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宝石の国を考察しよう2

前回の考察はこちら↓↓↓


この投稿では漫画の第3巻から考察を続けるよ。

宝石たちは光の薄い冬に冬眠をする。フォスは、冬眠をしないで冬の仕事をアンタークチサイト(アンターク)に分けてもらうことになる。彼の中で何かが変わり始めたのが感じられる。アンタークと一緒に活動することで、彼は新たな視点や価値観を得ていくこととなる。

アンタークは硬度三の宝石で、硬度三半のフォスと同じ低硬度に部類される。アンタークは「低硬度から勇気を取ったら何もない。できることしかやらないなら、できることしかできないまま」と話した。自分の限界を認識し、それを受け入れて生きることは一つの賢明さではあるが、それがただの安定や現状維持にとどまるに過ぎないことを示唆しているように思う。

「勇気を取ったら何もない」という言葉が示すように、自己を変えるためにはリスクが伴うけれど、そのリスクを取らないことで停滞してしまう恐れがある。停滞すると、自己成長が阻害されてしまう。

フォスは、足と同じように手も変わればうまくいくんじゃないか?と考えていた。これは彼の成長過程で避けがたい過ちであったと思う。自分自身を変えることで問題が解決するという考えが、結果としてさらなる傷を招くこととなる。

流氷によって腕をも失ったフォスは、代替として腕に合金を付けている間に月人の襲撃に遭う。アンタークが射抜かれた時、最後に「先生が寂しくないように、冬を頼む」と言葉を残した。自己を犠牲にしてでも愛する先生を守りたいという強い意志の表れ。彼にとっては自分ではなく先生の幸せや安心が何よりも重要で、最後までその想いが貫かれている所が彼の強さなんだと感じた。

そしてその瞬間を見ていたフォス。すぐ助けに行きたいのに合金があふれて彼を押さえつけている描写。彼の内面的な恐怖が現れていたと思う。物理的に動けないだけでなく、精神的にもその行動を自分自身で封じ込めているような感じ。フォスがアンタークを助けに行くことは、ただの行動ではなく大きな決断が伴っていた。アメシストと組んでいたとき全く動けなかった彼が、今、恐怖を抱えながらも進まなければならないという状況。まさにフォスの成長の過程が見られる場面であり、彼の本当の意味での「勇気」を試されている瞬間でもある。

彼は遠のいていく月人たちに向かって思いっきり剣を投げるも、それは届かなかった。フォスの心にはきっと、どうしてもアンタークを救いたかったという強い思いと、その想いが力にならなかった現実への絶望が交差していたと思う。フォスはこれまで何度も自分を変えようし、成長しようとしてきたけれど、今最も大切な存在を、アンタークを救えなかった。恐らく自分の中で「どうして自分はこんなにも無力なんだろう」と自問自答していただろうし、それでも何かできることはあったんじゃないかという後悔の念が強く湧いていたと思う。そしてこの経験は彼の心に深い傷として刻まれる。

3巻の終わりでは、シンシャのことを一瞬忘れかけるような描写がある。フォスが元々持っていたシンシャを救いたいという目標や情熱、アイデンティティが崩れていく予兆も感じられて非常に不穏である。何か大事なものを手放し始めている感じがするし、その変化がフォスにとって良い方向に進んでいるのか、それとも彼の道は見失われていくのか、すごく不安にさせられる。

忘れかけるというのは、時として自己を解放するための一歩として描かれることもあるけれど、この場合は少し異なる。シンシャという存在がフォスの中で消えそうになったのは、彼の心が何かを捨てることを示しているのかもしれない。その「何かを捨てる」ということが別の何かを受け入れる過程だったとしても、どこか無理に自分を変えようとしているような怖さ。


フォスにとって、戦争に出ることは憧れだった。それが今や「危険な作業」として自分の中で捉えていたのは彼の内面的な変化をさらに強調している。ただの冒険心や自己証明の欲求から、現実的な危険を意識するようになったことは、フォスがより成熟してきた証拠でもある。でもその変化と同時に、彼の理想が崩れつつあることも意味しているのかもしれない。

