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以前からずっと、羨ましがられるのが嫌いなんです。


「あら、新しいもの買ったの?いいね」

「かっこいいの持ってるね」

「話が上手ですね」

「〇〇ができるなんてすごい!私にはムリだから」


言われると実は、イラっとしてます。

相手は褒めてくれてるつもりなんでしょうね。

羨ましがると、喜んでくれると思って言ってくれてるんでしょうね。

だのに素直に受け取れない自分がいるんです。


「いえいえそんなことないです」

「私なんて、そんな大したことないんです」

「ぜんぜんですよ。僕はこんなにダメダメなんですから」

と、せっかくの褒め言葉を全否定し、むしろ逆ダメ自慢に変えてしまう自分がいます。


これ、僕はセルフイメージが低いからだと思っていました。

つまり、自分に自信がないから。

自分が嫌いだから。

自分を差し引いていたから。


でも、最近、本当にそれだけなんだろうか?と思うようになったんです。

羨ましがられて、イラっとするのは、言われるのが身近な相手ほどそう思うんです。

となると・・・

その裏側には「期待」があるわけですよ。

自分なりの「見られたい像」が。


「すごいね」「いいね」

じゃねえんだよ!

俺は、これを手に入れるために努力してきてるんだよ。

棚からぼた餅で手に入れたわけでも、先天的に備わってたわけでもなく、手に入れるために必死に努力し、勉強し、練習し、そして今があるんだよ。

ってね。


僕は過程を認めてほしいんじゃないかって気づいたんです。

たとえば

「俺、資格試験に合格したんだよ」

「へえー、よかったね」

「よかったね」じゃねえんだよ!って思っちゃうんです。

「よかったね」は、運が舞い込んできたようなニュアンスが含まれてるんですよ。

今現在の状態しか見てくれてないじゃん!

「がんばったんだね」とか「よくやったね」と言ってほしい。

やってきたことを評価してほしいし、「私もうれしい」と僕の成功を喜んでくれると、もっとうれしいんだろうなぁ…ってね。

つまり、こうした返しが「期待」です。

で、期待どおりじゃなく、「よかったね」「すごいね」「いいね」なんて言われると、その言葉の向こう側に、「あなたはいいわよね。どうせ私はあなたとは違ってこの程度よ」という裏メッセージを読み取ってしまうんです。

「羨ましい」とは、自分と相手との比較言葉。

純粋な褒め言葉ではなく、「私と比べてあなたはすごい」というニュアンスが含まれたコミュニケーションなんです。

そして、プラスだろうがマイナスだろうが、比較されるという行為自体に非常に抵抗感を感じてしまうんです。

そう、こうやって僕は、HSP特有の人の潜在意識を読みすぎて拡大解釈して、勝手にしんどくなってるパターンです。



でも・・・

自慢したいもの(事)がある。

それを羨ましがられると、誰だってうれしいですよね。

ということはつまり、羨ましがられたことが自慢したいことかどうか。

ここが、この違和感の基準ということになりそうですね。


そもそも自分の自慢したいことって何だろう?


ないなぁ・・・


いや…あったかも…


そうだ!息子と娘だ!


僕には二人の子どもがいますが、子どものことを羨ましがられたら、そうだわ!


うれしいわ!


だって、僕にとって子どもは自慢でしかないもん!



そういうことか・・・


自分にとって本当に大切だと思っていることを褒められたり、羨ましがられたりすると、素直に受け取れて、かつうれしいと感じられるんですね。


ということはですよ、

逆に言えば、自分にとって潜在意識の中で大事にしていることを気づくためには、人から羨ましがられて、「うれしい」と素直に感じられることこそがそれなんですね。






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