あなたも私も、今から学べる「ほんとうの知性」とは
いろいろなところで日本社会の問題が噴出しています。けれども、私はこれは、これからの新しい社会に向けた膿み出しではないかと思っています。
こうした時代に求められるのは、一人ひとりが「ほんとうの知性」を身につけていくことではないでしょうか。
アリス・ベイリーは遺した数々の神智学・秘教学の著書で、「一人ひとりが自らの力で神のビジョンに通じ、それを、各人の個性を通じて具現化すること。それが個人が目指すべき最終目標だ」との趣旨を述べています。
私はこうしたアクションをできるようにする自己統御力が、「ほんとうの知性」の在り方であろうと思っています。そしてこのような「ほんとうの知性」は、どんなに歳を取ってからでも身につけられますし、たとえどんなにいわゆる学校の成績が低かろうと、関係なく身につけられると考えています。
なぜなら、この知性は、「神(神という言葉に抵抗感があるようでしたらば「サムシング・グレート」と呼んでもいいでしょう)のビジョンに意識を馳せよう」とする、個人の情熱の度合いに依存するからです。
■知性に対する誤解は学校偏差値システムから生まれた
しかし、知性というと、日本人はいわゆる学校偏差値システムを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。料理、工芸、音楽、スポーツなど一部の職能分野を例外として、産業界のほとんどの場において、10代の終わりにおける「どんな大学の入学試験に合格したか(=卒業したかではない)」という成果が、その人物の生涯にわたる能力評価の基準として過剰に重んじられすぎているように思います。
実際、そうした「学歴ブランド」による人物評価は、少なくとも実務一般においても合理的ではないようです。心理学・教育学の研究では、「仕事上で成果を発揮する知性とは、今の自分を支配している価値観を常に客観視し、書き換えることができる能力だ」という趣旨のことが分かっています※。
※『なぜ人と組織は変われないのか――ハーバード流 自己変革の理論と実践』(ロバート・キーガン、リサ・ラスコウ・レイヒー、英治出版)
そこには、学校のテストの成績の度合いが入り込む余地はほぼありません。仕事の現場で働く人々も、現状の学校システムと仕事現場との乖離がすぎるところは、肌感覚で分かっています。実際、仕事現場においていちいち学歴ブランドが基準となって業務が行われることはほとんどありません。
しかし、なぜか飲み会などのアンオフィシャルな場で学歴の話に及ぶと、やたらと「あの人はこの学歴、この人はこういう学歴」という話で盛り上がるわけです。50代になっても60代になっても、30年も40年も前の出来事である「あなた(私)はどこの大学を出たか(真の意味合いは入学したか、ですが)」が、話題になりがちな実態があります。
つまり、その人物の最終学歴(実態としては入学した大学のブランド)によりレッテルをつけて、その人物の生涯にわたる知的能力の度合いを一律に評価しようとする風潮は、一般社会においては変わらず根強いと言っていいでしょう。日本の社会人の脳内において、人材評価の基準が2つ並立しているような、不思議な様相です。
「脳の可塑性」が脳科学的にも証明済みでもありますし、ますます「10代後半において達成した成果はあくまでその人の一側面であり、それで人全体を評価するのは科学的でもなく、合理的でもない」と判断するのが当然なはずです。それに、10代の若者は有り体に言って、まだまだ人生の右も左も分からない年代です。そのような不確定性の高い時点における成功と失敗で、その後の人生のすべてに影響するような評価を定めてしまうシステムおよび社会傾向は、「人生100年時代」と言われる今、いかにも人の可能性を阻害しています。
日本では若者の自殺率が先進国でもトップクラスとして問題視されていますが、その傾向には、この学校偏差値システムが大きく影響しているようにも思われます。おそらく、多くの人は、心のどこかで、こうした不合理なシステムの問題を十分に認識しているはずです。しかしそれでもいちいち(思わず)気にしてしまう理由はどこにあるのでしょうか?
