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宝石の国を考察しよう1
宝石の国。2012年から月刊アフタヌーンで市川春子さんが連載を始め、2024年6月に完結した作品。全13巻。私は高校生の時、書店に置かれていた単行本の表紙のイラストがめちゃくちゃ自分の好みだったのもあって、内容を全く知らずにその時点で売っていた巻をまとめて購入した。言葉少なめで白が多め、どこか寂しさが感じられて内容は相対してものすごく重たい。
日本SF大賞に宝石の国が選ばれたのをニュースで見て、改めて一巻から読み直した。これってSFなのかな?という気もしたけど、とにかく一度だけでもいいから全員に読んでほしい漫画。という感じ。そしてアニメも。
もう一度読み直して考えたことを書き連ねていこうと思う。
故にネタバレ注意。
物語の始まりは、フォスフォフィライト(フォス)が先生に仕事をもらいに行くことから始まる。ここでいう仕事=月人との戦い(戦争)に出ること、を指しているのだが、300年近く生きているフォスは今まで戦争に行くことが許されていなかった。人間で考えたら仕事しないで気ままに暮らす方がよっぽど自由でいいと思うのだが、フォスは仕事を欲していた。
フォスは生まれてから役立たずの自分をさらに上回る存在、「いるだけで迷惑」なシンシャと出会う。シンシャは「自分は他の宝石たちと共に生きることができない」と思い込んでいて、孤立していた。あわよくば月人が自分を連れ去ってくれないかな、とさえ考えていた。そこで彼は、「君にしかできない仕事を必ず見つけてみせる」と言った。シンシャは最後までその言葉を覚えていた。
ここでフォスは「シンシャを救う」という目的を持つと同時に、「自分が誰かの役に立つ存在になれる」という願いにもつながった。それが結局、フォス自身の変化を加速させて、どんどん自分を見失うきっかけになってしまったところが興味深い点である。彼にとってシンシャを救うことは、自分が何者かになるための手段でもあったんだと思う。
でも、誰かを救うことってそんなに単純じゃない。相手の気持ちや周囲の状況は絶えず変化するし、自分の思い通りにはならない。フォスはその過程で何度も挫折して、「もっと強くならなきゃ」「もっと知識が必要だ」と体を変えていった。その結果、最初の「自分」がどんどん失われていく。
「君にしかできない仕事を必ず見つける」というフォスの言葉は、シンシャにとっては希望だったのだと思う。自分が「いるだけで迷惑な存在」ではなく「必要とされる存在」になれるかもしれない可能性を見出した。
フォスはシンシャを救うきっかけ探しのために、ダイヤに助言を求めた。ダイヤ自身もボルツと自己を比較して「自分は戦えない」と感じ、劣等感を抱いていた。フォスが頼った相手もまた「何者かになりたくて苦しんでいる存在」だったのだ。
この構造の中で面白いのが「誰もが誰かに憧れ、誰かと自己を比較し、自分の価値を見つけられずにいる」というのを描いているところ。漫画を読み進めていくと他にも何人か悩み多きキャラクターが登場するのだけれど、誰もが自分に足りないものを探している、という点が共通点としてあるように感じられる。
自分にしかできないことって本当にあるのかな。それとも、それは幻想に過ぎない?