ダイヤが学校に侵入してきた大型の月人と一人で戦う場面。ボルツに頼らずにダイヤ自身の強さや自信を証明したいという気持ちが見られる。戦いを通じて、自分の力を証明したいという強い欲求には、自分一人でも戦わなければならないという思いもあっただろう。そして、自分はボルツに依存していない独立した存在だということも示したかったのかもしれない。

助けに来たボルツに対して「遠くにいるボルツは大事に見える」というダイヤの言葉。彼の複雑な感情が込められている。ボルツが近くにいるとどうしても彼の完璧さや強さがダイヤの中でプレッシャーとなり、時にはその存在が重く感じられ、「いなくなればいいのに」と感じてしまう。完璧すぎる存在は、他者にとっては時に憧れであり、また遠ざけたい存在になってしまうことがある。

ボルツが遠くにいると、ダイヤの中で愛情や尊敬の気持ちが強くなる。彼を素直に愛することが難しくても、いなくなるとその存在の大切さに気付き、再認識する。これは人間関係においてもよくあることだと思う。相手が自分の近くにいつと見えなかったものが、遠くにいると改めて大切に思える部分があったりするだろう。


フォスは後に、大型の月人と先生には接点があるようなことに気づく。そして、「とてつもなくいけないこと」を考える。彼がこれまで信じて疑わずにいたもの、大好きな先生に対して疑念を持ち始める。これは単なる疑いではなく、フォスが自己の信念や価値観を問い直し始めた証拠であると思う。

宝石たちにとって先生は絶対的で、大好きな存在であった。その「大好き」を疑い始めるのは、フォスの中の先生に対する信頼が崩れていくことを表している。後にフォスは、アンタークや他の宝石たちも先生が何か隠していることに気づいていた、ということを知る。

他の宝石たちは、先生には欠点や秘密があるけれど、「それでも先生を信じる」と考えている。でもフォスは先生を信じるか信じないか、分からないままだった。そして先生の秘密を暴こうと考え始める。もっと深い部分での真実を求めようとする。

本当のことが知りたいという欲求。そして知るには強い勇気が必要だということも感じている。真実を知ることで何かが変わる、あるいは自分の中で何かが壊れるかもしれないという恐れもあっただろうし、それでも進まなければならないという葛藤が見られた気がした。そしてフォスは「自分の最初の願い」を忘れてしまった。

なんでそんな大事なことを忘れてしまうんだと思ったけれど、それは私も同じだな、とも思った。最初に抱いていた気持ちとか考え方とか、時間の経過の中で気づいたら忘れていた。昔はあれほど強く願っていたことでも、今となっては何を思っていたのかさえ曖昧になっていることがある。それは自分が成長した証かもしれないし、ただ環境に流されてしまっただけかもしれない。


第5巻では何人かの宝石が登場する。はじめに登場したのがパパラチア。彼は生まれつき特殊な身体で穴がたくさん空いていた。ルチルが彼の「パズル」を解いて動けるようにしていた。

ルチルのパパラチアに対する強い執着が見られた。ルチルは医学に精通し他の宝石たちの治療もする名医だが、それはパパラチアを完全に治したいという強い願いがあったから。その願いは叶わないまま、パパラチアは「動ける時間が非常に限られた存在」として生きている。フォスは変わり続けることを選んでいるのに対し、彼はむしろ自分の運命を静かに受け入れているようにも見える。この対比が面白い。

パパラチアは、「ルチルには俺のパズルを諦めてほしい、楽させてやりたいんだ」と話した。自分の状態を受け入れているからこそ言える言葉だと思う。もし彼がまだ自分の体の不完全さに抗おうとしていたのなら、そんな言葉は出てこないはず。

でも、ルチルは諦められない。彼の不運を克服できなければ自分の医術には何の意味もないと思っている。ずっとパパラチアを治すことに執着し、それが生きる目的になっている。パパラチアの言葉には「お前が俺に執着する理由を手放してくれ」という意味にも聞こえてくる。それは諦めからではなく、受け入れからくる言葉。

フォスに対する「冷静に、慎重に」という言葉。フォスはいつも周囲にとって「正しいこと」をしようとしているけど、その行動が周囲にどんな影響を及ぼすのかを彼は考えていなかった。