■「洗脳システム」の巧みなポイント
こうした強固な「負のシステム」づくりの裏には、故・中曽根康弘元首相の思惑があったようです。
元・経営コンサルタントであり教育事業家としても著名な大前研一氏は、メディア「プレジデント」および自身が経営するビジネス・ブレークスルー大学院大学の公式ブログにて、「学校偏差値システムは、かつて中曽根氏が日本の若者を政府に逆らわせないシステムとして企画し、日本に浸透させたのだ」との趣旨を記しています。次のURLからご覧ください。
https://www.ohmae.ac.jp/mbaswitch/hensachi_score
現役の経営コンサルタントだった当時の大前氏は、中曽根氏の政策アドバイザーとしても活動していました。その点から考えても、この話題の信憑性は極めて高いと言っていいでしょう。
このシステムの要点は、簡単に言えば、国内の大学をはじめとした高等教育機関を、大学を受験したいと望む学生をまとめて受けさせた模擬試験の結果で算出される偏差値という数字によって、一律に序列をつけるところにあります。これは理系だろうが文系だろうが、農学部だろうが文学部だろうが考慮に入れずに一律に序列をつけています。それは、洗脳システムという目的から考えると当然で、「序列をつけること」が目的だからです。
そして若者とその保護者に対して、「トップ大学に入った若者は頭が良くて、下の若者は頭が良くない」「なるべく高い偏差値の大学に入れるかどうかで、その後一生の人生が決まる」といった印象づけを繰り返し行います。これにより、トップ大学に入った若者には知的な優越感を持たせ、下の若者には知的な劣等感を持たせるのです。
これは心理学的なテクニックを勉強すると見えてくることですが、人は恐怖と緊張感あふれる閉じた環境の中に継続的に置かれると、一種の変性意識状態になります。そのような変性意識状態の中で、「これが正しい、これは間違っている」と、繰り返し情報を与え続けられると、自分が大切にしている価値観や意思はさておき、無判断のうちにその情報を受け入れるようになるそうです。言い換えると、本人の意思や価値判断のフィルターを経ずに、情報が意識空間内に埋め込まれるわけです。
そこから重ねてアメとムチを継続的に提示された場合、自分のそれまでの価値観はさておき、ムチを避けてアメを選択するようになる――。そう、偏差値をアップさせるために、とにかく勉強する。成績が上がったら賞賛と優越感。成績が下がったら侮辱感と劣等感。これはまさに、学校や模擬試験の環境ではないでしょうか?
有り体に言えば、これは洗脳的なシステムです。おそらく中曽根氏らは、学校偏差値システムを心理学的な視点で――つまり潜在意識を操作する洗脳システムとして――設計したのではないでしょうか。特に、洗脳に適した閉鎖的な空間(物理空間的にも情報空間的にもです)に押し込むために、10代後半までの多感な時代をひたすら受験テスト勉強に費やさせるところも、またうまくできています。
その上で、トップ大学に入った若者には、国の中枢機関に入るよう誘導します。結果、国の中枢機関に入った人間に対して、その他の人間は知的面において逆らいにくくなるという演出がなされる、というわけです。
支配する側にとっては、一般市民には知的活動に対して強い劣等感を持ってもらったほうが都合が良いはずです。これにより、一般民衆は国の中枢機関が繰り出す政策に、心理的に逆らいにくくなります。丁寧な議論の必要などもなく、自分たちにとって有利な政策を推し進めることが可能です。
このように、「学校偏差値システムは、若者を政府に逆らわせないようにするための調教システムだ」という話を仮説として立てて観察してみると、いい大人になっても、そしてまったく学校偏差値とは関係のないシステムの中でちゃんと仕事をこなしていたとしても、対象人物の「学歴ブランド」にいちいちこだわる人が多い理由が、よく見えてきます。それは潜在意識下に「偏差値が高い学校に入学できたら偉い、できなかったら駄目」という価値観が、繊細な10代後半までの若者時代に洗脳的な手法でインプットされているからです。そして現状を見ると、これは洗脳システムとして実にうまく機能しています。
過去数十年にわたり、たくさんの高等教育機関で、いわゆる学校偏差値システムとは異なる新しい教育価値を創出しようという取り組みが進んできました。けれども、それでもなぜ、ここまで変化の波が大きくならないかという疑問を、先に述べた洗脳システムの話を当てはめつつ考えてみると、なるほどと納得できそうです。大学入学の基準として使われる偏差値システムが、そもそも最初の出発点からして「若者を政府に逆らわせないようにする」ための洗脳手法で固められているからです。そしてそれは国家のトップの意思で行われてきたのですから、強固さの程度がうかがえます。