ダイヤはボルツを大切に思っているはずなのに、それと同時に「ボルツさえいなければ」とも考えていた。この矛盾した感情は人間でもよくあるもの。特に、「自分が何者であるか」を他者との比較の中で見出そうとすると、こういう感情が生まれやすい。ダイヤにとっては「ダイヤモンド属であること=強くなければならない」だった。でも、ボルツの方が自分よりも圧倒的に強くて、特別で、同じダイヤ属であるはずの自分が否定されているように感じていた。だから、ボルツに対して「いなければいいのに」と思ってしまう部分があったんだと思う。
ここには「愛」と「嫉妬」が共存している。人は大事な存在から、時に自分の中のコンプレックスを刺激されることがある。特に、身近な存在が自分より優れていると感じた時、それを素直に喜べないことは誰しも覚えがあるだろう。ダイヤはボルツを愛しているし、誇りにも思っている。でも、同時に自分の価値を見失いそうになるから、ボルツの存在が苦しくなることもあった。愛しながら憎むことも、羨ましながら尊敬することもある。
フォスが大きなアドミラビリスの貝に飲み込まれてしまった場面は、まさに彼の物語の最初の転機であり、その後の変化を象徴するものとなった。ボルツの「幸運を待つだけなら、そのまま消える方が幸せだ」というのも深い言葉だなって思った。何かを変えたいなら、自分から行動を起こさないといけない。でもそれができないなら、何もしないで消える方が楽なのかもしれない、とも感じていたのかもしれない。ボルツ自身の葛藤と、限界を感じる瞬間がその言葉に現れている。
「消える方が幸せ」という言葉は、自己存在の意味も問われる。何もしないでいれば安寧は得られると思う。私自身の経験からもそれは確かにそうなんだなと、納得できる部分がある。でも同時に、それでは何も成し遂げられないで終わる。生きることに意味を見出すには、どこかで自分は変わらなければならないというジレンマがあるんだろう。
一巻を通して思ったのが、誰か一人でも自分のことを愛してくれれば、必要としてくれればそれだけで十分なんじゃないかなって。現代ではSNSでの承認欲求が強くなりがちだけれど、本当の意味で自分を理解し、必要としてくれる存在が一人でもいることが一番大切なんだと思う。あまり多くの人に認められることを目指してしまうと、本当の自分を見失ってしまう可能性がある。
フォスやシンシャが求めていた願い「誰か一人でも自分を必要としてくれる存在」も純粋な感情が根底にあったから生まれたんだろうし、今の時代でもその大切さは変わらないと思う。その人のために変わろうと思えたり、逆に自分も癒されることがあるはず。だからフォスは余計なこと考えないでシンシャのことだけを考えて行動していれば、あんなことにならなかったのに……と読み進めていて感じた。
貝から無事に救出されたフォスは、シンシャの助言がまたも自分を救ってくれたことを知って落ち込む。フォスの成長と葛藤が現れた瞬間だった。彼は今までずっと、他者に頼られる側ではなく助けられる側だったから、シンシャに助けられてしまったことは「自分はまだ未熟だ」「誰かに頼るのはだめだ」と思わせる結果になったのだろう。
誰かに頼ることは決して悪いことではないはずなのに、フォスのように「次は自分が助ける番だ」と考えてしまうのは、やはり自己過信や過剰な責任感から来るものかもしれない。シンシャやダイヤのように助けてくれる存在がいてこそ心のバランスが取れるのに、フォスは一人で背負い込もうとするから、またどこかで歪んでいく。
宝石は不死である。壊れてもまたつなぎ合わせれば元通り。その性質が故、フォスが「忘れることも消えることもできない」と感じた瞬間から、フォスの道はもう一つの選択肢を持っていないようにも見える。不死性がフォスに「進むしかない道」を与えている。死ぬという概念がないからこそ、フォスは考え続け、ひたすら前に進んでいかなければならない。
フォスがアドミラビリス族であるウェントリコススと海の中へ進んでいく中、フォスは「にんげん」という動物にまつわる話を聞かされる。フォスは宝石という存在で、感覚や思考が人間と異なる部分と共通する部分があるからこそ、人間という存在について学んでいく過程がとても印象に残った。
フォスが「にんげん」に対してどのような感情を持ち合わせていくのか。人間の持つ不完全さや矛盾、感情の豊かさを理解することで、フォス自身がどれだけ変わっていくのか、またそのことがフォスにとってどう意味を持つのかがここから少しずつ描かれていく。
