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あなたは何を書いてこなかったか

人は何かを書くと同時に何かを書いていません。これは言われてみれば当たり前のことですが、実際に意識する場面は少ないように思います。(事実、note上のハッシュタグにおいて「#書くこと」は2万件以上の投稿があるようですが、「#書かないこと」の投稿はわずか10件です)「何を書いたか」については書いた文章を読み返せば嫌でも目に入ってきます。その一方で、何を書いていないかについては、そこに隠された意図や傾向を見出さない限り、知覚することは難しいはずです。物理的に接触できないことを直感的に理解するには、抽象度を一段あげた思考が要求されます。だからこそ、いわゆる「頭のいい人」たちは意識的に書かないことを設定し、読み手をある程度誘導することが可能です。世の中に発表される文章には、露悪的に「書かないこと」が表出することもあります。そのようなコンテンツを私たちは「陰謀論」や「偏向報道」として蔑みます。しかし、莫大な流通量を誇る世界において「露出していないもの」を特定する作業は非常に骨の折れる作業です。自分自身が言語化しない領域に目を向けることは「陰謀論」あふれる情報社会で自己を省察する観点から当為と言えるでしょう。なぜならば私たち自身も「陰謀論」あふれる社会を作る一員に他ならないからです。

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では私自身はこれまでの執筆人生の中で何を書いてこなかったのでしょうか。ここでは「実生活の中ですぐに役に立つ情報」を取り扱ってこなかったと結論付けることにします。このことは重要です。なぜならば私自身が何に着目して文章を書こうとしてこなかったかを如実に示すからです。そもそも何かを書くためには、日常生活の中での刺激を起点に思考を進める作業をしなくてはなりません。そのため執筆時に選択するテーマと選択しないテーマの境界線は私自身が日常生活の中で重視していることと軽視していることの分水嶺となります。もちろん過去に執筆したテーマを振り返ることで、私自身が重視するテーマを認知することは容易です。一方、書かないことを認知するには一定量の文章を書く必要があります。一定の傾向性を抽出するための要素を自らの手で作り出さなければならないからです。すぐに役に立つ情報について書いてこなかったことそれ自体は私自身がそのことを日常生活の中で軽視していることを意味します。このように書くと悪しきエリート風情が湧き立ってきて非常に不快感を覚える読者諸氏は多くいるでしょう。しかし、私はすぐに役に立つ情報の重要性を否定したいわけではありません。むしろ自分が持つ傾向から導き出される、自分自身の性格の面倒くささを受け入れることにエネルギーを使いたいと考えています。ただ言葉にすることを奨励する世界の中で、自分が言葉にしていない領域があることを隠し持っておくことは精神の余白につながる側面もあるのではないでしょうか。

完。

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