自分の人生を自分の力で構築できる健全な若者を育成することや、教育内容を時代に合わせて高度化することや、各高等教育機関の特性に合わせた形で入学希望者を適正に評価・選抜することなどは、最初から目的ではありません。偏差値洗脳システムが日本国民に与えてきた洗脳手法による印象強度によって、高等教育機関の努力がかき消されてしまっています。
大前氏も先の記事で、このシステムの問題点を指摘しています。
このような知能の一面を図るものでしかないテストの価値を、学校偏差値システムはいまだに人の知的能力を測る重要尺度だと強調しています。繊細な子どもほど、サバイバルをするために疑問を持たずに「上から与えられた知識を覚えて反射的に回答する能力」を鍛えるしか選択肢がなくなってしまっています。繰り返しますが、これが洗脳と言わずに何なのかと思わざるを得ません。
この洗脳システムのさらなる問題は、高い成績を収めた子ども、そしてその結果としていわゆる「良い大学」に入学できた若者には、他者に対する優越感が植え込まれがちであるということです。要するに、「僕は努力して成績を勝ち得た優れた人間なので、努力してこなかった成績の悪い奴を下に置き、支配してもかまわない」という具合です。
一報で、最近の教育学の研究では、生まれた家庭環境と生まれた地域によって小中学校の成績が左右されるというデータが出ています。下記の記事をご覧ください。
子供の人生は「生まれた家庭と地域」で決まる……日本の“教育格差”の厳しすぎるリアル | 文春オンライン (bunshun.jp)
要するに、子どもにとっては選択し得ない生まれながらの環境が、義務教育課程の成績を左右するということです。義務教育課程の成績は当然、その先の高等教育機関の選択にも大きく影響します。
この研究結果は、「学歴に基づく差別は、本質的には男女の性差別や人種差別と構図が同じである」ことを示しています。
海外でも同種の問題を指摘している人が、政治哲学者のマイケル・サンデル氏です。「学歴差別に対する容認度は、人種差別や性差別に比べて目立って高い」と指摘しています。以下の記事をご覧ください。
サンデル氏によれば、現代社会においては、「能力を発揮すれば、そのぶん報酬も手に入り、認められる」ことを最重要と見なす能力主義的な見解が深く浸透しています。ところが、実際には、発揮できる能力の度合いは「いかに良質なトレーニングを受けられるか」で大きく変わります。つまりは、良い教育を受けられるかどうかで、能力の度合いが変わるわけです。これは結局のところ、「運良くいい家庭・地域で生まれた子どもが、能力を発揮するのに有利である」ということです。
ところがエリート層は、「私は自らの努力によって高度な学歴を勝ち取った。だから私はそのぶん、権利や権力を持っても当然だ」という、先に挙げたような学術調査とは整合性がとれない、ズレた優越感を抱きがちです。さらにかれらは、自らの優位性を侵されたくないというサバイバル意識が無意識下で働き、それをさらに固定化するように論理を誘導し主張していると考えられます。
また、サンデル氏は次のようにも語っています。
上記のサンデル氏の見解を踏まえつつ、日本における状況に対してもう少し考察を加えてみましょう。ここ日本で継続的に運用されている偏差値洗脳システムの実態も併せて考察すると、そうした「学歴差別論者」が日本の各所で見受けられており、そして自らが備えている差別意識に対して疑問を持つ人が少ないのは、サンデル氏が指摘する以上に「想定の範囲内」ではないでしょうか。なぜなら、皆、偏差値洗脳システムによる洗脳を受け続けており、そのような自己を客観視することができなくなっているためです。
このように見ていくと、今の日本が抱えている苦境は、偏差値洗脳システムに由来する一本の線で浮かび上がってきそうです。
例えば官僚が繰り出す政策です。日本政府を構成する人員は、基本的にはいわゆるトップブランド大学の出身者で占められているとされています。特に財務省はその傾向が強いと言われています。
もちろん、本当の意味で知的に優れた人材が就くのであれば、大歓迎です。しかし、もし、こうした人々が偏差値洗脳システムを通じて「私は自らの努力によって高度な学歴を勝ち取った。だから私はそのぶん、権利や権力を持っても当然だ」「勉強ができない人間たちは努力しなかった結果であり、いろいろな面で不利を被っても仕方がないのだ」などという人種差別的な考え方を持ち続けていたとしたら、どうでしょうか。
