結婚の重み
「今までは私がこの子を支えてきました。でもこれからは、新郎の方に、この子を支えてほしいです。」
友人の結婚式に行ってきて感じたのが、結婚するということの重みだった。上記の言葉は、新婦の友人代表スピーチである。僕は新郎の友達なので、新婦のことはまるで興味がなく、スピーチも適当に聞き流すつもりだったのだが、思わず聞き入ってしまった。
そうか、結婚というのは、パートナーの人生を支えるということなのかと、体の奥深くに説得力を持って染み込んでくるようなスピーチだった。この新婦には、ここまでの言葉を持ってきてくれる友人がいるのだと理解するとともに、この新婦がこれまで必死に生きてきた人生が自分の脳内にイメージとして発現した。結婚は重い。重すぎる。もしこの新婦を裏切るような行為をした場合、新婦に傷をつけ、新婦のこれまでの人生にも傷をつけ、新婦の親族にも傷をつけ、この素晴らしいスピーチをした新婦の友人にも傷をつけてしまう。
僕は彼女がいるのだが、果たして結婚などできるのだろうか。今の彼女と付き合って半年になるのだが、彼女の人生を支えることができるのだろうか。もちろん、半年間お付き合いができているので、それなりに彼女を支えることはできているのだろう。ただ、結婚するとなると、一生パートナーを支えていけるという信頼を、彼女、彼女の親族、彼女の友人から得られなければいけない。その場合、今の自分はその段階に到達しているのだろうか。
いや、とても到達していないだろう。僕は体調が悪く、フルタイムで働くことができていない。金銭的な安定がないという負い目が、自分の中で払しょくできないし、彼女の親から信頼を得ることもできない。この状況が続いた場合、自分から別れを切り出すことも必要なのではないか。
しかし今の彼女が、僕が金銭的な理由でもって別れを切り出す可能性も予見している。そして、そんなことは言わないでほしいという言葉をくれる。しかし、現実的に考えて、パートナーの人生を支えるうえで、金銭面の安定以上に大切なことがあるだろうか。罪悪感が一定のレベルを超えた時、自分から別れを切り出してしまうかもしれない。
しかし、まだ少し頑張れる余地がある。思いもよらない幸運を信じて、地道に頑張っていこうと思う。