捨てる記憶
何かを捨てる時に、特別に記憶していることがどれだけ自分にはあるだろうと、ふと疑問に思った。
物を捨てる時の記憶は大抵が必要性の有無だ。
感情はどうか。感情を捨てる時の記憶は記憶と呼べるほどに鮮やかなものでは無い。曖昧なものばかりだ。
感情を捨てるには、捨てる記憶も捨てているのかもしれない。連鎖反応のような感じで。
悲観する訳ではないが、少しばかりの危機感を覚えた。連鎖反応で捨ててしまう記憶が、どうして捨ててしまわなくてはいけなくなったのか。
感情を捨てた際にストレスを感じた私の脳が自衛本能によって記憶を抹消した、で片付けてしまえそうだ。
だから怖くなった。
このままではどんどん捨てて、消えて、無くなって。気が付けば何を捨てたのか思い出せない、なんて、笑えない話をしなくてはいけなくなる。
それでも感情を捨てないで居続けるのはとても、息がつまる。
人間の脳のメカニズムなんて学者さんにでも解明できないことの方がまだまだ多いと言われているのだから、どうすればいいのか、なんて、誰に助言を求めろと言うのだろう。
納得できたことしか、納得できない。結局は、納得してなくても感情を捨てて納得できていない記憶も一緒に捨てて納得したことにして、今日も誰かの前で笑っている。