フォスが「先生の秘密を暴くこと」や「月人と対話する方法を探すこと」は彼なりの正義だった。パパラチアはその「正義」が周囲を傷つけ、想像もしなかった結果を招く可能性を見抜いていたのだ。これはフォスにない先を見通す力ともいえるし、パパラチア自身が長い時間経過の中で経験したことに基づいているんだろう。彼の言葉は、フォスにとってある種の分岐点だったとも感じる。もしここで「冷静に、慎重に」動けていたなら物語の展開は変わっただろうと思う。フォスはそのまま突き進む。そしてパパラチアの言葉通り、結果として自分が予想もしなかった方向へ……。


フォスは自分と歳の近いジルコンの相談に乗る。フォスは昔、何の根拠もなく「きっとよくなる」と思って行動していた。でも現実はそう甘くなくて、失うものが増える度に「もう何も信じることができない」状態になっていった。だからこそ、あの頃の自分がふしぎでうらやましい、と言った。

これは我々にもよくあること。子供のころは、将来に対して漠然とした希望を持っていた。未来が明るく見えた。でも、現実に直面する度に暗く慎重になり、何事においても疑い深くなる。無邪気に希望をもっていたあの頃の自分が遠のいていく。

アレキサンドライト(アレキ)と月人について勉強していた時。フォスはアレキに月人のことが好きなのか、と質問した。アレキは自分から大事な人を奪った月人について考え続けて、新鮮な憎しみを忘れないようにしていると答えた。憎しみを忘れたくない、というのは一種の執着でもあるし、自分のアイデンティティを保つ手段でもあったんだと思う。

なんでフォスがそんな質問をしたんだろうと考えた。もしかしたら、憎しみと執着の境界線が曖昧に見えたからかもしれない。強い感情は方向が違うだけで表裏一体となっていることが多い。大事な存在を奪った月人を憎しみ続けるというのは、それだけ大事な存在に囚われているということでもある。

アレキは「忘れないようにしている」と話していたけれど、それは逆に「何もしないで放っておくと忘れてしまうかもしれない」ということ。人間も同じことがいえる。長い時間の中で自然と記憶が薄れてしまうものだから、憎しみさえも意識的に保たないと消えてしまう。アレキが考え続けることで憎しみを忘れないようにするのは、自分の大事な人が奪われたという事実を、ただの過去の出来事にしたくなかったからかもしれない。


ゴースト・クオーツ(ゴースト)との出会いもあった。先生が月人と対戦する際、フォスは近くで先生を見極めようとした。先生が月人とどんな関係性なのか。ゴーストが月人に捕まった時、フォスは助けようとする素振りを見せるも、先生がどう行動するのか、そこに興味を持ってしまった。先生はゴーストを助けるのか、見捨てるのか。

「先生がどう動くか」を見極めようとしたフォスは、自分がゴーストの救出よりも探求心を優先してしまったことに気づく。真実を知りたいという探求心がフォスの純粋な気持ちを食い尽くしていく。ゴーストを犠牲にしてでも知りたいという考えが、無意識だが一瞬でもよぎった時点で、フォスはもう完全に別の存在になりつつあったんだろう。初めはシンシャを救いたくて手に入れた知識や力が、皮肉にもフォスの内面や目的を変えてしまった。

そしてフォスはずっと「先生は何か隠している」「先生は月人と仲間なんじゃないか」と疑っていたけれど、実際に目の前でゴーストを助けなかったのは他でもない自分だった。フォスはアンタークを助けられなかったことを後悔していて、仲間を助けるという気持ちはもっていたはず。でもこの時は違った。ただ見ていた。選択の余地はあったのにあえて何もしなかった。その事実はフォス自身にどう響いただろう。先生のことを責める資格はないとさえ思ったかもしれない。

真実を知りたい、という理由で行動していたはずが、いつの間にかフォス自身が冷酷になっていた。フォスはこの時初めて、自分の変化をはっきりと自覚したのではないだろうか。でも、もう後戻りはできない。

続きは考察3にて。



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