うがった見方である危険性をあえて冒しながら言いますと、政府の中枢にいる人々は、心の奥底で「自分よりも学歴が低い人」に対して強い差別意識を持っており、それについての自己検証の余地も感じておらず、「自分よりも学歴が低い人」を苦境におとしめても良心の呵責を感じていないのではないでしょうか。これは構造としては、性差別や人種差別と同じです。
その片鱗は、消費税制度に見られます。この税制は、実態としては間接税であるにもかかわらず、国民をうまくごまかす格好で直接税(預かり金)的なプレゼンテーションになっています。近年こうした真実の姿について各所で怒りの声が巻き起こっているのは、独立系メディアに目を通している方であればすでにご存じの通りでしょう。そのうえ、消費税制度は逆累進性が非常に強く、消費税を上げるたびに低所得者層に過剰な負担が強いられる構造にもなっています。
極めつけは、「そもそも日本国家の財源は税金ではない」という真実が隠され続けてきたことです。日本国のような貨幣が自国で発行できる国の場合、貨幣は国家の生産能力に従って自由に発行できるというのが真実です。
日本政府及び財務省は、さも「税金が財源である」と主張していますが、貨幣の社会科学的な見地に従えば、日本の長きにわたる不況は、国家全体の生産能力に見合った自国貨幣(すなわち日本円)の量が供給されていないためです。つまり、財源は国民の生産能力そのものです。そしてその生産能力の弱体化は、日本政府および財務省が増税を重ねて、日本円の国内流通量を減らし、投資や消費を抑えてきたことが理由です。なお、付記情報として、財政の失策と生産能力の低下によって日本のGDPが中国に抜かれた頃から、尖閣諸島周辺に中国国籍の船が頻繁に現れるようになったそうです。
ちなみに、こうした「発見」はここ数年、経済専門家や会計制度に詳しい人々、景気回復と日本の復活・復興を願う一部の議員により、各所で提示されつつあります。これは絶望の中の新たなる希望だと私は受け止めています。
こうした真実が次々と明るみになってきたにも関わらず、国家中枢において変革の機運が見られないのは、先にも述べましたが、そもそも一般の国民を差別意識をもって見ているからではないでしょうか。だとすれば、それは故・中曽根氏が主導した洗脳施策が「極めてうまくいっている結果」です。中曽根氏はもうこの世を去っています。我々は前時代の亡霊にいつまでも左右されているような格好です。
■すべてはグレート・サムシングのビジョンの現れ
翻って、私たち一般市民は何から始めればいいでしょうか。私はとにかく「真実を知ること」から始めることではないかと考えます。
まず、私たちを覆っている教育システム、国家システム、特に今なら貨幣の真実を知ることではないでしょうか。これをきちんと知ると、自分が持っているもの・できることに関する「自分がいけない」というコンプレックスが消えていきます。なぜなら一般市民を取り巻く社会システムが差別的であり、普通に努力した程度では、持ちうるお金も地位も覆しにくい状況にあるためです。そんな中で「自分が悪い」とお門違いな責め方をするのは、ますます「彼ら」の思うつぼです。
そして、形而上学的な真実を知ること。ありとあらゆる優れた知見は、実はこの世界を創造している「サムシング・グレート」とも言えるシステムから直観的に得たものだと言われています。となれば、私たちに求められているのは、このサムシング・グレートの霊感を得られるよう、意図をし続けることではないでしょうか。そうしたことができる知性――それが本物の知性であると言えるのではないでしょうか。
私は、いよいよ、サムシング・グレートに由来する霊感を得られるかどうかが、人生の価値を左右する時代がやってきそうな気がしております。
最後に、アリス・ベイリーの著書『ホワイト・マジック』(上、翻訳・発行はAABライブラリー)より、少し引用したいと思います。
■「真実の剣」note記事をご覧いただきました方へ
「真実の剣」のnote記事をご覧いただき、ありがとうございました。併せて、ぜひ、下記のヒーリングや瞑想ワークショップの情報もご覧ください。
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これを受けた人は、まさに形而上学が語る最大の教え、「I am God.」の一片――素晴らしき自らの潜在的な可能性が拓かれます。徐々に心の平和、心の豊かさ、さらには自らの人生を切り開いていくことができるようになるでしょう。
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