ウェントリコススがフォスを月人に売って、自分の大事な存在であるアクレアツスを助けようとする場面。フォスにとってシンシャという大事な存在がいるように、それぞれにとっての「大事な存在」があるというのはごく自然なこと。問題は、その「大事な存在」を守るためにどんな手段を使うかという部分にある。ウェントリコススの行動は愛や忠誠心からきているものの、他者を犠牲にすることでその目的を果たすという冷徹な選択を取っている。
その選択肢の怖さは、「大事な存在」を守るためには他の命や存在がどうなっても構わない、という心情が伴ってしまう点にある。感情的には理解できる部分もあるけれど、それがどれほど破壊的なものであるか、そして誰かを裏切ってしまう結果につながるということを考えさせられる。それぞれが抱える「大事な存在」を守るために、どこまで許容されるか、何が正義かを考えるのは非常に難しい。
自分の選択に他人を巻き込むな、と私だったら言いたいところ。でもフォスは怒らなかった。自分を月人に売ろうとしたことに対して、ただ単に許容するのではなくその背後にある苦しみや葛藤を理解しようとした。ウェントリコススが一人で戦い続けてきたことを知ったからこそ、フォスは感情的になるのではなく冷静にその事情を受け入れた。
はじめのフォスにあった優しさは、ただ他人を許すだけでなくその人の抱える背景や痛みを感じ取る力にある。ウェントリコススの行動に対して怒らなかったのは、ただの寛容ではなく、フォスが同じように苦しみ、迷っていたからこその共感があったからだろう。だから他者の痛みや選択を理解できた。
フォスが初めて自分の足を失いという経験をしたことは、彼にとって大きな転換点となる。それまで自分の身体に対する認識や、何かを失うことの意味を深く考えることは無かったかもしれない中での出来事。足を失うことで新たな視点を得る。
足がアゲートに変わったことで俊足になり、その能力を戦いに活かそうとする。冷静にその能力をどういう意図で使おうかということを意識せず、常に自分の得た能力は「戦う力」へと直結しているという思いが強い。自分の中で「新しい力」を手に入れた時に、自分がどこに向かっているのか、どんな方向に進んでいくべきなのかを問い直すことができたら……と思った。
この場面の途中でイエローダイヤモンド(イエロー)が登場する。宝石の中でも最年長で、長い間戦い続けてきたことが彼を非常に複雑な存在にしている。多くの仲間が月人によって失われ、長い時間の中で自分だけが生き残り続け、次第に戦いの目的がなんであったのかも見失ってしまうというのは、イエローが抱える深い孤独や苦悩を象徴している部分である。
目標を見失うことは時間が経過する中でよくあることで、それがイエロー自身の存在にどれほどの影響を与えているのかがなんとなく分かってくる。戦い続けることそのものが目的へと変わってしまい、その結果自分が守ろうとしていたもの、何のために戦っているのかを忘れてしまうのは、長い年月の中で生じる心の変化だろう。そして、それにどう向き合えばいいのか。
フォスが先生から「なぜそんなに戦いたいのか」と聞かれたことに対して「先生が大好きだから」と答えた場面。それを聞いていたイエローにとって衝撃的な瞬間だったと思う。戦う理由、目的が「好きだから」という非常にシンプルな感情に帰着するとは思っていなかったから、彼はその言葉にハッとする。フォスの言葉が、彼にとっての答えを突きつけるようなものになった。長い間生きてきたことで、戦いが義務や負担に変わり目的さえ見失っていたけれど、自分にとっては先生のために戦うことこそが、最も純粋な動機であることに気づけたんだと思う。
フォスは双晶アメシストであるエィティー・フォーとサーティ・スリーと組み初めて戦争に出る。自分の足の速さを頼りに戦う決心はしていたものの、実際に月人が現れた時、彼は助けを呼ぶことも剣を持って戦うことも、何もできなかった。
フォスが「足が速くなったから自分も戦えるはずだ」と思い込んでいたのは、物理的な力やスピードがすべてだと考えていたからだろう。でも実際に自分が目の前の危機にどう対処すべきかを学ぶことは、全くの別問題だという現実にぶつかる。彼はただの速さや力では足りないものがあるということに気づく。力だけでなく、冷静な判断力や他者を守るための勇気。
続きは考察2にて。