![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/163333593/rectangle_large_type_2_dcc6d262fcf1e2c1b0e2198f9c57bc2a.jpeg?width=1200)
人間関係の「境界線問題」についての思索
人間関係には適切な「境界線」というものがある。この境界線とは概念的なもので、物理的に視認できるものではない。捉えづらいものかもしれないが、この境界線の概念を認識し、これを適切に設けて保てるかどうかで、仕事・私生活を含めた本人のQOL(生活の質)は大きく変わってくる。
相手との境界線が適切に設けられないと、仕事を含めた人間関係で、様々な問題が表出する。
特に、いわゆる「いじめられっ子」、あるいは「ハラッシー」と言われるハラスメント被害者は、人間関係において境界線を侵食されることに慣らされすぎている。そのため、少し押しの強い相手と相対した場合に、他者の主張をむやみに受け入れてしまいがちになる。そのまま利用されて、本来確保できるはずのものが確保できず、得られていて当然の物質的・精神的資産が得られないまま、やりにくい人生を過ごすことになってしまう。
ハラスメント被害者は、逆に、自覚なきままに他者の境界線に進入してしまうこともある。「他者に利用されるのが当たり前」「自分を抑えて他者の主張を受け入れるのが当たり前」といった人生を送っているがゆえに、自分の人生の姿勢を判断基準にしがちである。このため、結果としてコミュニケーションにおいて「相手もこれくらいのことをしてくれるのではないか」という期待感を持ちがちになるのだ。
相手が平常な境界線感覚を持っている人物であれば、「それはできません」とやんわり拒否を申し出てくる。すると、ハラスメント被害者は得てして、「なぜ拒否されたのか」と悲しみと憤慨の気持ちが湧いてきたり(これ自体が勘違いなのだが)、また逆に「自分の何がいけなかったのだろうか」などとぐるぐる考え始めて、自分を責めたりする。これは、いかにも「生きづらさ」の高い状況ではないだろうか。
境界線問題は、潜在的には各所でかなり問題になっている。その一方で、境界線をどう設けるべきかといった話題はそれほど取り上げられることはない。おそらく、そもそも境界線の概念がそれほど広まっていないことが主要因だと思われる。
私はこれまでの人生で、境界線問題を常に抱え、悩み続けてきた。その経験を踏まえて言うと、境界線問題は社会人が身につけるべきコミュニケーションスキルとして、かなり優先度の高い事項だ。逆に捉えれば、境界線という概念を理解し、適切な境界線を引くための戦略・戦術を学ぶことによって、人間関係という人生の基本的な要素に、大きな実効的価値をもたらすはずだ。
■性暴力被害者が抱えがちな問題
私(男性)は幼少期、珍しいことかもしれないが実の母親からハラスメント、特に性的なニュアンスを含むハラスメントを継続的に受け続けてきた。
その影響により、私はつい最近まで、「意識内に常にもう一人の誰かがいて、ネガティブなことを語りかけてくる」という問題や、「不満感や違和感や怒りを得た人物に対して極端な殺意を抱いてしまう」という問題を抱えていた。
自分の問題ばかりを強調するつもりはないが、いわゆる「毒親」サバイバー、特に性的なニュアンスのハラスメントを受けていた経験者と話をしていると、先に触れてきた境界線問題は、静かに、かつ極めて大きな影響を子供(およびかつて子供だった大人)に与えていることが見えてくる。
性暴力被害者はおしなべて境界線に不具合を抱えがちだ。自覚なきうちに境界線の侵食を他者に許してしまったり、あるいは自分から相手の境界線に侵入してしまったりする。そして、いわゆるハラッサーと言われる人々は、そうした特性を持っている人をめざとく捜し当て、餌食にする。
■日々の前進を助ける文言リスト
境界線の不具合は、幼少期から積み重ねてきて形成された「心のクセ」から生じている。心のクセは、自分自身で意識しながら、少しずつ修整していくしかない。一つひとつの修整は遅々たる取り組みかもしれないが、日々取り組んでいけば、必ず前進が見られる。
私は、こうした日々の前進を助けるための文言リストをつくり、たまに目にしている。これにより、長年持ち続けてきたハラッシー体質に戻るのを防止しているのだ。
文言リストは、主に以下の3点である。
1)性暴力は犯罪であり、本来であれば刑事・民事で訴えられるレベルの、インパクトがある事件である。私はそれを強く認識するべきだ。私を含めたサバイバーの人々は、そうした悲惨な事件を経験しつつも、今まで強く生きてきた。
2)性暴力は精神的DVを伴うことも少なくない。性暴力者に対して正当に反抗したとしても、彼らは精神的DVハラッサーでもあるので、「おまえが悪い」と被害者側に不当に責任を押しつける。精神的DVは、証拠さえあれば民事で訴えられるレベルの人権侵害であり、また、本質的には暴力であることを認識するべきだ。私を含めたサバイバーの人々は、そうした苦しい状況を経験しつつも、今まで強く生きてきた。
3)性暴力は、肉体および精神の境界線を著しく侵食される行為である。特に、幼少期にこれを繰り返し受けてきた人は、心の深い領域で「私の境界線は侵食されても仕方がない、当たり前である」と、不当に思い込まされている。これは、性暴力者側による悪質な洗脳である。だが、今や私は、これを解除できる力を持った人間である。自分の洗脳が解ければ解けるほど、私は健全な境界線を相手との間で築くことができる。その結果、私も相手の境界線に侵入してしまうことがなくなることだろう。
以上、3項目を紹介した。
私の経験上、このような言葉を使った論理的な認識は、無意識下にまで植え付けられた心のクセの修整に貢献する。
この文言は自分のために使っているものだが、同じような問題を抱えており、解決したいと願う方々のお役に立てればと思い、ここに公開する。
■瞑想情報サイト「Active Rest」について
私が運営しております瞑想情報サイト「Active Rest」もぜひご覧ください。こちらでも、瞑想体験会を随時開催しています。ぜひ下記をご覧の上、Facebookページに「いいね!」ご登録ください。
![](https://assets.st-note.com/img/1732610466-9PVRZFmNWs7BgrTKoAY0hdiE.png?width=1200)
なお、1on1(1対1)の個人瞑想セッションも受け付けております。お気軽にお問い合わせください。
■瞑想1on1セッションのお申し込みはMOSHからどうぞ
■瞑想コミュニティ「ActiveRest」Facebookページ
■瞑想情報サイト「ActiveRest」Webサイト