子どもの拒否を受け入れず、身体を執拗になで回すのは性的虐待です:母親による男児への性的虐待の実態
この記事にたどり着かれた方は、おそらくひどいハラスメントの被害に遭った方であることでしょう。筆者(ペンネーム:真実の剣)によるこの記事には、同じ苦しみを味わってきた方々に、少しでも癒やし、回復、そして新しい良き人生へのヒントになるよう、情報をちりばめています。皆様のご参考になりましたら幸いです。
■頭から消えない「自分を否定するもう一つの声」の原因とは?
20代~30代当時、私の頭の中では常に、自分の行動を否定する声が鳴り響いていました。何かを起こそうとすると突っ込み、何かをしないと駄目だと駆り立て、自分を常に何かに駆り立てていました。
20代も後半のある時に勤務していた会社の同僚に指摘され、「どうやらこのような声は他の人には聞こえないらしい」ということに、その時初めて気がついたのです。
気が付いた私は、この「自分の意識内に住まうもう一つの声――否定的な声の主」をなんとかしたくて、心理学の世界、氣の世界、さらには「DNAアクティベーション」そして「アデプトプログラム」から始まる形而上学の学びを進めてきました(これら2つについては、記事最後のお知らせリンクをご参照ください)。
40代も後半になった私にはもう、そのような声はほとんど聞こえなくなりました。そして半世紀近くも生きてきて、ようやく生まれて初めて、「自分の心の声」というのがどういうものなのか、だんだんと掴めるようになってきたのです。
先に、「小さい頃からおれの頭の中につきまとってきた『否定的な声の主』は、どうやら他者の頭の中にはいないらしい」と気づくきっかけを与えたのは同僚との会話だったということを紹介しました。これは当時の私にとって、非常に衝撃的な出来事でした。仲の良い同僚から「○○さん(私の名前)、そんな声、私には聞こえないですよ。それ、ある意味ホラーじゃないですか」と。こう言われたことが、大きなきっかけでした。
そこから20年近くにわたる自己探求の結果、いろいろな体験を経て、この「もう一つの声――否定的な声の主」は、少しずつ、その存在感が薄くなっていきました。
そしてつい最近、核心となる根本原因に行き着いたのです。それは、「幼少期の私(男児)が、日頃、母親から継続的に受けてきた数々の嫌な行為は、性的虐待に値する」という気づきです。
もう少しはっきり言えば、私が幼少期に日常的にさらされた、母親からの性的虐待が、「自分の意識内に住まうもう一つの声――否定的な声」の主要な原因の1つだったのです。
■子どもにも拒否の権利はある
性的虐待などを受けてきた子どもは、根拠のない自己否定的な感覚がつきまとうことが多いらしいのです。
それが私の場合は、「もう一つの声――否定的な声」として現象化したのだと思います。
私が母親から継続的に受けてきた虐待行為とは、大きくは次のようなものです。本人である私がひたすら拒否し続けているにもかかわらず、ところ構わずなで回したり、接吻をしてきたり、友人など第三者がいる面前で「○○ちゃん(私の幼少期の呼び名)、かわいい」としつこく声をかけたりするという行為です。
私がひたすら拒否しても、母親はまるで壊れたロボットのように執拗に繰り返すというのが最大のポイントです。
このような母親による「妙なかわいがり」がいつから始まったのかは定かではありませんが、少なくとも、物心ついた頃から繰り返し行われており、小さい頃の記憶としては、とにかくひたすら母親からの執拗なかわいがりを拒否し続けてきたことだけは、しっかり覚えています。
この行為は、中学生あるいは高校生くらいまで続いていました。大人になってからも触られることがありましたが、「昔よりはマシ」とホッとしていたほどです。
とにかくかなり気持ち悪く、ひどく侮辱されている感覚があり、そして執拗なかわいがりに、怒りを通り越して諦めを感じていたことは間違いありません。
■性的虐待に対する一般的な概念が、気づくのを遅くした
いわゆる性的虐待というと、「男から女に行うもの」であり「挿入行為や体液の流出などを伴うもの」というイメージが強いかと思います。
しかし、心理の専門家の方々によれば、「女性から男児に行うもの」で「挿入行為や体液の流出などは伴わないもの」であっても、性的虐待に当たるそうなのです。私は最近になって初めて、このような性的虐待の正しい定義を知って、驚きました。
性的虐待というと、先にも述べたような一般的な固定的イメージがあると思います。それがゆえに私は、「幼少期に、男児の自分が母親から受けてきた行為が、性的虐待に類する」と認識することができなかったのです。
その定義に基づいて母親の行為をつぶさに思い返すと、私は子どもとはいえ一人の人間としての自由意志、意見を述べること、自分を正当に守ることといった尊厳が、まるきり母親に無視されていたことが分かります。まさに虐待です。
■自分の「尽きぬ殺意」の出所は母親の虐待だった
少年期の私はいつしか、母親に対して「殺してやりたい」という遠慮なき殺意を繰り返し抱くようになっていました。これはおそらく、性的虐待という極めて侮辱的な行為に対するものだと思われます。
一方で、少年期の私は「なぜおれはこのような殺意を繰り返し抱くのか、おれ自身がおかしいのだろうか」と思っていました。また、母親に敵意をむき出しにすると、「お前は凶暴だ」などと非難されたものです。
だがその殺意の根本は、まさに非難する当の本人・母親が原因だったのです。
