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瞑想で磨かれる感覚と、科学的・論理的態度について

私は20代後半、心身の調子を崩しまして、根本改善を求めてさまよっていました。必死になってひたすらトライし続けた恩恵でしょうか、健康度ということで言えば、体力はさておき20代のときよりも高レベルの健康度を保てているかもしれません。また精神面についても、瞑想を含めた様々な取り組みを経て、長く人生の課題となっていた統合失調症的な不具合がようやく解消してきた感覚があります。

瞑想は人類普遍の取り組みとも言われており、音楽グループとしてあまりにも有名なビートルズのジョージ・ハリスンや、米Apple創業者のスティーブ・ジョブスなども熱心に取り組んでいたともされています。

私自身は先にも触れましたように、20代の終わりに瞑想のことを知り、以来20年、取り組んできました。心身のストレス改善力を高め、また自己を客観視するメタ認知の力を高めるなど、生産性という観点からも実利的なメリットがあることを実感してきました。彼らのような芸術、ものづくり、経営において鋭敏な感性を発揮しようとしてきた人物が瞑想に関心を持った理由は、私の経験からもよく分かります。

■瞑想で鍛えられてきた身体感覚

この瞑想を続けていると、不思議なことにいわゆる科学的常識とはまた少し異なる身体感覚が得られることも特徴です。私の体験から言いますと、例えば東洋医学で語られる「気」の観点に基づいた身体感覚などはその代表です。これは特に瞑想で鋭敏になりやすい観点といえます。

気の観点に対する観察眼が高まってくると、マッサージでどこをケアすれば体調が回復しやすいのかが予測的に見えてきたり、ヨガでどんな体の動きを率先的に実行すると不調が改善しやすくなるのかが把握できたりするのが面白いところです。こうした観察眼は結果として仕事の生産性アップにも寄与してくれるので、とても助かります。

とはいえ、西洋医学のことを無視しているわけではありません。病気になればかかりつけの医院に行きますし、健康診断と検査ももちろん定期的に受けています。ただおそらく、病気になる回数も、医院に行く回数も、普通の中年男性よりもかなり少ないのではないかと思います。

気の観点の話をすると、大体の場合「そういうものもあるかもね」という反応が多いのですが(日本人はさすが、言葉に「気」がたくさん含まれているだけに、身体感覚としてわかるのでしょうね)、次の2通りのケースに出会うこともままあります。まず1つは頭ごなしに否定するケース。もう1つは、プロの気功師並みに何かを見せろと要求されるケースです。

どちらのケースも実は科学的でもないし論理的でもありません。例えば科学的でないという理由を挙げるとすると、先に挙げたような頭ごなしに否定するという態度はある意味、「科学という宗教」にはまっている人の態度でしょう。科学は未知の事柄について、確かな視点と手法、そして真摯な姿勢で解明していくことが主眼であるはずです。

とりあえず私はよく「瞑想をほぼ毎日、20年続けて体感でわかったことなので、まずは10年続けるつもりでやってみたら、わかってくるのではないですか。熟練したスポーツ選手や絵師たちにしかわからない感覚があるのと同じだと思います」と返します。するとほとんどの場合、黙られてしまいますが……。

いずれにせよ、当たり前のことですが「現代の科学的観点を持ってしても、わからないことが多々ある」というのが真実だと思います。そこに関して我々は、人間自身も含めた大自然に対してもっと謙虚であるべきなのでしょう。

瞑想については、私が運営しています瞑想情報サイトの下記も、ぜひ、御覧ください。

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