人は言語空間の中に生きている
脳機能科学者の苫米地英人氏は、「現代人は言語空間の中に生きている」との主旨を述べている。私はこれを受けて「なるほど」と思った。
例えばだが、法律は言語で書かれている。この法律に則って、自分を含めた多くの人が行動を起こしている(あるいは行動しないようにしている)。
つまり、我々現代人は、「言語により規定された社会空間の中で生活を営んでいる」と解釈できる。
そこから考えると、私たち現代人は、言葉を扱う能力――いわば「言語運用能力」を一定以上に高めることが、現代社会を生きる上での必須事項と言える。
■「言語運用能力」とは何か
言語運用能力とは、言葉という道具を使って、自らの意思を明確する、自分の外側の世界で起きていることを整理したり把握したりする、あるいは外側の世界との適切なやりとりを可能する能力を指す。
なお、文化庁は、言語運用能力を「音声言語・文字言語を問わず,相手や目的・場面に応じて自らの意思を言語によって適切に表現・伝達し,かつ言語を通して相手の意思を的確に理解し得る能力のことであり,端的には,聞くこと,話すこと,読むこと,書くことのすべてにわたって総合的に運用する能力」と説明している※。
※引用元:文化庁 | 国語施策・日本語教育 | 国語施策情報 | 第20期国語審議会 | 新しい時代に応じた国語施策について(審議経過報告) | Ⅲ 国際社会への対応に関すること (bunka.go.jp)
徳島大学国際センターの論文、「言語運用能力とは-日本語のクラスで求められる能力-」(橋本智・石田愛、徳島大学国際センター、2008)にも、参考になる内容が書かれている。
『ハイムズは、文法を中心に考える「言語能力」は母語話者の持っている能力の一つに過ぎないとした。つまり、「言語能力」と「言語運用」を別々に区別するのではなく、言語使用(languageuse)と社会相互作用(socialinteraction)、また状況や文脈などを考慮する能力(contextualcompetence)、そしてそれらすべてを含めた意味での『言語運用能力』(communicativecompetence)』
つまり、例えば子どもが基礎的な言語能力を身につける際、あるいは母国語が日本語ではない人が日本語を学ぼうとする際には、いわゆる「話す」「聞く」「書く」「読む」に代表される言語の技術的な側面(言語使用)だけでなく、言葉を発する際に、それが受け手にどう影響を及ぼすのか、あるいはさらにその先にある、自分が発した言葉が結果として自分の立ち位置にどのように作用するのかを、その社会・文化の中で事前に推察できる能力が求められる、ということだ。この記述は自明なものではあるが、私たちが言葉を使うことの意味をあらためて意識付けするのにふさわしい内容と言える。
これに関連し、論文にはさらにもう1カ所、興味深いフレーズが書かれている。
『ルービン(1976)は、この「言語運用能力」を「メッセージの内容を十分に理解する能力、適切なメッセージを作る能力」と定義している。』。このフレーズは、現代人に求められる「言語使用」を越えた「言語運用能力」の本質的な要件を、端的に示していると言えるだろう。
人は言葉を使って、世界を理解している。さらには、世界で起きているものごとの意味を自分なりに考え、他者と意思疎通をし、これにより価値を創造しながら社会生活を成り立たせている。あらためて考えてみると、現代人はおしなべて極めて高度な知的作業をこなしていると考えられる。このような人間の知的活動は認知というカテゴリの一部に当たる。この認知は極めて奥が深く、先端科学を持ってしてもその仕組みを解明しきれていないようだ。
程度の差はあれ、言葉を扱う能力が現代生活の基本的な営みを充足させる手段になっていることは間違いない。ここから考えても、言語運用能力の獲得と向上は、いわゆる「生きる力」そのものを示すと言っていいだろう。また、私の経験から言っても、言語をより正確に、かつ適切に扱う能力の向上はそのまま、思考力を高め、また社会生活をより快適なものに変えることにもなる。
■最後に
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