「母親に性的虐待を受けた男児は、女性に対する根本的な怒りを持つようにもなる」という説もあるです。私が母親に持っていた殺意は、この説とも呼応します。
私は過去、心理カウンセラーやヒーラーの方々複数人から、「アダルトチルドレン的な性質がある」「家庭環境はどうだったのか。かなり大きな問題があったと思われるが」と指摘されたことがあります。
また幼少期の私はおそらく、母親に虐待されてそれに対し怒りを持って反抗しつつも、支配権のある母親から「お前が悪い、(機能性が失われた親であっても)親が“正しい”のだ」という親本人による洗脳、また世間一般の「親は敬うべき」という固定概念にとらわれて、「ぼくが悪い」と、まるで根拠のない罪悪感を抱いたとしたら、どうでしょうか――まさに、理由なき自己否定の塊、そして自分の(本来正しいはずの)自己感覚を信じられない人間に育つはずです。
振り返りますと、私はある程度の社会性が身についてくる小学校高学年頃から、「どうやら、ぼくの母親は相当おかしいようだ」とは認識できていました。また、学校のクラスの担任教諭や同級生がみなおしなべて、「お前のお母ちゃんはおかしい」という趣旨のことを言っていました。ここからも、母親の異常性は推察できるかと思います。
ただ、それでも少年期当時の私は、「おかしい母親」の何がどうおかしいのか、その本質を突き止めることはできず、30数年の年月が必要でした。
■大人の自分が、幼少期の自分を救いに行こう
しかし、当時の私にとってより大きな問題と考えられるのは、母親がさらに小さい頃の私にも、同じ姿勢で接していたと考えられることです。
心理学的には、その人の生き方の基本姿勢をおおかた決めてしまう「人生脚本」――私は「人生のシナリオ」と呼んでいる――は、3歳から10歳戦後までに形成されると言われています。
母親の虐待に気付き始めた年代よりも前の幼少期から同じ扱いだとすれば、まさに私は「僕が悪い」というシナリオを徹底的にすり込まれているはずです。
ユニセフの「子どもの権利条約」をみると、何が奪われており、何が正当な権利なのかがよく分かります。
https://www.unicef.or.jp/about_unicef/about_rig.html
小さい子どもの自分を、大人の自分が救いに行こう。自分に宣言しよう。「もう大丈夫だよ、私。私があなたを守ります」と――。
■余談:ドラマの暴力シーンが教えてくれたこと
母親との関係性の本質が分かり始めた40代後半のある日、ネット動画を見ているときに、懐かしい昔のドラマの、暴力・陵○シーンが出てきました。女性が男性に性的な暴行を振るわれようとするシーンです。
突然、そのシーンにおける、ある台詞に耳が奪われました。
「てめえ気持ち悪いんだよ」「殺してやる」という、女優による2つの台詞です。
私は非常に驚きました。なぜなら、「これは私が小学生・中学生の頃、私が母親に繰り返し、何度も言っていた罵りの言葉」だったからです――。
これには、本当に驚きました。この「時空を超えた一致」に気がつき、私はショックで、しばらくの間身動きが取れませんでした。
私はあらためて、幼少期に母親から何をされていたのか、その本質を理解したのでした。
【参考文献】
『性的虐待により傷ついた子どもの心のケア』、https://www.obirin.ac.jp/la/ico/con-sotsuron/sotsuron2007/2007M-furuya.pdf
『ユニセフと子どもの権利条約』https://www.unicef.or.jp/about_unicef/about_rig.html
『子育て心理学:第2部 9)「人生脚本」の完成』中尾相談室ブログhttp://nakaosodansitu.blog21.fc2.com/blog-entry-1813.html
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DNAアクティベーションは、伝統ある形而上学の学校が古来引き継いできた、最重要のヒーリングメソッドの1つです。
かつては王族や神官など、限られた人にのみDNAアクティベーションの存在が明かされてきました。つまり、ごく一部の人物しか、このDNAアクティベーションの恩恵を受け取ることはできませんでした。
しかし、今は形而上学の学校・モダンミステリースクールが一般公開に踏み切ることにより、正式なトレーニングを受けて認められたヒーラーなら、施術ができるようになりました。これにより、市井で活躍するより多くの人々が、このDNAアクティベーションの恩恵を受けられるようになっています。
これを受けた人は、まさに形而上学が語る最大の教え、「I am God.」の一片――素晴らしき自らの潜在的な可能性が拓かれます。徐々に心の平和、心の豊かさ、さらには自らの人生を切り開いていくことができるようになるでしょう。
私がDNAアクティベーションを最初に受けたのは2005年9月のことでした。そしてDNAアクティベーションの施術法を最初に学んだのは、2009年でした。初めて学んでから10年以上もの月日が経過していますが、このヒーリングの威力については発見の連続です。
受けた人が備える可能性を最大限に開く、古来の叡智・DNAアクティベーション。このヒーリングの恩恵を、ぜひ、多くの人に受けていただきたいと思います。
DNAアクティベーションの解説ページはこちら
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