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謙虚な強欲

数年前まで「私がお母さんで子供が可哀想、もっといいお母さんになりたい」と思ってたんだけど

この気持ちの裏には

「こんなお母さんで満足しなさい」

という圧がある。


自分はもうこれ以上変わらないのだから、そちらが妥協して受け入れなさい

という感じだ。


もちろん、当時はそんなことを思っていたわけではないけれど。


こんなお母さんであることと、子供が可哀想かは別の話だし

こんなお母さんであることと、もっといいお母さんを子供が望んでいるかは別の話だし

可哀想かも、いいお母さんを望んでいるかも決めるのはこどもだ。


それを勝手に決めつけてる辺り、決めつけるメリットが自分にあるということだ。


こんなお母さんで可哀想に(違いない)(だって私はもうこれ以上は変わらないのだし)もっといいお母さんになりたい(と努力しているのだから、その努力を認めるべき)(私は今のままで子供に愛されるべき)

って。


でも、母親を認めるかも愛するかも子供が決める。


そして究極、認められなくても愛されなくてもいい。


時間の流れみたいに、この世界はゆるやかにしなやかに受け入れていくしかないの。

コントロールしようとしない。


その方が自然だから。


だから可哀想とか、そんなことで悩まなくてもいい。


と、過去の私に対して思った。

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