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雑多な独り言4:夢は現実か、現実は夢か
人は毎日夢を見ているらしい。大半は朝起きた時に忘れ、夢から現実へと切り替えていくけれど、私は夢と現実の切り替えがたまに上手くいかないことがある。
夢は、物理法則も時間の流れも何もかもがカオスである。私は起きた後もしばらくその日に見た夢を記憶しているので、面白かった夢はノートに書いたりしている。それで、今の自分がいる空間が現実なのか、夢なのかをたまに考える。
最近見る夢で多いのが、歯がボロボロと抜けていく夢。舌で触れただけで崩れていく歯を見て、私は「歯はもう二度と生えてこないのに、全部抜けたらどうしたらいいんだ」って考える。しかし恐怖はさほど感じていない。そして多分それを夢ではなく現実に起きているものと捉えている。で、起きて自分の歯が残っているかを鏡で確認する。ちゃんと生えているのでホッとする。
目が覚めて歯があることを確かめて、そこで初めて「あれは夢だったんだな」と認識する。でも、確認するという行為も今いるこの現実が本当に現実であるという保証にはならない。もしかしたら、歯が生えていることを確認しているのも、また別の夢かもしれない。その真偽を証明するにはかなり足らない。
証明する術ってあるのかな。私は眠る前に考え事をしながら目を瞑る。なので、私の思考は眠りを挟んでも途切れずに地続きになっていて、朝起きてもそのまま昨日の思考を続けていたりする。夢を見るときと、起きたとき、意識が一旦切り替わる感覚を持ってなかったりする。そうすると、私って本当に寝てたのか、それともずっと起きてたのか、分からなくなる。夢と現実の境目がどこにあるのかが曖昧になってくる。
証明する術があるとすれば、連続した思考の中で、何か矛盾したものが残っていないかを確認すればいいのかな、と思った。
自分が確かに目が覚めたと感じる瞬間もないわけではない。例えば、悪夢を見た時とかは顕著だ。最近見たものだと、自分のお腹をナイフで刺しちゃった夢。で、目が覚める。自分のお腹を触って血が噴き出ていないのを確認する。誰だって刺されたら間違いなく正常ではいられないだろうから、それは確かだから、自分は目が覚めたことを実感する。ただこの場合も、ナイフで刺した方の私が現実かもしれないっていう可能性を否定するには証拠が足らないんだけど。
もう一つ判断基準として、「私は空を飛べるかどうか」を確認する。
……、決してふざけているわけではなく真剣に考えているんだ。私が見る夢の中で圧倒的に多いのが空を飛ぶ夢。空を飛ぶなんて人間にはできない芸当だ。人間は生物学的に空を飛ぶ遺伝情報を持ち合わせていないから。空の飛び方を知らないはずなんだ。現実では物理法則が適用されるので、飛べない。
だから、「飛べる=夢、飛べない=現実」と考えることはできるんじゃないかなって考えた。でも、ここで一つ疑問なのが、もし人間が現実でも空を飛ぶスキルを手に入れてしまったら。VRが極限まで進化して、自分が空を飛んでいると錯覚する世界に到達したら。人間の遺伝子が操作されて、自力で飛ぶことができるようになったら。
現実では飛べない、という前提が崩れた時、私はどうやって夢と現実を区別すればいいんだろう。
んー、夢は現実と違って過去と今と未来が続いていない。夢は見る度に場所と時間が変わる。私の場合は常に一人称視点であることは変わらないけど、登場する人は毎回変わるし状況も異なる。私が知らない人も出てくる。でも、互いに違和感なく話せている時点で、現実じゃありえないんだよな。
だから、夢の特徴としては「時間が直線的に進まない」「場面が突然変わる」「知らない人と違和感なく関われている」という点があるとするなら、それを逆手にとって、「時間が連続しているか」「場所が突然変化していないか」を確かめるのも夢と現実を見分ける方法にはなりそう。
でも、今私がこうして文章を書いているこの現実が、実は超スーパー長い長い夢だったら。夢の中で数十年の人生を過ごして、目が覚めたら実はほんの数分か経ってなかった、としたら。という可能性もなくはないでしょ?だって誰も証明できてないんだから。
じゃあ、このものすごく長い夢を見る前の私は、どうしていたんだろう。今まさに寝ているんだとしたら、どうやって目覚めたらいいのか。目覚められなくて長い夢を見せられているのか。
もしかしたら、この長い夢(人生)が終わる時にようやく目が覚めるのかもしれない。それは確かめられないよね。確かめたとしてもその結果を誰かに伝えることなんて、できないだろう。でも、この長い夢から目が覚めた私も、それが「本物の現実」だという保証はどこにも存在しない。もしかしたら、そっちもまた別の夢かもしれないし、さらにものすごく長い夢の一部に過ぎないかもしれない。
ややこしくなってきたね。だから、「現実とは何か?」という問いに対する答えは、「今ここを現実とみなすしかない」ということになっちゃうのかな。なんだか腑に落ちないんだけど、本当は夢だったとしても、確かめようがないからね……。
私はもっと怖い妄想をした。実は私はとんでもない悪行を果たした極悪人で、矯正プログラムとして一つの人生をやり直しさせられてるっていうの。小説の見すぎかな。自分は何らかのプログラムの中で生きている、シミュレーション仮説みたいな話。
それに、本当の現実が別にあると仮定するなら、今見ている現実が現実じゃないなら、今一緒にいる家族や友達も本当はいないってことなのかな。「本当の現実」から派生したデータみたいなもの?でも、これは本当によく考えることだよ。本当はみんな、偽物なんじゃないかなって。だって、私は私の存在すら証明できていないのに、他人が存在することの証明なんてもっと難しいだろう?普通に生きてたら別にこんなこと考えなくていいじゃんって言われそうだけど。納得いかない。
自分を一回殺してみれば何かわかるかな、って考えたりもしたけど、現実的じゃないんだよね。それに、死の概念すら作られたものかもしれない。プログラムの一部かもしれない。「死んだら終わり」というのも、我々がこの世界で学んだルールに過ぎなくて、世界が不確かであると同時に、そこから派生している全ての概念も不確かになることは分かってくれるだろうか。絶対的なものかどうかの証明はできないだろう。
やっぱりどこまで考えても、とりあえず今は現実と信じ切るしかないのかな。どう考えても確かめようがないっていう壁にぶち当たる。これがエポケーかな。フッサールの判断停止。判断することを一旦保留にしといて、その経験そのものを純粋に見つめるっていう考え方。
いやでも、夢はやっぱり現実に見られる、時間が(少なくとも私の記憶の中では)連続していることがないから、それが一つの可能性なのか。けど、その連続性すらプログラムされたものだったら……これもまた堂々巡りになりそう。どこまで疑っても、どこで納得してもきりがないな。
いつかちゃんと考えよう。今の私はドーナツの穴について考えている。親友との思い出を思い出している時に出てきた問い。もう少ししたらそれも投稿しよう。