「もしもし」
「すいません、今朝ラインした通り、猫を拾いました」
「うん」
「病院無事に終わって、今から連れて帰りま…連れて帰っていいかな?」
「はあ」
「ごめんなさい」
「自分の中で連れて帰ってくる他に選択肢がなかったんでしょ?いいよ。連れて帰っておいで。流石に家じゃ飼えないから実家にも電話してみよう」
「!」
「気をつけて帰っておいで」
「ありがとう!」
よかったね、一緒に帰れるよ、いい子だからじっとしててね、と言った矢先、交差点で停車した時に段ボール箱の中から上を突き破って飛び出てきて(一体どこにそんな体力があったのか)しれっと、私の膝の上に座り、じっとしていたかと思うと私の身体をよじ登り、肩に乗り、そのまま自宅まで運転して帰る羽目になったが、幸いにも車酔いもせず、無事に一先ず帰宅することが出来た。
「ただいま」
「おかえり、取り敢えず、シャワーでも浴びておいで。俺がその間にコイツ見ておくのと、実家に電話してみるから」
「ありがとう。お願いします」
シャワーから出ると、夫が実家のお母さんに電話をしていて、私に携帯を差し出してきた。
「もしもし」
「こんにちは、拾っちゃったんだって?」
「こんにちは!はい…すいません…でも、拾ってしまうしかなかったんです。ご迷惑かとは思うのですが、実家に連れて行ってもいいでしょうか…?」
「…もう、しょうがないわよね。拾っちゃうわよね、目が合うと!かわいいんだもん、猫って!」
「ありがとうございます!」
「じゃあ、待ってるわね、気をつけておいでね」
「はい!」
電話を切った後、夫も安堵したのかよかったね、と子猫に話しかけていた。私たちは夫の実家に向かった。段ボール箱に入れていても出てきてしまうので、私が抱っこして夫が運転をかわってくれた。向かいながら、途中コンビニで餌を少し買って行こう、という話になり、夫が買いに行ったがなかなか車に戻ってこなかった。理由はなんとも可愛らしく、子猫だからどれを最初にあげるか携帯で調べてから買っていたら時間かかってしまった、だという。
そこからは、あっという間だった。夫の実家に着くと、ご両親が迎えでてきて、昔、猫を飼っていた時に使っていたトイレなどを準備して待っていてくれたのだ。子猫は最初こそ戸惑ってウロウロしていたのだが、ごはんを食べた後には、元気になったのか、誰かが歩けば後ろをついて回るようになった。
その姿を見て私は一安心し、意を決して、改めてご両親に頭を下げた。
「突然連れてきてしまいましたが、この子猫を住ませて頂けないでしょうか?病院などはちゃんと私が連れて行きます。ただ、家が仮家なので、やはり飼えないのです、かと言って、また野良にするにはまだ幼いです。どうか、お願いします」
「お父さん、」
「ほれ、おいで」
お父さんが呼ぶと、子猫は手に反応したのか、お父さんの膝の上にぴょんと、飛び乗った。その姿を見て、お母さんは「決まりね、」と微笑んでくれた。
さてさて、飼うことが決まったのはいいものの、肝心の名前がまだない。猫ちゃん、と呼ぶのも不憫なものだ。色々な候補があったが、私は最初からクロ、と名付けようと思っていた。どうにか拾った場所の名前の一部から取りたかったのだ。
こうして、白猫なのにクロ、と名付けられた子猫は、私たちの暮らしのひとつに新たないのちとして加わることになった。
いのちをひろった日
それはとてもちいさないのちでした。